飄然ひょうぜん)” の例文
道也先生は例のごとく茶の千筋せんすじ嘉平治かへいじ木枯こがらしにぺらつかすべく一着して飄然ひょうぜんと出て行った。居間の柱時計がぼんぼんと二時を打つ。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
おれは飄然ひょうぜんと日本から影を消し、徳川万太郎は失意の結果、身を隠したのだろうと人の取沙汰とりざたする時分に、羅馬王朝の貴族となり
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここにおいて甲斐守はあらたに静岡の藩主となった徳川氏のもとに赴きみずから赦免を請うたのち白髪はくはつ孤身こしん飄然ひょうぜんとして東京にさまよいきたったと云う。
枇杷の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その翌日、御座平之助が飄然ひょうぜんと現われたのである、彼の風貌はすでに紹介してあるから、忘れた読者は前を参照して頂けばいい。
風流化物屋敷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
逢坂山おうさかやまの大谷風呂を根拠地とした不破の関守氏は、その翌日はまた飄然ひょうぜんとして、山科から京洛を歩いて、夕方、宿へ戻りました。
しか彼女かれは別に何をするでもなく、門前の往来に飄然ひょうぜんと立っているだけの事であるから、市郎も改まってとがめる訳には行かぬ。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それから同夜九時頃になると「飯喰いに行って来る」と称して飄然ひょうぜんとして下宿を出でそのまま行衛ゆくえくらましたとの事であるが
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
どうせ太閤などには、風流の虚無などわかりっこないのだから、飄然ひょうぜんと立ち去って芭蕉ばしょうなどのように旅の生活でもしたら、どんなものだろう。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
私は二枚ばかりの単衣ひとえを風呂敷に包むと、それを帯の上に背負って、それこそ飄然ひょうぜんと、誰にも沈黙だまって下宿を出てしまった。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
そんな飄然ひょうぜんとした思いが、わざわいとなって、現在こんな苦痛をなめなくてはならなくなるということが、そのときにどうしてわかりましょう。
人魚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
そこで一つ広く人情風俗に通じるため近々孤影こえい飄然ひょうぜん日本全国遊覧の旅途りょとのぼる積りだ。先刻さっきからイヨ/\やると言っているのはこの旅行のことさ
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
さすがに一封の手紙を残して、筆に心を知らせたるまま、光代にも告げず善平にも告げず、飄然ひょうぜんとして梅屋を立ち去れり。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
その後翁は、飄然ひょうぜんとしてこの教会堂を去って何処いずくへ行ったか姿を隠してしまった。今でも、この蔦の絡んだ教会堂は、その儘になって建っている。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
この事があってから、婆さんの尼は、坂東三十三番に、人だすけの灸を施し、やがては高野山に上って更に修行をすると云って、飄然ひょうぜんうちを出た。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
だから彼が、まるで黒いゴム風船のように、飄然ひょうぜんとこの屋上庭園に上ってきたとて、誰もとがめる人などありはしない。彼はシイカの事を考えていた。
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
むしろ、平凡な絵画愛好者が版画屋の窓から窓へとぶらぶらのぞき歩いてゆくときのように、飄然ひょうぜんと見てきたのだ。
いずこへともなく飄然ひょうぜんと姿を消したわが退屈男は、それから丁度十八日目の午下ひるさがり、霞に乗って来た男のように、ふんわりと西国さいごく、京の町へ現れました。
飄然ひょうぜんとしてホウゴウ社にむかったのである。あとに従うものは一郎二郎の妻子を始め、一族約二十余名があった。
霧の蕃社 (新字新仮名) / 中村地平(著)
ある朝新聞を読んでいると、信濃山中の温泉で或朝早く飄然ひょうぜん出立した貴公子風の青年があり、あとで女中が便所の中に首くくりの縄の切れたあとを発見した。
篠笹の陰の顔 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
すると、お豊殺害の日から十二日を経た一昨日の朝、行方をくらましていた信次郎が、飄然ひょうぜんとして帰ってきたのであります。彼は四十前後の人相の悪い男です。
白痴の知恵 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
忠僕の爺は悲運の迫った主家の邸下にひざまずいて慟哭し、山村の人々にも一々腰を曲げて別れを告げ飄然ひょうぜんと出掛けて来た。まだ山の峠には雪が真白く積っていた。
土城廊 (新字新仮名) / 金史良(著)
甲板の女の方へ手を挙げて、二三遍振ったと思うたら、飄然ひょうぜんと身をひるがえして僕等より先に行ってしもうたりして
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
当時外国公使はいずれも横浜に駐剳ちゅうさつせしに、ロセツは各国人環視かんしの中にては事をはかるに不便ふべんなるを認めたることならん、やまいと称し飄然ひょうぜん熱海あたみに去りて容易よういに帰らず
けれども試験を受けぬ訳には往かぬから試験前三日といふに哲学のノート(蒟蒻板こんにゃくばんりたる)と手帳一冊とを携へたまま飄然ひょうぜんと下宿を出て向島の木母寺もくぼじへ往た。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
けろりとなるといったふうな飄然ひょうぜんとしたなかに、いかにも温情のあふれている先生で、年歳としはもう四十を越していたが、師範を出ていないせいか、学校での席次は
次郎物語:02 第二部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
片岡中将はさんぬる五月に遼東より凱旋しつ。一日浪子の主治医を招きて書斎に密談せしが、その翌々日より、浪子を伴ない、の幾を従えて、飄然ひょうぜんとして京都に来つ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
飄然ひょうぜんやって来たのは飛白かすり単衣ひとえ瀟洒しょうしゃたる美少年であって、これが漣であると紹介された時は、かねて若い人だとは聞いていたが、余り若過ぎるので喫驚びっくりしてしまった。
それは明治十五六年ごろの秋のことであった。ある日、一人の旅僧が飄然ひょうぜんとやって来て、勘右衛門かんえもんという部落でも一番奥にある猟師の家の門口に立って、一夜の宿をうた。
風呂供養の話 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
助左衛門はおどろいたような顔もせず、それならばといって、邸を大安寺に寄進し、一族をひきつれて飄然ひょうぜんと堺の浦からって行った。それは吉之丞も聞いて知っていた。
呂宋の壺 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
女は門の外へ出た。景もまたそれについていったが、女はとうとう飄然ひょうぜんといってしまった。景はそれに追っつこうとしたが追っつけなかった。景はもだえながら返って来た。
阿霞 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
すなわち飄然ひょうぜんと東京駅へ出て、黒雲物凄ものすごき都を去り、人に行方を知らせず、約一月半程行方不明になったのである。実は郷里の名古屋へ行って、兄の家に泊めて貰っていた。
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
酒気を帯びて飄然ひょうぜんと『柳亭』に現れた——例によってお玉に金の無心をしたが、たびたびのことなので取り合わなかった——武太郎は激怒してさんざん乱暴狼藉ろうぜきを働いた揚句
暴風雨に終わった一日 (新字新仮名) / 松本泰(著)
昔は一国の帝王が法王の寛恕かんじょを請うために、乞食の如くその膝下ひざもとに伏拝した。又或る仏僧は皇帝の愚昧なる一言を聞くと、一拶いっさつを残したまま飄然ひょうぜんとして竹林に去ってしまった。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
この間信州へ行くつもりで、中央線の二等車に一人おさまっていると、飄然ひょうぜんとして枢密院すうみついんの内田伯が入ってこられた。いわゆる微行で富士の五湖巡りをするのだという話である。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
文吉は、もう老隠居を見ているのに飽きたらしくあっさり「さよなら」と言って飄然ひょうぜんと去ります。今度はわたくしを連れて来たのを忘れたと見え、わたくしは置いてけぼりです。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
貧乏のためにあなどりをこうむることとてはなき世の風俗なりしがゆえに、学問には勉強すれども、生計の一点においてはただ飄然ひょうぜんとして日月じつげつしょうする中に、政府は外国と条約を結び
果して安国寺さんは私との交際を絶つに忍びないので、自分の住職をしていた寺を人に譲って、飄然ひょうぜんと小倉を去った。そして東京で私の住まう団子坂上の家の向いに来て下宿した。
二人の友 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
十月一日の夜、松村子爵は飄然ひょうぜんとしてMホテルにあらわれた。その前夜は沼津のN旅館で送ったとの事だった。Mホテルに来てからの子爵の様子には一向に変ったようすがなかった。
正義 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
中之島公園の川岸にたたずんで死を決していた長藤十吉君(当時二十八)を救って更生こうせいへの道を教えたまま飄然ひょうぜんとして姿を消していた秋山八郎君は、その後転々として流転るてんの生活を送った末
アド・バルーン (新字新仮名) / 織田作之助(著)
むっくりと頭を持ちあげている達磨だるまの姿に似た飄然ひょうぜんたる峰を見出すであろう。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
元禄五年の春、五十二歳になった上野介は飄然ひょうぜんとして領地へかえってきた。着いたのは三月のはじめの雨の日である。大気はまだうすら寒かったが華蔵寺には早くも春の気配がただよっていた。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
三百円を受けた時はうれしくもなく難有ありがたくもなく又いやとも思わず。その中百円を葬儀の経費に百円を革包に返し、のこりの百円及び家財家具を売り払った金を旅費として飄然ひょうぜんと東京を離れて了った。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
今から一月以前であるが、どこからともなく飄然ひょうぜんとその老人はあらわれた。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それはこの老漁夫ではなくて、知合いの別の漁師の実見談なのだが、ある日、目のギョロギョロしたみすぼらしい風体の男が、飄然ひょうぜんとK港に現われて、丁度今の私達の様に、岩屋島へ渡った。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
田島先生が飄然ひょうぜんとしてこの南海の楽園に再来されんことを祈るのである。
「古琉球」自序 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
呶鳴るだけどなってしまうと、三次は人を分けて飄然ひょうぜんと帰って行った。
無始の始より無終の終に至るまで、無限の限、無涯の涯の間に、飄然ひょうぜんとして浮かび塊然として懸かり、自生自存、独立独行、霊々活々の真体をいう。だれもその名を知らずして、その体あるを知る。
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
もう少し飄然ひょうぜんとした、あくぬけたところがなければいけない。心から人を笑わせるには、ああでは出来ない。マークトゥエンはあんな訳しようをされて、どんなに恨めしやと思って居るかしれない。
そこで半蔵は飄然ひょうぜんと出かけた。戸長の旅費、一日十三銭の定めとは、ちょっと後世から見当もつかない諸物価のかけ離れていた時代だ。それも戸敷割でなしに、今度は彼が自分まかないの小さな旅だった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
平次は一人言のように言って、升屋から飄然ひょうぜんと立去りました。