“苾堂”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
ひつだう50.0%
ひつどう50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
清常は壽阿彌が出家した文政五年の後八年、眞志屋の火災につた文政十年の後三年、壽阿彌が苾堂ひつだうに與ふる書を作つた文政十一年の後二年にして歿した。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
壽阿彌じゆあみの手紙は苾堂ひつだうと云ふ人にてたものであつた。わたくしは初め苾堂の何人たるかを知らぬので、二三の友人に問ひ合せたが明答を得なかつた。そこで苾堂はたれかわからぬと書いた。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
宛名あてな苾堂ひつどう桑原氏くわばらうじ、名は正瑞せいずいあざな公圭こうけい、通称を古作こさくといった。駿河国島田駅の素封家で、詩および書を善くした。玄孫喜代平きよへいさんは島田駅の北半里ばかりの伝心寺でんしんじに住んでいる。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)