あやまり)” の例文
明月記は千しやの書なれば七は六のあやまりとしても氷室をいでし六月の氷あしたまつべからず。けだし貢献こうけんの後氷室守ひむろもりが私にいだすもしるべからず。
お自分は一度しかも余り注意せずに通過したのみであるから、詳しく書けないことは勿論、あやまりもあろうと思うから特にその事を断って置く。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
巻中の画、老人が稿本かうほん艸画さうぐわしんにし、あるひは京水が越地にうつし真景しんけい、或里人さとびとはなしきゝに作りたるもあり、其地にてらしてあやまりせむることなかれ。
そのよるところの学説や考えかたの如何いかんしばらく問題外として、単にこれだけのことを見ても、そこに二つの大なるあやまりのあることが知られよう。
古来凡庸の人と評し来りしは必ずあやまりなるべく、北条氏をはばかりて韜晦とうかいせし人か、さらずば大器晩成の人なりしかと覚え候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
この度の失敗は、他の人々よりも頭がよかった為のわざわいである。同氏の推理法にあやまりはなかった。だ、その材料となるところの観察に欠くる所があった。
一枚の切符 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
沈むのあやまりならずやと言はれて言句ごんくにつまりしとの話あり。写生を念頭に置けばかかる誤はおのづとなくなるなり。
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
なんという弱い同志たち! なんというおそろしいあべこべ砲! わしは失敗した。あべこべ砲の始末を十分につけないで、放っておいたのが、あやまりだった。
怪塔王 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「貴君は、兄さんのあやまりを再び繰り返してはなりません。これは、私の忠告ではありません、死んだ兄さんのお言伝です。よくお心に止めて置いて下さい!」
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
二重のあやまりをなしているのであるが、この学士院は自らの名誉のために、機会を捕えて経済学上のその力量をもう少し華々しく確立しておくがよかろうと思う。
問「私の記憶にあやまりが無ければ、大衆文芸は震災後に、非常に盛んになったようですね」答「私もそんなように思って居ります」問「これは何ういう訳でしょう?」答
大衆文芸問答 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
紀の内意により度々後藤象次郎へあやまり出、何分対薩州止訳に相成、一先ひとまず五代之申条に任せ候処、今日紀の官長、後藤へ罷越、重々誤入候趣申に付、許し遣し候。
故に我らが人の受けし災禍苦難を以てただちにその人を判定するは大なるあやまりである。その人の人格に依てその苦難の意味を判定すべきである。苦難にも幾つも意味がある。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
川口村は水口村みづくちむらあやまりで下総の岡田郡である。将門はこゝで自から奮戦したが、官と賊との名は異なり、多とくわとのいきほひきそは無いで退いた。秀郷貞盛は息をつかせず攻め立てた。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
然らばしか考えるものは何物であるか。考える何物もないのであるか。考えるものがなければ、当為ということもない。斯くいうのがあやまりであるならば、誤る自己がなければならない。
デカルト哲学について (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
世はあやまりの世なるかも、無き名とり川波かけ衣、ぬれにし袖の相手といふは、桂木一郎とて我が通学せし学校の師なり、東京の人なりとて容貌みめうるはしく、心やさしければ生徒なつきて
雪の日 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
ともかく習慣もすでに模倣である以上、習慣においても我々の一つの行為は他の行為に対して外部にあるもののごとく独立でなければならぬ。習慣を単に連続的なものと考えることはあやまりである。
人生論ノート (新字新仮名) / 三木清(著)
昨日きのう御身に聞きたきことありといひしが、余の事ならず」ト、いひさしてかたちをあらため、「それがし幾歳いくとせ劫量こうろうて、やや神通を得てしかば、おのずから獣の相を見ることを覚えて、とおひとつあやまりなし。 ...
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
津軽家の祖先が南部家の被官であったということは、内藤恥叟ないとうちそうも『徳川十五代史』に書いている。しかし郷土史にくわしい外崎覚とのさきかくさんは、かつて内藤に書を寄せて、この説のあやまりただそうとした。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
よりて思うに、この論文はあえて世人に示すをはばかるべきものにあらず、ことにすでに世間に伝わりて転々てんてん伝写でんしゃの間には多少字句のあやまりなきを期せざればむしろその本文を公にするにかざるべしとて
瘠我慢の説:01 序 (新字新仮名) / 石河幹明(著)
いや、若気のあやまりは人間の常でござるわい、それにしても早くそれに気がかれたは、まだ御仏の助けの綱のれぬしるしでござろう。昔のことは昔のこと、此上は御仏にすがって、再び花咲く春を
轆轤首 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
僕はこのあやまりにぶつかつてから、どうも石印本なるものは、一体に信用出来なくなつた。なんだか話が横道へそれたが、永井徹ながゐてつ著の演劇史以前に、こんな著述があつたかどうか、それがいまだに疑問である。
本の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
明月記は千しやの書なれば七は六のあやまりとしても氷室をいでし六月の氷あしたまつべからず。けだし貢献こうけんの後氷室守ひむろもりが私にいだすもしるべからず。
このかんがえは後に其あやまりを悟ってか、ぷっつりと口にしなくなった。ともあれ尾瀬沼の保護者を以て任じていた其熱心は買ってやらなければならない。
尾瀬の昔と今 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
古来凡庸ぼんようの人と評しきたりしは必ずあやまりなるべく、北条ほうじょう氏をはばかりて韜晦とうかいせし人かさらずば大器晩成の人なりしかと覚え候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
それは全くのあやまりであって、神代は歴史時代の或る時期に思想の上で構成せられたものであり、現実に存在したものではないのに、先史時代はそれとは違って
ことに女湯の中で、着物を脱いだり着たりする様子を一見すれば、その女の過去現在の境遇は勿論もちろんのこと、男の気に入るたちの女かどうかをもあやまりなく判断する事ができる。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これで見ると昔からのザボンと云ふ方が正しい、なまじ字を知るはあやまりはじめだとは上田敏先生のお話。
TZSCHALLAPPOKO (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
三国たふげを知る人は松を画しをわらふべし。是老人が本編ほんへんあやまりにはあらず、京水が蛇足じやそくなり。
つまり青竜王の覆面を取れば痣蟹であるというあやまりが起るように用意されてある。……
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
不幸にしてこの見方ははなはだ便利ではあるが、はなはだしくあやまりでもある。
しかし生徒の訳読に一応耳を傾けた上、綿密めんみつあやまりを直したりするのは退屈しない時でさえ、かなり保吉には面倒めんどうだった。彼は一時間の授業時間を三十分ばかりすごしたのち、とうとう訳読を中止させた。
保吉の手帳から (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
... 不可いけない。こう云って力んでいるようですよ」問「本格物と変格物、この議論もありましたね」答「私の記憶にあやまりがなければ、たしかこの言葉は甲賀さんが、云い出したもののように思われますね。こういうような範疇を ...
大衆文芸問答 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
懐良王、明史みんしに良懐に作るはけだあやまり也。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
あやまりに陥り易い所以である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
巻中の画、老人が稿本かうほん艸画さうぐわしんにし、あるひは京水が越地にうつし真景しんけい、或里人さとびとはなしきゝに作りたるもあり、其地にてらしてあやまりせむることなかれ。
一図のあやまりは必ず他図にありても常に之を繰返し、加之しかのみならず必然の結果として誤読と誤写とはますます増加せるものの如し。
古図の信じ得可き程度 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
それでこそ今の社会が動いているではないか。あるいはまた形体の変らぬものにおいても精神は変って来ている。形体は変っても精神は変らぬというのはあやまりである。
陳言套語 (新字新仮名) / 津田左右吉(著)
射干しゃかんは「ひあふぎ」「からすあふぎ」などいへる花草にして、ここは「照射ともしして」のあやまりなるべし。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
さるを学士の位を得たりとて安心するやうな人は話にならず。学問芸術はますますきわむるに従ひていよいよ疑を生ずるものなり。疑を抱かざる人はその道未だ進まざるものと見てあやまりなし。
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
私は、お金があれば何でも出来ると思っていましたが、それは、私の大きなあやまりでした。私は、たった一人の娘に婿を取ってやることさえ出来ないのでした。娘はそれを知ると、毎日泣きました。
三人兄弟 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
上様には大きに笑わせられ、予のあやまりじゃ、ゆるせと御意ぎょいあり。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかるに同じく天保十三年版の『越後国細見図』には、路もあれば清水越の文字もあり、上州大元村(○之は大穴村のあやまりである)へ出ると記してある。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
牧之ぼくしあんずるに、越後に大飯郡おほひごほりなし又寒水滝かんすゐたきの名もきかず。人ありかたるとあれば伝聞でんぶんあやまりなるべし。
大体においてはこの推論にあやまりなけれども、実地に当りて見れば必ずや多少の除外例を生ぜん。
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
それを東洋文化とか東洋思想とかいう一つのものとして解するならば、大なるあやまりである。
『駿甲豆三州図』の奥千丈の位置は、大体に於て間違いはなかったとしても、国師の位置はあきらかあやまりであることが分る。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
牧之ぼくしあんずるに、越後に大飯郡おほひごほりなし又寒水滝かんすゐたきの名もきかず。人ありかたるとあれば伝聞でんぶんあやまりなるべし。
かかるあやまりきたすも畢竟ひっきょう従来の和歌がなだらかなる調子のみを取り来りしによるものにて、俳句も漢詩も見ず歌集ばかり読みたる歌よみにはしか思わるるも無理ならぬことと存候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
だからそういう考のあやまりを正すだけでも、今日においては意味のあることである。