石鹸せっけん)” の例文
石鹸せっけんという言葉もまだなかったほどの時だ。くれる飯田の商人も、もらう妻籠のおばあさんも、シャボンという名さえ知らなかった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
祖父はひとり湯に入るとき薬用石鹸せっけんを使っていたが、春さんはそれをなにか上等な化粧石鹸のように思い込んで、その日ひそかに
生い立ちの記 (新字新仮名) / 小山清(著)
石鹸せっけんで一応洗った時によく鳴るようである。しかし絶対に油脂を除去するのは簡単にはできないので、その場合にどうなるかは不明である。
日常身辺の物理的諸問題 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
僕のなかできこえる僕の雑音……。ライターがこわれてしまった。石鹸せっけんがない。靴のかかとがとれた。時計が狂った。書物が欲しい。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
初めは石鹸せっけんの空箱へ雑草を入れ、その中へ捉えた蟋蟀をつめ込んだ。私たちは学校から帰るとその箱をそっとあけて見るのだ。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
香料や石鹸せっけんの香につつまれて、ぼんやり浮き出たように見えるのが、何か鏡のれたのと縁でもあるらしくながめられた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
灰汁あく」は天然曹達ソーダ(natron)すなわち天然に存する結晶せる曹達である。これを石鹸せっけんの如く使用するのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
あれも手洗鉢ちょうずばちの側へ普通石鹸せっけんの外にアルボースのような殺虫石鹸を備えておいたらば手を洗っても心持がいいでしょう。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
彼は斧の刃の方をいきなり水へ突っ込んで、小窓の上にのっている欠け皿から、石鹸せっけんのかけらをつかみ出して、じかにバケツの中で手を洗い始めた。
どんなに手に石鹸せっけんをつけて軽石でみがいたあとでも! 彼らはそれで用心をした。金つばと、栗饅頭とを小僧さんがお茶と一緒に持って来てくれた。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
芳太郎は荒い息をしながら、縁に腰かけて黙ってたばこふかしていたが、するうちに手拭や石鹸せっけんを持ち出して湯に行った。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
わたくしどもはそれで石鹸せっけんをつくります。椰子蟹はこのコプラを喰べて生きていますから、椰子蟹という名がつきました。
椰子蟹 (新字新仮名) / 宮原晃一郎(著)
れいの速成教育で石鹸せっけん製造法など学び、わずか一箇月の留学であやしげな卒業証書を得て、これからすぐ帰国して石鹸を製造し、大もうけをするのだ
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
鏡台の上の石鹸せっけんとタオルとを持って階下したへ降りて行くと、男はとこえた茶棚からアルミの小鍋こなべを出し、廊下に置いてある牛乳びんを取ってわかし始めた。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
拭いても、こすっても、どうにもならない。当時は貴重品だった石鹸せっけんを、大量に投入してみたが駄目である。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
私は石鹸せっけんだらけになった顔で振りかえって、心持まゆをしかめた。——それは、前々から須山との約束で、工場から一緒に帰ることはお互避けていたからである。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
鵞鳥がちょうに呑ませる、犯人自身が飲みこんでしまうなどが極端なもので、普通の隠し場所としては石鹸せっけんの中、クリームびんのクリームの中、チューインガムに包む
探偵小説の「謎」 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そこへ客か何か来たのであろう、つるよりも年上の女中が一人、湯気ゆげの立ちこめた硝子障子ガラスしょうじをあけると、石鹸せっけんだらけになっていた父へ旦那様だんなさま何とかと声をかけた。
少年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
石鹸せっけんを塗ってすべりをよくしておいた障子をソーッとあけて、裏町の屋根を見晴らした二階の廊下に出た。
冗談に殺す (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「奴が来ておりましたよ、大磯の濤竜館とうりゅうかんに……男見たような女ですね、お風呂ふろで、四辺あたりにかまわないで、真白に石鹸せっけんをぬって、そこら中あぶくだらけにして……」
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
洒落しゃれた切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色ひすいいろ香水壜こうすいびん煙管きせる、小刀、石鹸せっけん煙草たばこ。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。
檸檬 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
私の父は彫金師ほりものしだった。しかし、おもにゴム人形だとか石鹸せっけんなどの原型を彫刻していた。父がいつも二三人の弟子でしを相手に仕事をしている細工場へ私は好んで遊びに行った。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
この七輪で、女中が自分の食べるのだけ煮たきをするのだと云うことだ。まるで廃屋のような女中部屋である。黒い鎧戸よろいどがおりていて石鹸せっけんのような外国の臭いがしている。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
石田は先ず楊枝ようじを使う。漱をする。湯で顔を洗う。石鹸せっけんは七十銭位の舶来品を使っている。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
ところで大変よい石鹸せっけんを見付け出した。そんな物はかつてラサ府にはなかったので、こりゃよい掘出物、買おうと思って値段を聞きますとその主が私の顔をじろりと見ました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
それよりも不思議だったのは、レタスを木鉢に一杯入れたあと、何か石鹸せっけんのかけらみたようなものを、パンの切れはしにこすりつけて、それをサラダの中に入れたことであった。
サラダの謎 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
こんど、子供こどもたちは、みんな、このやすいほうのみせへやってきました。主人しゅじんは、五せん値下ねさげをしたかわり、ろくろく石鹸せっけんもつけなければ、香水こうすいなどは、まったくつけませんでした。
五銭のあたま (新字新仮名) / 小川未明(著)
日が沈むと、タオルや石鹸せっけんを持ってゆっくりと歩いて水浴場へ行く。行ってからも別にせかせかせずに、悠々ゆうゆうと着物を脱ぎ、裸になった胸を丁寧にでまわしてから水につかる。
富籤 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
ちょうど廊下へ一人の男がタオルと石鹸せっけんもって出てくる、この男も例の男の一人で
オモチャ箱 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
彼等の洗う石鹸せっけんの泡が、白くふくれてかたまったまま、私の前の水溝に流れて来た。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
石鹸せっけんをつけ、ぬぐいをかけ、ひげり髪をき、靴墨くつずみをつけ、てかてかさし、みがき上げ、刷毛はけをかけ、外部だけきれいにし、一点のほこりもつけず、小石のように光らし、用心深く
裏口からの客すらも、未だやって来ない、夜明け前の流し場に、ミチは熱い浴槽から出た薔薇ばら色の肉体をタイルばりの流し場にぐったりと投げ出す。立って、体中に石鹸せっけんの泡を塗りまくる。
刺青 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
自作の曲の一つをやってみながら、心持が悪くなるほどいつまでもぐるぐる回っていた。——老人はひげっていたが、その手を止めて、石鹸せっけんだらけな顔をつき出し、彼の方を眺めて言った。
魔子を伴れて洗粉あらいこ石鹸せっけんや七ツ道具をそろえて流しを取ったこの児煩悩のお父さんが、官憲から鬼神のように恐れられてる大危険人物だとは恐らく番台の娘も流しの三助さんすけも気が付かなかったろう。
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
ゆえにもし諸君が意志するならば、芸術は売文のためであってもよく、ミツワ石鹸せっけんの広告のためであってもよく、或は共産主義の宣伝のためでもよく、社会風規の匡正きょうせいや国利民福のためでも好い。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
中風でている父親に代って柳吉が切り廻している商売というのが、理髪店りはつてん向きの石鹸せっけん、クリーム、チック、ポマード、美顔水、ふけとりなどの卸問屋おろしどんやであると聞いて、散髪屋へ顔をりに行っても
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
はいはいと仲居は花王石鹸せっけんのマークみたいなあごをひいて
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
ガラスの面の一部を石鹸せっけんでこすっておくと、そこだけはこの水滴の凝結に対してまた全くちがった作用をするのである。
日常身辺の物理的諸問題 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
私は入浴をいとう訳ではないが、石鹸せっけんを持って何町か歩いて、それから衣服を脱いで、また着て歩いて帰るという、その諸々の仕事が大変うるさいので
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
この町のずッと奥の方に、近ごろ出来た石鹸せっけん工場の職工らしい酔漢よっぱらいが、呂律ろれつの怪しい咽喉のどで、うたうたって通った。空車をいて帰るだるい音などもした。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
脱衣場に自分の石鹸せっけんを置き忘れたかと思ったのです。実際はそうではなかったのですけれど、朝、顔を
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
顔の所々ところどころしか写らない剥げた鏡の前で、膚ぬぎになった職工たちが、石鹸せっけんの泡とお湯をはね飛ばした。悍しい肩と上膊の筋肉がその度にグリ、グリッとムクレ上った。
工場細胞 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
「そんな筈ないわ、石鹸せっけんだって、十銭のと五十銭のじゃ随分品が違ってよ。」と云うなり。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「やっとる、やっとる。」僕は、石鹸せっけんを頭にぬたくりながら、すこぶるいい加減の返辞をした。
パンドラの匣 (新字新仮名) / 太宰治(著)
しかし実際は、店の中をうかがっているのであって、店先にある石鹸せっけんの一片でも「ごまかし」て、場末の「床屋」に一スーばかりにでも買ってもらおう、というくらいのつもりだった。
彼の眼はだんだん遠ざかってゆく空中の隊商の後をったが、両翼を広くひろげたまま、石鹸せっけん球が静かな空気の中で沈むように、沈んで行って水面に触れた。首は翼の間に折り曲げられた。
聖アンデルセン (新字新仮名) / 小山清(著)
「ああ、そうしようか。はちみつをやるといいのだよ。砂糖さとうでもいいかもしれない。」まことさんは、石鹸せっけんはいっていた、ボールばこあなけて、そのなかへかぶとむし玉虫たまむしれておきました。
玉虫のおばさん (新字新仮名) / 小川未明(著)
すぐに三毛をかかえて風呂場ふろばにはいって石鹸せっけん洗滌せんじょうを始めたが、このねばねばした油が密生した毛の中に滲透しんとうしたのはなかなか容易にはとれそうもなかった。
子猫 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
まず毎日出入りする道に当る家並の門礼を、石鹸せっけんとタオルを持った恰好かっこうで、ブラブラと見て歩いた。五六軒見て行くと、曲り角に「警視庁巡査——」の名札があった。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
つるバラ模様の商標は、あの人が考案したもので、それだけでは無く、あの化粧品店から売り出されている香水、石鹸せっけん、おしろいなどのレッテル意匠、それから新聞の広告も、ほとんど
皮膚と心 (新字新仮名) / 太宰治(著)