うるお)” の例文
生暖い街はうるおいを帯びて見えた。不安と険悪さは夜になる程ひどくなった。それを恐れないのは、マアタイにくるまった乞食だけだ。
武装せる市街 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
「日本酒よりかえっていいのよ。後で頭が痛くならないから。」と咽喉のどの焼けるのをうるおすために、飲残りのビールをまた一杯干して
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
神像のような口とおとがい、——その色合が純然たる暗褐色から濃いきらきらした黒玉色へ変る、異様な、烈しい、つぶらな、うるおいのあるまなこ
大震災以後土地の気分がこわれた上に鉄道が開通し自動車の世の中になってからは町全体が昔の様なうるおいが欠けてしまった感じがする。
何処かしっとりしたうるおいに欠けてい、道行く人の顔つき一つでも変に冷たく白ッちゃけているように見えるのは何故なぜであろうか。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ことごとく水田地帯で、陸羽国境の山巒さんらん地方から山襞やまひだ辿たどって流れ出して来た荒雄川が、南方の丘陵に沿うて耕地をうるおし去っている。
荒雄川のほとり (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
しかし、彼女かのじょのものの考え方には、どことなく面白おもしろいところがあったので、うちなかのつまらない仕事しごともそのために活気かっきづき、うるおいがしょうじた。
母の話 (新字新仮名) / アナトール・フランス(著)
習慣的に抑制されて穏かになっている顔は、うるおいのあるきらきらした一双の眼のために、例の一風変った仮髪かつらの下で始終明るくされていた。
早熟な彼女は、身体こそ少年の様にしなやかであったが、睫毛の長い二かわの目には、已に大人のこびうるおいをたたえていた。
江川蘭子 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しまもとき/″\うるおいにあずかれる金銭上のことにかけても気前のよい人たちでした。たゞ一人、池上だけは、しまはあまり好きませんでした。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
くれないは眼のふちを薄く染めて、うるおった眼睫まつげの奥から、人の世を夢の底に吸い込むような光りを中野君の方に注いでいる。高柳君はすわやと思った。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
不思議な輝きとうるおいがあり、情味と魅力においては、旧時代のあらゆるソプラノを圧倒したばかりでなく、年齢のハンディキャップさえなければ
追う気もなく、騎虎の勢いで自斎が四、五丁駈け散らして来たが、益もないことと思い返して、そこから見えた川床へ、渇いた喉をうるおしに降りて行った。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大粒な黒眼に激しいうるおいを湛えて、沈鬱な口調で主人の上にふりかかった恐ろしい災禍について語るのだった。
死の快走船 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
濃い眉毛に大きな眼に——その眼はいつもうるおっていて、男の心をそそるような、なまめきと媚びとを持っていた。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
柔らかな、うるおいの乏しい、大きく開いた子供の眼は、曈々とうとうとして上る朝日の光りを避けた。真昼の光りでさえ、この弱い子供の眼は、瞳に映るのを怖れている。
森の暗き夜 (新字新仮名) / 小川未明(著)
かく久しく断食した人が定を出たら酥油そゆを注いで全身をうるおし、さて犍稚を鳴らしてますがよいと答えた。
重々しい調べのうちに甘いうるおいもあり珍しいものだが、明かに人麿作と記されている歌に旋頭歌は一つもないのに、人麿歌集にはまとまって旋頭歌がって居り
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
そこらが一ト片着き片着いてしまうと、みんなは火鉢の傍へ寄って、母親がんで出す朝茶に咽喉のどうるおした。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
シネクネと身体からだにシナを付けて、語音に礼儀れいぎうるおいを持たせて、奥様おくさまらしく気取って挨拶するようなことはこの細君の大の不得手ふえてで、めてえば真率しんそつなのである。
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
私が特に農村の副業としてかかる品の発展を熱望する所以ゆえんは、これによってただに北国の貧村がうるおうのみでなく、真に地方的な産物として栄えると思えるからである。
蓑のこと (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
彼は、正木の家でのように、自由にたらふく食うことは出来なかったが、何かしら、これまでに知らなかった食卓のうるおいというものを、子供心に感ずることが出来た。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
といいながらおぬいさんを見ると、書物に見入っているとばかり思っていたその人は、うるおいの細やかなその眼をぱっちりと開けて、探るように彼を見ているのだった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
が、その娘らしい表情とうるおいのある肉声とは、容易にイワノウィッチの心に食い入ってしまった。
勲章を貰う話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
支那はいまこの科学の力に依って、大にしては列国の侵略と戦い、その独立性を保全し、小にしては民衆個々の日常生活をうるおし新生の希望と努力をうながすべきである。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
青沼は無言のまましかも彼自身の気のせいか、眼をうるおわせながら、数回頭を下げて挨拶あいさつした。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
概念的に明確な漢詩は叙情的にうるおうた律動の細かい唐詩に変わった。そうしてこの偉大な変遷の時代が、推古より天平に至る我々の時代と、ちょうど相応じているのである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
この水がインドへ指して来てインドをうるおして居るから、そこでこの四大河の根源の池のある所の事を取ってこの地方全体の名にすることは当り前の事であるという考えから
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
これという実も花も持たぬままに、うるおいを求めて地を這いまわる蘚苔こけのようなもの、又は風に任する浮草式生活の気楽さに囚われている者に到っては殊に夥しいのであります。
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
私は、過ぎし水と山の旅を追想しては、貧困な人生にせめてうるおいを求めているのである。
利根川の鮎 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
これが村のうるおいになるから、父は評判が好かった。もう一方東金家も作り酒屋として着々発展した。東金君のお父さんは父と違って、ナリもフリも構わない。真黒になって働く。
村一番早慶戦 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
その感じは祈りとか望みとかいうような、すべてのうるおうた感じを殺してしまうようないやなものでした。いったいこの島にはえている草や木はどうしてこんなにみにくいのでしょう。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「アララギ」第六巻第三号で「歌のうるおい」という歌論のもとで、大いにめられ、それが先生の最後に近い歌論ともなったことは、私にとってまことに感銘のふかいところである。
左千夫先生への追憶 (新字新仮名) / 石原純(著)
そのとき干した貝が水にほとびるように、両方の目にうるおいが出た。女は目があいた。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それが、この春久し振りに郷里の家に帰って暮すようになってからは、どうも、もう昔のようなうるおいのある姿が、この樹木からさえみとれないのを、つくづく私は奇異に思っていた。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
なれども悲しいかな国は今、その小判に欠けておる。これを救うは異人共との交易があるのみじゃ。交易致さば国に小判が流れ入るは必定ひつじょう、小判が流れ入らば水じゃ。低きをうるおす水じゃ。
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
この一見まずい材料をもってして、貴族、名門の口をうるおすべき料理を考案しなければならなかった。こうした材料、こうした土地柄が、立派な料理の花を咲かせたのは理の当然といえよう。
味覚馬鹿 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
この際余は口の内に一種の不愉快を感ずると共に、のどかわいて全くうるおいのない事を感じたから、用意のために枕許の盆に載せてあった甲州葡萄ぶどうを十粒ほど食った。何ともいえぬ旨さであった。
九月十四日の朝 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
雨脚あまあしの強弱はともかくも、女は雨止あまやみを待つもののごとく、静に薄暗い空を仰いでいた。額にほつれかかった髪の下には、うるおいのある大きな黒瞳くろめが、じっと遠い所を眺めているように見えた。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
彼はその椀をって脂肪の浮いたその汁に口をつけた。それは旨いとろりとする味であった。……省三は乾いた咽喉のどをそれでうるおしていると、眼の前に青あおとしたあしの葉が一めんに見えて来た。
水郷異聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
少ししりさがりの眼も細かったが、絶えずはにかんでいるようなうるおいがあり、人に目礼をしたり話しかけたりするときには、まるで恋でも語りかけるのかと思うほど、その眼の潤いが情熱的にみえた。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そして精神のうちにさわやかな柔らかいうるおいを生じさして、醇乎じゅんこたる思索の、あまりに峻厳しゅんげんな輪郭をなめらかにし、処々の欠陥や間隙かんげきをうずめ、全体をよく結びつけ、観念の角をぼかしてくれる。
その代りに彼は、妹の頬に浮んでいる美しい赤い血の色や、よくうるおうている口の中や、その奥で見え隠れしている宝玉のような光沢を持った純白な歯やに我れにもなくじっと見入っているのであった。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
矢張草葺だが、さすがに家内何処となくうるおうて、屋根裏には一ぱい玉蜀黍をつり、土間には寒中蔬菜そさいかこあなぐらを設け、農具のうぐ漁具ぎょぐ雪中用具せっちゅうようぐそれ/″\ならべて、横手よこての馬小屋には馬が高くいなないて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
老いの眼はもう涙にうるおってる。母はずっと省作にすり寄って
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
ふざけなさんな。とにかく、ここで咽喉をうるおして行こう」
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「なるほど、そう言われて仔細に見ると、地鉄にうるおいがあって、弱いようなところに深い強味がある、全く拙者共の目の届かぬも道理」
豺は、それから、なみなみといだ一杯の酒でのどうるおしたり、頭のタオルを取替えたりして元気をつけると、二番目の食物を集めにかかった。
そして、目全体の感じが、ガラス玉みたいに、滑っこくて、固くて、しかもひからびた様に、うるおいがなくなっていた。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
仮りに共鳴を起さぬように石膏せっこうのごとき練り物がよいとしても、材料そのものが音を吸収してしまって、うるおいもなく光もないふやけた音になってしまう。