敏捷びんしょう)” の例文
じっさい動物はうらやましい。私は、敏捷びんしょうに枝から枝へ、金網から地上へ跳びまわっている猿が羨望せんぼうに堪えなかった。実に元気な動物だ。
動物園の一夜 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
猿沢夫人は痩せぎすの、敏捷びんしょうそうな身体つきの女性です。顔は美しいけれどもやや険があって、それは牝豹めひょうか何かを聯想れんそうさせました。
Sの背中 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
しかしもう梢から梢へくぐり抜ける小鳥たちの影には春らしい敏捷びんしょうさが見られた。暮方になると、近くの林のなかできじがよくいた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
頼もしくないことおびただしい話であるが、一方からいえば、がんりきの敏捷びんしょうを信じきって、捕手の働きにタカをくくっているとも見える。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかのみならず更に一団の少年俳家が多く出て俳句といひ写実的小品文といひ敏捷びんしょうに軽妙に作りこなす処は天下敵なしといふ勢ひで
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
すばらしい敏捷びんしょうに生れついているような彼女の姿は、サッと、うしろの幕を懐剣で裂いて、消えこむように、囲いの裏へ飛び下りた。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あなたがたは恋人の心を直感するように敏捷びんしょうに、幼児おさなごを愛するように誠実に、時代の優良な新人物を選択することが出来るはずである。
鏡心灯語 抄 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
その上に乗っている仲買人たちは、ほとんど欧米人が占めていた。彼らは微笑と敏捷びんしょうとの武器をもって、銀行から銀行を駆け廻るのだ。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
敏捷びんしょうなお延は、相手を見縊みくびぎていた事に気がつくや否や、すぐ取って返した。するとお秀の方で、今度は岡本の事を喋々ちょうちょうし始めた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
アントアネットはきれいなくり色髪の子で、上品で正直なフランス式の小さな丸顔、敏捷びんしょうな眼つき、つき出たひたい、ほっそりしたあご
はなは、つくづくとはじめて敏捷びんしょうそうなわたどりの、きれいなはねいろと、くろひかったと、するどいとがったつめとをながめたのであります。
公園の花と毒蛾 (新字新仮名) / 小川未明(著)
複雑な環境の変化に適応せんとする不断の意識的ないし無意識的努力はその環境に対する観察の精微と敏捷びんしょうを招致し養成するわけである。
日本人の自然観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
下っ引のかつが飛んで来ました。鋳掛勝いかけかつという中年男で、乾し固めたような小さい身体ですが、ガラッ八などよりは物事が敏捷びんしょうに運びます。
彼はシーニ街の方からやってきて、プティート・トリュアンドリー小路に向いてる補助の防寨を敏捷びんしょうに乗り越えてきたのだった。
だからケンが登山でならした腕だと自慢しても、また玉太郎が身体が軽く敏捷びんしょうだといばっても、ラウダにはとうていかなわない。
恐竜島 (新字新仮名) / 海野十三(著)
シャンとすると、驚くべき敏捷びんしょうさで、そこに置いてあった煉瓦を取り、こてを持ち、漆喰しっくいをすくって、壁の穴へ、煉瓦を二重に積み始めた。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
正井はひざを乗り出してから、しばらく黙って敏捷びんしょうに葉子の顔色をうかがっていたが、これなら大丈夫と見きわめをつけたらしく
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そして、うすい人参色のばさっとした眉毛の下から敏捷びんしょうな灰色の視線を動かして、夫人と会見を終って来た三人の表情をよみとろうとした。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
右側に通る電車の後を敏捷びんしょうに突き切り途端に鼻先きをかすめる左側の電車を、線路の中道に立止まってり過すときに掌で電車の腹をでる。
豆腐買い (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
おまけに祝言なんというやつはたいてい宵のくちにやるものだから、両方に義理を立てるとすればよっぽど敏捷びんしょうに動かないと間に合わない。
主計は忙しい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
樺は一見神経質らしい、それでいやに沈着おちつきすました若い男で、馬も敏捷びんしょう相好そうごうの、足腰のしまった、雑種らしい灰色なんです。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
するとそのとき、どろみぞからあがっていた石太郎は、ちくしょうと口ばしって、目にもとまらぬ敏捷びんしょうさで、いたちを地べたへたたきつけた。
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
いつのまにか敏捷びんしょうに借り出してきたとみえて、棒はなをそろえながら待っていたのは、お陸尺ろくしゃくつきのお屋敷駕籠かごが二丁——。
碧緑へきりょくとも紫紺しこんとも思われて、油を塗ったような光沢がある。胴体はいかにも華奢きゃしゃであるが、手足はよく均衡が取れていて、行動が敏捷びんしょうである。
誰が廻しているのだろう? 敏捷びんしょうらしい小兵こひょうの武士が、笑いながら棹をあやつっている。秦式部はたしきぶが曲芸をしているのである。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ミチはきつい眼になり、その白い頬を痙攣けいれんさせ、構えもせずに牝豹めひょうを思わせる敏捷びんしょうさで男に飛びつくと、その口に近い皮膚を力をこめてつねった。
刺青 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
しかし聡明な、敏捷びんしょうな思索家でいらっしゃるあなたには、わたくしの思っている事は、造做ぞうさもなくお分りになりましょう。
田舎 (新字新仮名) / マルセル・プレヴォー(著)
生命いのち取留とりとめたのも此の下男で、同時に狩衣かりぎぬぎ、緋のはかまひも引解ひきほどいたのも——鎌倉殿のためには敏捷びんしょうな、忠義な奴で——此の下男である。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
前にもちょっといった通り稀には敏捷びんしょうな娘はその結婚のために髪を洗うということを知って泣いて髪を洗わないのがある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
又指のさきの余り細り過ぎているような手が、いかに動かずに、殆ど象徴的に膝の上に繋ぎ合わされていたか、その癖その同じ手が、いかに敏捷びんしょう
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
いわんやわが邦人のごとき敏捷びんしょう円活そのもっとも融通変化、境遇に従い、事情に従い、適用の資格に富むをもって世界に評判高きものにおいてをや。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
彼は敏捷びんしょうに身をかわしたので、ちょうど床から立ち上がった友人が伊東の代わりにすっかりビールをかぶってしまった。
暴風雨に終わった一日 (新字新仮名) / 松本泰(著)
それが男よりもズット敏捷びんしょうで、向不見むこうみずと来ているのですから、Aはイヨイヨ仰天ぎょうてんして、悲鳴を揚げながら逃げ迷う。
キチガイ地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
お座敷も殊勝に敏捷びんしょうにしていたので倉持にもそこいらの芸者から受ける印象とは一風ちがった純朴じゅんぼくなものがあった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
かれはやせて敏捷びんしょうそうな少年だが、頭はおうぎのように開いてほおが細いので友達はしゃもじというあだ名をつけた。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
二人と同じようにほっそりしていて、同じようにきちんとした服を着ており、また同じようにしなやかで敏捷びんしょうであった。だが、まったくちがってもいた。
(新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
そしてこの人のどこに潜んでゐたかと思はれるほどの敏捷びんしょうな身のこなしで、小さなくぐり戸を押しあけると、その孔から風のやうに出ていつてしまつた。
春泥:『白鳳』第一部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
敏捷びんしょうそうな三十余りの人です。後になって、その人が小六を妻にしました。養子なのでしたが、家附いえつきの娘をてたのです。その娘は私の学校友達でした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
富田君がその間を水をのませ、言葉をかけつつ、敏捷びんしょうに立ち回っている。自分の力で動ける者は独りもいない。
長崎の鐘 (新字新仮名) / 永井隆(著)
綺麗きれいひげを剃って、敏捷びんしょうな顔つきをしていた。長い黒の外套がいとうに、焦茶色こげちゃいろフェルト帽、きびきびした早口だった。
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
闇太郎の行動は、例によって、敏捷びんしょうを極めているのだが、今夜は、相手は、なかなか厳しい準備が出来ていた。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
私は、ころんだり、傷したりしながら、猿のように敏捷びんしょうな兵さんの後姿を追いながら山中をかけて歩いた。
あまり者 (新字新仮名) / 徳永直(著)
外濠そとぼりの電車が来たのでかれは乗った。敏捷びんしょうな眼はすぐ美しい着物の色を求めたが、あいにくそれにはかれの願いを満足させるようなものは乗っておらなかった。
少女病 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
少年と見てあなどってかゝったらしかったが、鎗の穂先が数十匹のいなごの飛ぶように敏捷びんしょうに、寸刻の隙間すきまもなく迫って来るので、三四合すると早くも斬り立てられて
会見はひそかにかつ敏捷びんしょうに行われた。巡査等はすべて主任刑事の命令の下に行動した。捜索課長と主任刑事の二人は足音を忍ばせて庭を通って、家の中に入った。
四分の一マイルほどあるこの通りを、彼はそんなに年をとった人間には全く思いもよらない敏捷びんしょうさで駈け下り、追っかけるのに私は非常に難儀をしたほどであった。
群集の人 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
今の政府はただ力あるのみならず、その智恵すこぶる敏捷びんしょうにして、かつて事の機におくるることなし。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
沙金は、石段の上に腰をおろすかおろさないのに、市女笠いちめがさをぬいで、こう言った。小柄な、手足の動かし方にねこのような敏捷びんしょうさがある、中肉ちゅうにくの、二十五六の女である。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
客は其音が此へ自分の尋ねて来た時、何処からか敏捷びんしょうに飛出して来て脚元にじゃれついた若いいぬの首に着いていた余り善くも鳴らぬ小さな鈴の音であることを知った。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それから私立探偵が私の隣へかけると、白髪の老翁は老人とも思えぬ敏捷びんしょうさで、その前の空席を取った。これで四人がひざを交えた訳だが前の二人は間もなく会話を始めた。
急行十三時間 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)