蜻蛉とんぼ)” の例文
蜻蛉とんぼはえでなければ行けない何物かの断層面にも似ていた。それを展望している間に驚くべき早さで三分間の時間が消去されたのだ。
「あれは蜻蛉とんぼじゃが」と、和尚はさとすようにいった。「兎もとれまい。兎はおらんから。おれば、わしがとらえて、兎汁にするが」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
小牧山のえき、たった五百騎で、秀吉が数万の大軍を牽制して、秀吉を感嘆させた男である。蜻蛉とんぼ切り長槍を取って武功随一の男である。
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
快活な蜻蛉とんぼは流れと微風とに逆行して、水の面とすれすれに身軽く滑走し、時々その尾を水にひたして卵を其処に産みつけて居た。
ですから、氏神、本殿の、名剣宮めいけんぐうは、氏子の、こんな小僧など、何をねようと、蜻蛉とんぼが飛んでるともお心にはお掛けなさいますまい。
菊あわせ (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
蜻蛉とんぼの羽根と胴体を形づくる処のセルロイド風の物質は、セルロイドよりも味がデリケートに色彩と光沢は七宝細工しっぽうざいくの如く美しい。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
夕陽の中を蜻蛉とんぼが二つ三つ飛んでいた。石磴をあがり詰めると檜の紛紛ふんぷんする小社こやしろがあった。勘作はその前に往って頭をさげて拝んだ。
ある神主の話 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それには蜻蛉とんぼや、螇蚸ばったや、蝉や、蝸牛かたつむりや、蛙や、蟾蜍ひきがえるや、鳥や、その他の絵が何百となく、本物そっくりに、而も簡明にかかれてあった。
父と酒を飲んでいるとき、汁椀の中へ蜻蛉とんぼを入れたり、敷いてある寝床の中へ飛蝗ばったを二十も突込んで置いたり、帰り際に刀を隠したりした。
評釈勘忍記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
東西南北より、池のしんさして出でたる竿は、幾百といふ数を知らず、継竿、丸竿、蜻蛉とんぼ釣りの竿其のまゝ、たこの糸付けしも少からず見えし。
東京市騒擾中の釣 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
池のほとりに植えた守護木の松に近い四方仏よほうぶつ手水鉢ちょうずばちに松葉が茶色になって溜まり、赤蜻蛉とんぼがすいすいと池のおもてをかすめて飛び交って居る。
(新字新仮名) / 富田常雄(著)
その癖寿美子は、小杉卓二が一歩近づいて行くと、悪戯いたずら小僧に追われた蜻蛉とんぼのように、手の届きそうになった時、スイと逃げて行くのです。
霧の立つのもこの頃であれば蜻蛉とんぼの飛ぶのもこの頃であり、名月の深夜をおびやかしながら、雁の啼き渡るのもこのごろである。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「早くっから蜻蛉とんぼの模様なんか売り出させてさ。——今年は蜻蛉の模様がこう流行るから、きっといくさがある前徴だなんて云いふらさせて……」
舗道 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
焦らしているのがのうでもありませんから、ちっと尻切り蜻蛉とんぼのようですが、おしまいの方は手っ取り早くお話し申しましょう
半七捕物帳:44 むらさき鯉 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
蔓草は壁に沿ってのきまで這上り、唐館は蜻蛉とんぼ羽蟻はありの巣になっていると見えて、支那窓からばったや蜻蛉がいくつも出たり入ったりしている。
学者には兜虫のやうな沈着家おちつきや蜻蛉とんぼのやうなそそつかしやと二いろの型があるが、桑原氏はどちらかといへば蜻蛉の方である。
ぽとりぽとりと血の滴るようにはなびらが散って仕舞う、或は、奇岩怪石の数奇を凝らした庭園の中を、自分が蜻蛉とんぼのようにすいすいと飛んでいる。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
自分はかつて大きなクッションに蜻蛉とんぼだの草花だのをいろいろの糸で、あによめに縫いつけて貰った御礼に、あなたは親切だと感謝した事があった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
どうしてそんなことを知っているのだろうか、見たことも聞いたこともない蜻蛉とんぼ売りが……と、お蝶は勿論ためらいました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蝶でもあぶでも蜻蛉とんぼでもかげろうでもおよそ水面に近い空間を飛んでいる虫を見れば水中から躍りだして、一気にそれを、ぱくりと食ってしまう。
魔味洗心 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
蜻蛉とんぼ釣りに蜻蛉の行衛ゆくえをもとめたり、紙鳶たこ上げに紙鳶のありかを探したりするわずらわしさに兄は耐えられなくなってしまった。
青草 (新字新仮名) / 十一谷義三郎(著)
「蝶々や蜻蛉とんぼならよござんすけれど、蛇だの百足むかでだの金ぶんぶんまでお友達かなんかのように思っているんですもの。」
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
あだかも、その空に飛ぶように見せて、銀地に墨くろぐろと四五ひきの蜻蛉とんぼが帯の模様によって所を得させられている。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ようやく筆の持てる頃から絵が好きで、使い残りの紅皿を姉にねだって口のはたを染めながら皿のふちに青く光る紅をとかしてあぶ蜻蛉とんぼの絵をかいた。
折紙 (新字新仮名) / 中勘助(著)
ちょうど、夏川の水から生まれる黒蜻蛉とんぼの羽のような、おののきやすい少年の心は、そのたびに新たな驚異のひとみを見はらずにはいられないのである。
大川の水 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
かくのごとき結語がマルコ伝に追加せられた理由は、一六の八にてマルコ伝が終るとすれば、尻切れ蜻蛉とんぼの感がある。
顔のまん中には、蜻蛉とんぼの眼玉のようにたいへん大きな眼があった。そしてその下に、黄いろいくちばしがつきでていた。
大宇宙遠征隊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
赤いマンマという花をつまんで列におくれるものもあれば、蜻蛉とんぼを追いかけて畑の中にはいって行くものもある。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
が、『蜻蛉とんぼ』及び『カリフォルニアの罌粟けし』もまたそれに劣らず美しいものであった。題目が踊りの振りや踊り手の心持ちとどう関係するかは知らない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
久助は今、岩に腰をかけて、煙管キセルでぷかぷかと一服休んでいる。紫色の煙が澄み切った秋の空気の中を静かに上っている。赤蜻蛉とんぼがすいすいと飛んでいる。
忠僕 (新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
髭に続いてちがいのあるのは服飾みなり白木屋しろきや仕込みの黒物くろいものずくめには仏蘭西フランス皮のくつ配偶めおとはありうち、これを召す方様かたさまの鼻毛は延びて蜻蛉とんぼをもるべしという。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
田螺「犬儒けんじゅ」先生を筆頭に蟹、鰌、蜻蛉とんぼの幼虫、源五郎虫〈めだか〉夫婦合計七名が威儀を正して寄って来た。
空中征服 (新字新仮名) / 賀川豊彦(著)
……まるで蜻蛉とんぼはえなんぞのようで……時に大正十五年十月十九日……の午前正九時と致しておきましょうか。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そこにはがまや菱が叢生そうせいし、そうしてわれわれが「蝶々蜻蛉とんぼ」と名付けていた珍しい蜻蛉が沢山に飛んでいた。
郷土的味覚 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
宇治の姫君たちとはどれもこれも恨めしい結果に終わったのであったとつくづくと思い続けていた夕方に、はかない姿でかげろう蜻蛉とんぼの飛びちがうのを見て
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
信州や越後でこれをトンボグサというのは、花の形が蜻蛉とんぼに似ているからだとの説もあるが(『高志路こしじ一巻一〇号』)、そう似ているとも我々には思えない。
市役所へつとめるやうになつてからは益々蜻蛉とんぼかきりぎりすみたいになつて了うたのです、顔色も真赤で艶があつたのに、気味が悪いほど土色になつて了うての
現代詩 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
取てさかさ捻上ねぢりあげ向うの方へ突飛すに大力のはずみなれば蜻蛉とんぼ返りを打て四五間先へ倒れたり是を見て雲助共は少し後逡あとずさりをなせしがイヤ恐しいやつ平氣なつらをして居を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
秋の蜻蛉とんぼが盛んに町の空を飛んだ。塩瀬の店では一日の玉高ぎょくだかの計算を終った。後場ごばうにけた。幹部を始め、その他の店員はいずれも帰りを急ぎつつあった。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
空には蜻蛉とんぼなどが飛んで、足下あしもとくさむらに虫の声が聞えた。二人は小高い丘のうえに上って、静かな空へ拡がって行く砲兵工廠ほうへいこうしょうの煙突の煙などをしばらく眺めていた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
しかし、あの場合は、それがもう一段蜻蛉とんぼ返りを打って、さらに異様な矛盾を起してしまったのでした。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
空には先刻さっきの黄色い小さな雲が見えなくなっていた。蜻蛉とんぼがすいと、彼のすぐ顔の上をかすめて行った。
プウルの傍で (新字新仮名) / 中島敦(著)
「あれは名高い荒事師あらごとしだ。蜻蛉とんぼ返りの四十八手が皆出来るんだよ。昼間幾度も出た」と雙喜は言った。
村芝居 (新字新仮名) / 魯迅(著)
次郎は、毎日庭に出ては、意味もなく木の芽をみつぶした。花壇の草花にしゃあしゃあと小便をひっかけた。蜻蛉とんぼを着物にかみつかせては、その首を引っこ抜いた。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
塔の九輪くりん頂上にそそり立つ水煙すいえんが、澄みわたった秋空にくっきり浮び上っている。蜻蛉とんぼのとびかう草叢くさむらみちをとおって、荒廃した北大門をくぐり、直ちに金堂へまいる。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
秋になると、蜻蛉とんぼも、ひ弱く、肉体は死んで、精神だけがふらふら飛んでいる様子を指して言っている言葉らしい。蜻蛉のからだが、秋の日ざしに、透きとおって見える。
ア、秋 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そして青田の上をすいすいと蜻蛉とんぼの群が飛んでゆくのが目にみた。それから八幡村までの長い単調な道があった。八幡村へ着いたのは、日もとっぷり暮れた頃であった。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
そして一雨ひとあめ降ればすぐに雑草が芽を吹きやがて花を咲かせ、忽ちにして蝶々ちょうちょう蜻蛉とんぼやきりぎりすの飛んだりねたりする野原になってしまうと、外囲そとがこいはあってもないと同然
金のはねをした甲虫というか、蜻蛉とんぼというか、まあそういったもの——醜いと同時に美しくて——とにかく他のどんなものよりも、恐しい、大きな一種の昆虫に似ていました。