黙然もくねん)” の例文
旧字:默然
しばらく黙然もくねんとして三千代の顔を見ているうちに、女の頬から血の色が次第に退ぞいて行って、普通よりは眼に付く程蒼白くなった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あゝ、大尽が忍んで出るのであらう、と丑松は憐んで、黙然もくねんとして其処に突立つて見て居るうちに、いよ/\其とは附添の男で知れた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
こんなにして殆ど無為に而も自由なしに終日黙然もくねんと坐つて居るよりは、残酷に追ひ𢌞され、こき使はれる方がましだとさへ思つた。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
その日も、藤吉郎は黙然もくねんと帰った。こういうふうに何べんか訪問した。しまいには、彼の顔を見ると小熊は笑ってばかりいて
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれはその眼を半眼はんがんにひらき、周囲のさわがしさとはまるで無関係に、湯ぶねのすみに、黙然もくねんとして首だけを出していることがよくあった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
黙然もくねんと聞く武男はれよとばかり下くちびるをかみつ。たちまち勃然ぼつねんと立ち上がって、病妻にもたらし帰りし貯林檎かこいりんごかごをみじんに踏み砕き
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
ホーベスは黙然もくねんとして、ただ頭をたれている。かれはさすがに、ケートや少年たちと面をあわすのが、はずかしいとみえる。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
柳しだるる井のほとりに相対して黙然もくねんとして見るべからざる水底すいていうかがふ年少の男女、そも彼らはたがいの心と心に何をか語り何をか夢見んとするや。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そう云う消息しょうそくに通じている洋一は、わざと長火鉢には遠い所に、黙然もくねんと新聞をひろげたまま、さっき田村たむらに誘われた明治座の広告を眺めていた。
お律と子等と (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それがいつもの習慣と見えて、退屈男も黙然もくねんとして起き上がりながら、黙然として寝間着に着替えようとした刹那! 聞えたのはすすり泣きです。
叔父は窓をうち開いて黙然もくねんと外を見ていた。彼は忍び足に近寄って、その顔を見つめた。叔父は地面に眼をすえて、だらりと両手を窓に置いている。
恩人 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
ある日甚三は裏庭へ出て、黙然もくねんと何かに聞き惚れていた。夕月がのぼって野良のらを照らし、水のような清光が庭にさし入り、厩舎うまごやの影を地に敷いていた。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しかも菊之丞きくのじょうの冷たいむくろを安置あんちした八じょうには、妻女さいじょのおむらさえれないおせんがただ一人ひとりくびれたまま、黙然もくねんひざうえ見詰みつめていた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
前後の利害を打算しているいとまはないのだ。彼は木戸口の所に黙然もくねんと佇んだまま、全気力を頭脳に集中した。全く不可能な事柄を、為しとげなければならぬのだ。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その夜、竜之助はおのが室にくるまで黙然もくねんとして、腕を胸に組んで身動きもせずに坐り込んでいます。
何でも買いなの小父さんは、紺の筒袖を突張つっぱらかして懐手の黙然もくねんたるのみ。景気のいのは、蜜垂みつたらしじゃ蜜垂じゃと、菖蒲団子あやめだんごの附焼を、はたはたとあおいで呼ばるる。
茸の舞姫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
チリガンチリガンチリガーチテン、トツントツンルン、やあルルトンと右手で激しくひざたたきながら口三味線で教えていたがついには黙然もくねんとしてぱなしてしまった。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
山王さんのうわきの日光修営奉行所の奥の奥、壁の厚い一間に、三人の人影が黙然もくねんと腕をこまぬいている。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
あるいは黙然もくねん遊動して谷より谷に移るもの、往々にして動かざる自然を動かし、変わらざる景色を変え、塊然たる物象を化して夢となし、げんとなし、霊となし、怪となし
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
私だけは味わっているわけなのであるが、今まで憂鬱ゆううつ千万な顔をして黙然もくねんと死んだようにヒシ固まっていたオヤジが、急に気も軽々とハシャギ出すのは、よほど滑稽こっけいなのであろう。
雷嫌いの話 (新字新仮名) / 橘外男(著)
気に逆らつてもならぬからとて義母ははが手づから与へられし皮蒲団かはぶとんもらひて、まくらもとを少し遠ざかり、吹く風を背にして柱のきは黙然もくねんとしてゐる父に向ひ、静に一つ二つことばを交へぬ。
うつせみ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
彼は泣きたくも泣き出されないような思いを抱きながら、黙然もくねんとして山を下りて来た。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
と血にまみれたる両手をあわせ、涙ながらに頼みます恩愛のじょうせつなるに、重二郎と清次と顔を見合わせてしばら黙然もくねんといたして居りますと、蔵の外より娘のおいさが、網戸をたゝきまして
父親はそれに向かって黙然もくねんとしていた。母親は顔をおおって、たえずすすりあげた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
風で声がとどかないのか、うずを巻いているような水のなかで、与平は黙然もくねんと向うを向いたままでいる。口もとに手をやって乗り出すような恰好かっこうで千穂子がもう一度、大きい声で呼んだ。
河沙魚 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
父の主膳も、娘の桂も、暫くは黙然もくねんとして、唯驚きの眼を見張るばかりです。
文三は黙然もくねんとして暫らく昇の顔を凝視みつめていたが、やがて些し声高こわだか
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
大噐氏は全く不知案内ふちあんないの暗中の孤立者になったから、黙然もくねんとして石の地蔵のように身じろぎもしないで、雨に打たれながらポカンと立っていて、次の脈搏、次の脈搏を数えるが如き心持になりつつ
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
お互に非常によく似た父と子とが、銘々の両の眼が互に近よっていると同じように二つの頭を近よせながら、フリート街の朝の人通りを黙然もくねんと眺めている様子は、二匹の猿にすこぶる類似していた。
私は、霜白き暁を、多少の感傷をもって黙然もくねんとしている。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
と詰め寄れば、フルコム黙然もくねんとして早や返答がない。
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)
俊寛 (黙然もくねんとして目を閉じている)
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
(農民等 黙然もくねん
植物医師:郷土喜劇 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
しばらく黙然もくねんとして三千代の顔を見てゐるうちに、女のほゝからいろが次第に退しりぞいてつて、普通よりはに付く程蒼白あをしろくなつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ただ彼は石の柱の側に黙然もくねんと腰掛けて、仮令たとえわずかの間なりとも「永遠」というものにむかい合っているような旅人らしい心持に帰って行った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
黙然もくねんと、その火を、善信はすこし離れた所に立って見惚みとれているのだ。——照らされている白い顔が、微笑すらうかべているように見える。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
受話器を置いた陳彩ちんさいは、まるで放心したように、しばらくは黙然もくねんと坐っていた。が、やがて置き時計の針を見ると、半ば機械的にベルのボタンを押した。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
一同の意気はとみにあがった、だがただひとり、ゴルドンはしじゅう黙然もくねんと腕を組んで一言も発しなかった。思慮しりょ深いかれはこの冒険ぼうけんをあやぶんだ。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
それなり種彦を初め一同は黙然もくねんとして一語をも発せず、訳もなく物に追わるるように雷門の方へ急いで歩いた。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
看護員は傾聴して、深くそのことばを味いつつ、黙然もくねんとして身動きだもせず、やや猶予ためらいてものいわざりき。
海城発電 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
黙然もくねん、松の木のような腕を組んで聞いていた泰軒の眼から、大粒の涙がホロリと膝を濡らすと、かれはあわてて握りこぶしでこすって横を向いてすぐ大声に笑い出した。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
七年の間夢にもそれと、知ったでもないから、今は全く此家のむすめだ、と云う事をこまごまと話した。お光は黙然もくねんとして聞いて居たが、聞き終って涙ぐんで俯むいてしまった。
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
弁信法師は今黙然もくねんとして、かつて聞いた片海かたうみ、市河、小湊の海の響を思い出しているのです。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
身じろぎもせずに黙然もくねんとふりそそいでいるその月光をきいったままだった。
十万石の怪談 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
文三は黙然もくねんとしてお勢の顔を凝視めていた、ただよろしくない徴候で。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
暫くは草刈鎌を手に持ったなり黙然もくねんとして居りました。
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
卓によったまま広太郎、黙然もくねんとして考えていた。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この時まで黙然もくねんとして虎の話をうらやましそうに聞いていた武右衛門君は主人の「そうさな」で再び自分の身の上を思い出したと見えて
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
なにをいっても、伊那丸は黙然もくねんと、をみださずにすわっていた。ただこころの奥底まで見とおすような、つぶらなひとみだけがはたらいていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先生は無造作むぞうさ挨拶あいさつをしてから、黄一峯こういっぽうに対しました。そうしてしばらくは黙然もくねんと、口髭くちひげばかりんでいました。
秋山図 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)