ボタン)” の例文
恋をする男が、ブラッシュもかけない洋服を着たり、肌着のボタンのはずれたのなぞ平気で着ているような男はふっと厭になってしまう。
晩菊 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
彼の上着には腰のあたりにボタンが二つ並んでいて、胸はいたままであった。霜降の羅紗ラシャも硬くごわごわして、極めて手触てざわりあらかった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
秘密のボタンを今押しましたから。そら床もろとも、りだしたでしょう。しっかり卓子につかまっていなさいといったのは、ここなんだ。
鼎造のいわゆるよその雄で鼎造から好意を受けている青年が三人はたしかにいて、金ボタンの制服で出入りするのが、復一の眼の邪魔じゃまになった。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そう云ううちに少年は、かたわらの椅子の上に置いた雨外套の内ポケットのボタンを外して、大きな茶色の封筒を取り出して、私の前に差出した。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ベルは木蔦きづたの葉の中にわずかにボタンをあらわしていた。僕はそのベルの釦へ——象牙ぞうげの釦へ指をやった。ベルは生憎あいにく鳴らなかった。
悠々荘 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
自分の部屋を訪れるために無理に上衣のボタンをかけてきたのだろう。その釦を飛ばすまいとして一生懸命に下っ腹を凹ましているふうだった。
黒い手帳 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
こう言って、机の上のベルのボタンを押すと、しばらくして本宅の書生の青木が入ってきました。俊夫君は紙片に何か書いて、青木に渡しながら
紅色ダイヤ (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
このかんがえは、留吉をたいへん気安くして、元気よく玄関の前まで、留吉を歩かせました。「御用の方はこのボタンを押されたし」
都の眼 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
はでな織模様のある緞子どんすの長衣の上に、更にはでな色の幅びろいふちを取った胴衣をかさね、数の多いそのボタンには象眼細工ぞうがんざいくでちりばめた宝石を用い
十九の秋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これも亜米利加アメリカへ着かれた後の記念にと思って七宝のカフスボタンを太子とシャアとに一対ずつ財布の底をはたいて用意した。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
そこでいろいろやって見ると、板の合せ目が少しズレて、そこへもう一枚の板が又ズレて来ると云う奴で、結局小さな穴があいてそこにボタンがある。
真珠塔の秘密 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
その剛壮な腹の頂点では、コルシカ産の瑪瑙めのうボタン巴里パリーの半景をゆがませながら、かすかにきさきの指紋のために曇っていた。
ナポレオンと田虫 (新字新仮名) / 横光利一(著)
園の手は自分でも気づかないうちに、外套と制服のボタンをはずして、内衣嚢かくしの中の星野から託された手紙に触れていた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
うとうととしたと思うと、路次に跫音あしおとが聞こえ、呼び鈴のボタンを押すらしかったが、戸をたたく音もしたと思うと、おいおいとそっと呼ぶ声もしていた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
十月三日には、磁場に置いてある金属の表面から反射する光につきて実験し、鋼鉄のボタンではその面から反射する光の偏りの面が廻転するようであった。
「裸になれ!」と大喝だいかつした。そう云われて、相手はおずおずとボタンはずしだした。が、教官はいよいよたけって来た。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
エレベーターが停るとその男はすぐ乗り込み、ボタンを押したらしく昇降機は音もなく下降していった。私が乗ることを知っていて自分だけで下降してゆくのだ。
八住衡吉は、肩章のついたダブダブの制服を着、暑さにボタンを外していたが、顔にはほとんど表情がなかった。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
博士は指さきに力を入れて、ボタンをぐっと押した。大きな爆弾が、黒い魔物のように、海の底へ落ちてゆく。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
いろ真蒼まつさをで、血走ちばしり、びたかみひたひかゝつて、冠物かぶりものなしに、埃塗ほこりまみれの薄汚うすよごれた、処々ところ/″\ボタンちぎれた背広せびろて、くつ足袋たびもない素跣足すはだしで、歩行あるくのに蹌踉々々よろ/\する。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そしてボタンをはずした軍衣を、傷が痛くてぬげないから看護卒にぬがして呉れるように云った。痛がって、やっと服を取ると、血で糊づけになっている襦袢が現れた。
氷河 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
「さ行こう!」と言う舵手の声がはっきり久野の耳に入った。彼は急いでストップ・ウォッチのボタンを押した。針はこちこち秒数を刻み初めた。一本、二本、三本……。
競漕 (新字新仮名) / 久米正雄(著)
プリューシキンは、しかし彼女を赦して、いたいけな孫にテーブルの上に載っかっていたボタンかなんかを持たせて遊ばせたくらいだったが、金子かねは一文もやらなかった。
壁には黒いボタンのついた高等学校の制服も懸けてあった。すべてが捨吉に取って気が置けなかった。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
富江が不平を言ひ出して、三人に更めて附けようと騷いだが、それは信吾がなだめた。そして富江は遂に消さなかつた。森川は上衣のボタンをかけて、乾いた手巾ハンケチで顏を拭いた。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
カフスボタンばかりめたあげく、とうとう落第を覚悟で白紙を出してしまったことがあります。
母は胸の皮を引張って来て(それはいつの間にか、しぼんだ乳房のようにたるんでいた)一方の腫物を一方の腫物のなかへ、ちょうどボタンめるようにして嵌め込んでいった。
ある心の風景 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
「……。だから諸君にとつて國語學程重要な物はない。」先生はチョッキのボタンからんだ、恐らくは天麩羅てんぷららしい金鎖を指でまさぐりながら、調子に乘つて饒舌しやべつてをられた。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
「ところで、ヷーニャ……」と相手のボタンをつかまえて赤くなりながらサモイレンコが言った
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
誰かが先ずその部屋の電燈のボタンを押した。老博士の寝室がパッと明るくなった。電燈の光によって被害者を見た人々は、「殺人」という恐るべき事実を、一層明確に意識した。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
気温が一定度より降れば暖房装置が働き、昇ればすぐ冷房機が調節する、ボタン一つで折畳の椅子テーブルが壁から出て来るといった有様で、まるで話に聞く電気屋敷そのままであった。
脳波操縦士 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
傘をすぼめながら一寸会釈して、寺の在処ありかを尋ねた晩成先生の頭上から、じた/\水の垂れる傘のさきまでを見た婆さんは、それでも此辺には見慣れぬ金ボタンの黒い洋服に尊敬をあらわして
観画談 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
男は工員ふうで黄色いナイロン・ジャンパーを身につけ、娘は淡いピンクのカーディガンを、きちんと喉もとまでボタンをはめて着ていた。きっと両方とも、まだ十七か八か、そこいらだろう。
赤い手帖 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
それは葉書大の二インチほどの厚みを持ったボール箱で、ふたを取ると赤鼈甲あかべっこうのカフスボタンとSTという組み合わせ文字の金具がついた帯革が一本入っていた、いずれも新しい品ではなかった。
謎の街 (新字新仮名) / 松本泰(著)
初めてつけたこの麻の支那服の著心地きごこちのいいことは、実に寛々かんかんとしてさばさばしている。その薄藍いろの上衣には唐草模様のボタンどめが鮮かな黄の渦巻をなしている。五つも六つものポケットだ。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
ボタンを押して電波を呼び醒ます。宿直員は途中三枚の扉を開けて呉れる。
叮寧ていねいに頭を下げた放浪者は静かに上衣のボタンをかけて立上った。
流転 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
いい気味だ!……僧服の、ボタンは既にはづされてゐた
「おや、三輪君のカフスボタンも虎だね」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
初年兵の左手は軍衣袴のボタンをいじめ
動員令 (新字新仮名) / 波立一(著)
ボタンを外して脱ごうとするが、どうしたのか脱げない。右のポケットのところが妙に洋服の上に縫いつけられたような具合で、離れない。
深夜の市長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
高等学校の制服を、ボタンがはち切れるほどぴったり身につけている。胸の肉は釦の筋に竪の谷をこしらえるほどむっちり盛り上っている。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そうして胸を抉られた下士官の死骸を見つめている時には、自分の胸の処を、ボタンが千切れる程強く引っ掴んでいたようです。
死後の恋 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
女の手に出来るようなそのまとめに最初働いていたお島は、縫あがった毛布にホックやボタンをつけたり、穴かがりをしたりすることに敏捷びんしょう指頭ゆびさきを慣した。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
……残っていたものというのが、柳の木の幹のすり傷、衣裳戸棚の中のすこしばかり乾いた泥。それからこんどのボタンの血の紋章です。……これだけです。
金狼 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
がたりとメートル器の針の揺れ動くのを見る思いで、黒い輸送車の中の、丁度私の眼の高さにある青年の胸のボタンを満開の花弁のように瑞瑞しく眺めていた。
いつから、手を通していたのであろうか、首のところで、ボタンをとめて、私は父の道化どうけた憲兵の服を着ていた。
風琴と魚の町 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
鳥の羽を飾った五彩赫々かっかくたる宝石のちりばめられた王家の紋章が輝き、太子の服のえりからボタンことごとく、ただ瓔珞ようらくのごとき宝玉で、燦々さんさんとしてカーテンを引いた部屋の中に
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
私は雨に濡れながら、覚束おぼつかない車夫の提灯の明りを便りにその標札の下にある呼鈴よびりんボタンを押しました。
魔術 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)