憔悴しょうすい)” の例文
「今日、里見十左に会った」甲斐は暗い壁のほうへ眼をやりながら云った、「——失明して、躯もすっかり憔悴しょうすいしているようだった」
汚い着物に引きかえて、顔丈けは、汚れてもいなければ、栄養不良の為に憔悴しょうすいしてもいなかった。目鼻立ちのよく整った、真白な肌。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
と麗人糸子は、憔悴しょうすいした面に身躾みだしなみの頬紅打って、香りの高い煎茶の湯呑みを捧げ、帆村の深呼吸をしているバルコニーに現われた。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
が、そうした風光のうちを、熱海から伊東へ辿る二人の若い武士は、二人とも病犬か何かのように険しい、憔悴しょうすいした顔をしていた。
船医の立場 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
魂の輝きを浮かべてる憔悴しょうすいしたその顔、熱い炎が燃えてるビロードのような美しいその眼、怜悧れいりそうな長いその手、無格好なその身体
鼠色ねずみいろの壁と、不景気なガラス窓とに囲まれた、伽藍がらんのような講堂には、何百人かの罹災民諸君が、雑然として、憔悴しょうすいした顔を並べていた。
水の三日 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
一夜を妓楼ぎろうに明かした彼は伯母おばへの手前、そういう場合にすぐそれと気取けどられるような憔悴しょうすいした後ろ暗いさまを見せまいとして
この二つの心がわたしのむねの中でいつもかみあっておりますので、わたしはこんなに憔悴しょうすいいたしてしまったのでございます。ええそうです。
おしどり (新字新仮名) / 新美南吉(著)
が、四人のひどい憔悴しょうすいの仕方を見ると、ごく簡単な説明だけで、この一年の辛苦が、どんなにひどいものだったか充分に想像できるのだった。
キャラコさん:04 女の手 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
が、持ぬしは、意気沈んで、ひげ、髪もぶしょうにのび、おもて憔悴しょうすいはしていたが、素純にして、しかも謹厳なる人物であった。
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そして、思いなしか、眼の光にも曇りが出来て、何となしに憔悴しょうすいした表情がこの人の全外容に表われているのであった。
雑記(Ⅱ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
あの方は驚くほど憔悴しょうすいなすっていられるように見えた。そのおせ方やお顔色の悪いことは、私の胸を一ぱいにさせた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
二三日の間に憔悴しょうすいのあらわれた顔を新道へ向け、その長い道の上にちょこんと滑稽に干されている仏壇を眺めていたが
播州平野 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
同じ年(一八八九年)の暮、二年前に独艦上に姿を消して以来まるで消息の知れなかった前々王ラウペパが、ひょっこり憔悴しょうすいした姿で戻って来た。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
どことなく老いて憔悴しょうすいしている母が、第一番に言った言葉は、「待っとったけん! わしも気が小さくなってねえ……」
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
こんな言葉をかわした後、間もなくお民はしたくのできたぜんを台所から運んで来た。憔悴しょうすいした夫のためにつけた一本の銚子ちょうしをその膳の上に置いた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
といわれ、はじめて気がついたように折竹をみると、色こそ、猓玀ローロー𤠫𤠫リューシのような夷蛮いばんと異らないが、どこかに影がうすれたような憔悴しょうすいの色がある。
人外魔境:03 天母峰 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
たゞ何事にも堪えて、その苦悩に絞られて、心や身体から刻々に精力が脱けて行くのを必死の緊張で眺めているだけだ。蝶ちゃんは、僕の憔悴しょうすいを軽蔑する。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しかし、長陣のやつれと、苦慮の憔悴しょうすいは、くちのまわりのひげにも、くぼんでいる眼にもおおい得ないものがある。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「年が行ってしまうと恥ずかしい目にあうものです。こんな恋の憔悴しょうすい者にせめて話を聞いてやろうという寛大な気持ちをお見せになりましたか。そうじゃない」
源氏物語:20 朝顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
とし五十に満たざるがごとくなれど、まなこの色、よのつねのものには似ず、面色憔悴しょうすいして蒼白く、手には珠数を下げ僧衣古びたれどみずから別をなす格位を保てり。
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
私は日々に憔悴しょうすいし、血色が悪くなり、皮膚が老衰によどんでしまった。私は自分の養生ようじょうに注意し始めた。
猫町:散文詩風な小説 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
初めは一種の畏怖いふと親しみであったものが、逆にこうじて、茫然と限界に拡がり満ちる痴川の生存そのものをみ呪う気持が伊豆の憔悴しょうすいした孤独を饒舌じょうぜつなものにした。
小さな部屋 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
遥か彼方の松に白鷺の群がるのを見れば、ややっ、あれは源氏の白旗ではないかと浮足立ち、海に野雁が鳴けば、敵兵のときの声かと顔色を変えた。誰もが憔悴しょうすいしていた。
「駄目だよサッチゃん。十月までたないよ。憔悴しょうすいしちゃったよ。寝なきゃあならないんだ」
丹尾の顔は疲労のためか、酔いのせいか、四日前にくらべると、すこし憔悴しょうすいし荒んでいた。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
永い闘いに憔悴しょうすいしきった顔にいっそうの苦悩の色をみせながらルーダオは径々みちみちつぶやいていた。耕作小舎に辿りつくと、ルーダオは妻と十四になる娘とだけを伴って中に入った。
霧の蕃社 (新字新仮名) / 中村地平(著)
ひげ蓬々ほうほうとして顔色憔悴しょうすいしていたが、事件発生後一週間目に当る去る三十一日夜、何処いずこよりか一通の女文字の手紙が同氏宛配達されて以来、何故なにゆえか精神に異状を来たしたものらしく
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
いかに紋也の憔悴しょうすいしたことか! 眼窩がくぼんで蔭をなしている。頬の肉がゲッソリと落ち込んで、頬骨が高く立っている。髷はほぐれて乱れた髪を、枕の外へはみ出させている。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
憔悴しょうすいしぼろをまとい疲れ切ってる防寨の人々は、二十四時間の間一食もせず、一睡もせず、余すところは数発の弾のみとなり、ポケットを探っても弾薬はなく、ほとんど全員傷を受け
A・B・C・C(原子爆弾影響研究所)で診察してもらうと、皮膚の一部を切とって、研究のため、本国へ送られたというのである。この前見た時にくらべると、兄の顔色は憔悴しょうすいしていた。
永遠のみどり (新字新仮名) / 原民喜(著)
衰残すいざん憔悴しょうすい零落れいらく、失敗。これほどあじわい深く、自分の心を打つものはない。暴風あらしに吹きおとされた泥の上の花びらは、朝日の光に咲きかけるつぼみの色よりも、どれほど美しく見えるであろう。
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
晝間ひるまから一と間に閉じ籠って病人のようにしていることがしば/\であったし、餘所目よそめにもひどく憔悴しょうすいして、鬱々うつ/\としているように見えたので、そう云う父が子供にはひとしお薄気味悪く
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
さなきだにかれ憔悴しょうすいしたかお不幸ふこうなる内心ないしん煩悶はんもんと、長日月ちょうじつげつ恐怖きょうふとにて、苛責さいなまれいたこころを、かがみうつしたようにあらわしているのに。そのひろ骨張ほねばったかおうごきは、如何いかにもへん病的びょうてきであって。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
とにかく、江戸の市中を、喰うものも喰わず、喪家そうかいぬのように、雪溶けの泥濘でいねいを蹴たててうろつき廻っていた。そして、その暮方に、憔悴しょうすいしきった顔をして、ぼんやり両国の橋のたもとへ出てきた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
手に/\薪を負ひて樵路しょうろを下り来るに逢ひ、顛末を語り介抱せられて家に帰り着きたりしが、心中鬱屈うっくつし顔色憔悴しょうすいして食事も進まず、妻子等色々と保養を加へ、五十余日して漸く回復したりと也。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
私は、黒住が来たら、いまの今まで、約束の時間を無視したことを、詰ってやろう、と心構えにしていたのだが、一目彼の様子を見ると、その余りに憔悴しょうすいした容貌に押されて、口をつぐんでしまった。
蝕眠譜 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
彼は自分の心からの憔悴しょうすいを彼女の前で隠した。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
また憔悴しょうすいした絶望の表情も見えなかった。
肉体の憔悴しょうすいは彼と大差なかったが、私の頭髪は、あの穴の中の数日間に、全く色素を失って、八十歳の老人の様に真白に変っていた。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
年よりもはるかにもの識らずだった彼女は、恐怖と苦痛と不眠とで、数日のうちに驚くほど憔悴しょうすいした。松室には病身のしゅうとめがいた。
柘榴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
第二にその後ろ姿は伝吉の心にえがいていたよりもずっと憔悴しょうすいを極めていた。伝吉はほとんど一瞬間人違いではないかと云う疑いさえ抱いた。
伝吉の敵打ち (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
この男は、オーストリア帝国の一首相の親戚しんせきに当たる名家の貴族であって、気取りやで、道楽者で、伊達だて者で、早くも憔悴しょうすいしてしまっていた。
あの方は驚くほど憔悴しょうすいなすっていられるように見えた。そのお痩せ方やお顔色の悪いことは、私の胸を一ぱいにさせた。
楡の家 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
子規の葬式の日、田端たばたの寺の門前に立って会葬者を見送っていた人々の中に、ひどく憔悴しょうすいしたような虚子の顔を見出したことも、思い出すことの一つである。
高浜さんと私 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
お目にかかるまでは、どんなに憔悴しょうすいしておられるかと思っていたんですが、この様子ならばもう大丈夫です。ひとつ、御安心なさるようによくかきましょう。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
頼政はもうせきもしない。憔悴しょうすいしていた顔色にも、近頃にない元気を取りもどして、矢つぎ早に、訊ね出した。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は、初めてその男の姿をマジマジと観察したのだったが、思ったよりは遙かに、若い男だった。年齢としのころは二十四五でもあろうか。だが非常に憔悴しょうすいしていた。
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
あんまり朝鮮王の逃足が早いので、一明使は朝鮮王が、日本軍の先鋒を承って居るのではないかと疑ったが、王の顔色憔悴しょうすいして居るのを見て疑を晴した程である。
碧蹄館の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
この二日のうちに、いよいよもって憔悴しょうすいした源右衛門とむかいあって坐っているのが、仙波阿古十郎。
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)