宛名あてな)” の例文
榛軒は抽斎より一つの年上で、二人のまじわりすこぶる親しかった。楷書かいしょに片仮名をぜた榛軒の尺牘せきどくには、宛名あてなが抽斎賢弟としてあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
宛名あてなの書き方に特別なくふうをこらしていたし、また切手をはるにも、封筒の下部の右のすみに、逆さに斜めにはりつけることにしていた。
書いてはすて、書いてはすて、博士はなんども書きなおして、やっと一つう手紙てがみをかきあげると、ふうをして、宛名あてなをしたためた。
藩公の名には墨印と花押かおうがしるされているし、宛名あてなのところには「道次諸藩御老職中」と書いてあった。かねは顔色を変えた。
ひとごろし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
用談は御面晤ごめんごの節と書いてある。とるものもとりあえず宛名あてなのところへ訪ねて行ったが、手紙の主は他出したまま、まだ帰っていなかった。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「マダム・ジャルダン」といわないで「マドモワゼル・ジャルダン」としたについては宛名あてなの末に下の如く追記してある。——
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼は自分で小金の宛名あてなしたためて、裏の白い燈台の傍には「御存じより」と書いた。この「御存じより」が三吉を笑わせた。彼も何か書いた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
勧学院も大学寮も、またその穀倉院も、みな壬生みぶの一地域なので、遠くはない。しかし、宛名あてなの人は、そこにもいなかった。
合宿前の日当りの芝生しばふに、みんなは、円く坐って、黒井さんが読みあげる、封筒ふうとう宛名あてなに「ホラ、彼女かのじょからだ」とか一々、騒ぎたてていました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
そして電話のベルが鳴るたびに、どこから来るあてもない凶報が今に来はしないかと受話器を耳にあて、受信人の宛名あてなを聞きとるまで胸が騒いだ。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
ついに思いきった様子で、宛名あてなは書かず、自分の本名のお里のさじるしとのみ筆を加え、結び文にしてまた袂へ入れた。それでまたしばらく考えていた。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
翌朝早く目を醒すと、私は廣告を書いて起床の呼鈴ベルが鳴る前に封をし、宛名あてなしたゝめた。それは次の通りである——
取次の爺さんは黙ってそれを受取って、朱塗りのふたの上に書いた宛名あてなの文字をつくづく眺めていたが、「ちょっと待て」と言い捨てたまま、奥へはいった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
のみならず宛名あてなは小林に違なかったけれども、差出人は津田の見た事もいた事もない全く未知の人であった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
先方の宛名あてなは、小坂吉之助氏というのであった。あくる日、眼光鋭く、気品の高い老紳士が私の陋屋ろうおくを訪れた。
佳日 (新字新仮名) / 太宰治(著)
いちいちくりひろげて見ると、たどたどしい言葉で、思いのたけをかき口説いた紋切型のものばかり、宛名あてなはみんなお嬢様、——利吉より、となっております。
これは原君の所へ来た、おばあさんだが、原君が「宛名あてなは」ときくと、平五郎さんだとかなんとか言う。
水の三日 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
仕上げの済んだ面を、彼がそれぞれ紙につつんで、私に渡すに従って、私は筆を執って宛名あてなしるした。
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
「天文台で思ひ出したが、おれとお前の宛名あてなで学校から(それは寄宿学校の意味だつた)招待状が来てゐたぜ。何とか博士の彗星の講演があるさうだよ。行つて見るかい?」
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
それで手紙は一たん終わったが、宛名あてなのあとにさらにつぎの三行ほどが書きそえてあった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行きて、手をたたけば宛名あてなの人いでべしとなり。この人け合いはしたれども路々みちみち心に掛りてとつおいつせしに、一人の六部ろくぶに行きえり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
あたしの写真をね、どうしてそんな場所ところへもってらっしゃったのか、芸妓げいしゃが拾ってね、あてつけだって怒ったの。お嬢さんへって宛名あてなで、随分しどいこと書いてよこしたのですって。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
見も知らず、聞きも習はぬ人々の人傳ひとづてに送る薄色うすいろの折紙に、我を宛名あてなの哀れの數々かず/\
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
不思議なことには、その書面には、日付も、差出人も宛名あてなも書かれていなかった。
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
一通の手紙を書いて、上に三田みたむら村長石野栄造様という宛名あてなを書いた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
をとこ呼吸いきめた途端とたんに、立留たちどまつたさかくち。……病院下びやうゐんしたかどは、遺失おとすくらゐか、路傍みちばた手紙てがみをのせてても、こひ宛名あてなとゞきさうな、つか辻堂つじだうさいかみ道陸神だうろくじんのあとらしいところである。
艶書 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そして、その昼過ひるすぎには、小包こづつみ宛名あてないえ配達はいたつされました。
飴チョコの天使 (新字新仮名) / 小川未明(著)
あし贈物おくりものをするなんて餘程よツぽど可笑をかしいわ!宛名あてなんなにへんでせう!
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
彼は厩舎の戸口へ行って、明るい外光に宛名あてなをかざした。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
宛名あてなも宿所も皆朱なのです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
宛名あてなは「大阪市新町九軒粉川様内おすみどの」とあり、差出人は「大和国吉野郡国栖村窪垣内くぼかいと昆布助左衛門内」となっていて
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それは恐るべき長い時間と労力をついやして、やっとの事無事に宛名あてなの人に通ずるや否や、その宛名の人をして封を切らぬ先に少しはっと思わせた電報であった。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
最後にある日——五、六か月後のことだったが——他の女と結婚したという宛名あてな自筆の通知状を受け取った。
このごろ雑誌などに発表される高木との往復書簡には、一つとして宛名あてなの千恵子に様がついていない。
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
縁に腰かけたまま、頼朝は一筆書いて、封の上に、北条どの御内おんうちとし、政子の君へと宛名あてなした。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宛名あてな苾堂ひつどう桑原氏くわばらうじ、名は正瑞せいずいあざな公圭こうけい、通称を古作こさくといった。駿河国島田駅の素封家で、詩および書を善くした。玄孫喜代平きよへいさんは島田駅の北半里ばかりの伝心寺でんしんじに住んでいる。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そのころ仲たがいをしていた尾崎紅葉さえ、宛名あてなを、蝴蝶殿へとした公開状で
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
利吉の手紙の宛名あてなは、殺されたお京ではなくて、主人の娘お喜多だつたのです。
ひらいてある手紙で、宛名あてなは兵庫、裏には汝生なおという妹の名が書いてあった。
雨の山吹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
彼女は手紙の中の宛名あてなをも今までのように「叔父さん」とは書かないで、「捨吉様」と書くほどの親しみを見せるように成った。同族の関係なぞは最早この世の符牒ふちょうであるかのように見えて来た。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
宛名あてなは、周樹人殿、としてある。差出人は、直言山人、となっている。下手へた匿名とくめいだなあ、といささかあきれ、顔をしかめて手紙の内容を読んでみた。内容の文章は、さらにもっと下手くそであった。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
それも差出人さしだしにんとはせいのちがった宛名あてなが多かったようだ。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
表は三四郎の宛名あてなの下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
壽阿彌の手紙の宛名あてな桑原苾堂が何人かと云ふことを、二宮孤松さんに由つてほゞ知ることが出來、置鹽棠園さんに由つてくはしく知ることが出來たので、わたくしは正誤文を新聞に出した。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
手紙の宛名あてなを大石小石先生と書いてきたりするのだが、人間の成長の過程かていのおもしろさは、母の予言どおりおしゃべりの小ツルを幾分いくぶんひかえ目に、無口な早苗をてきぱき屋に育てていた。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
さっそく、手紙を持って、城内金梁橋きんりょうきょうの近くという宛名あてなの人をさがし歩いた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宛名あてなも何も書いて無い。
女の決闘 (新字新仮名) / 太宰治(著)
看護婦は「へえ」と云って封書を受け取ったなり、どこに急な用事ができたのだろうという顔をして、宛名あてなを眺めた。津田は腹の中で往復に費やす車夫の時間さえ考えた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
文末に「松菊生しょうぎくせい」と署名して、宛名あてなは、薩艦さつかん、大山格之助殿——。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宛名あてなをかいて、「これを」と出す。細君は下女を呼んで渡してやる。自分は動かない。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)