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紅葉先生
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こうえふせんせい
「いかものも、あのくらゐに
成ると
珍物だよ。」と、
言つて、
紅葉先生はその
額が
御贔屓だつた。——
屏風にかくれて
居たかも
知れない。
以前、
何かに
私が、「
田舍から、はじめて
新橋へ
着いた
椋鳥が
一羽。」とか
書いたのを、
紅葉先生が
見て
笑ひなすつた
事がある。
所で、
夫人を
迎へたあとを、そのまゝ
押入へ
藏つて
置いたのが、
思ひがけず、
遠からず、
紅葉先生の
料に
用立つた。
蕪の
鮨とて、
鰤の
甘鹽を、
蕪に
挾み、
麹に
漬けて
壓しならしたる、いろどりに、
小鰕を
紅く
散らしたるもの。
此ればかりは、
紅葉先生一方ならず
賞めたまひき。
嘸うちたての
蕎麥を
罵つて、
梨に
醉つてる
事だらう。まだ
其は
勝手だが、
斯の
如き
量見で、
紅葉先生の
人格を
品評し、
意圖を
忖度して
憚らないのは
僭越である。
「
今しがた
御馳走に
成つたばかりです、もう、そんなには。」「いゝから
姉さんに
任せてお
置き。」
紅葉先生の、
實は
媛友なんだから、といつて、
女の
先生は
可笑しい。
書齋の
額をねだつた
時、
紅葉先生が、
活東子のために(
春星池)と
題されたのを
覺えて
居る。……
春星池活東、
活東は
蝌蚪にして、
字義(オタマジヤクシ)ださうである。
お
連樣つ——と
下階から
素頓興な
聲が
掛ると、「
皆居るかい。」と
言ふ
紅葉先生の
聲がした。
紅葉先生の
辭句を
修正したものは、
恐らく
文壇に
於て
私一人であらう。そのかはり
目の
出るほどに
叱られた。——
何、
五錢ぐらゐ、
自分の
小遣ひがあつたらうと、
串戲をおつしやい。
紅葉先生も、はじめは「
豆府と
言文一致は
大嫌だ。」と
揚言なすつたものである。
人力車——
腕車が、
此の
亻に
車と
成つた、
字は
紅葉先生の
創意であると
思ふ。
又思出す
事がある。
故人谷活東は、
紅葉先生の
晩年の
準門葉で、
肺病で
胸を
疼みつゝ、
洒々落々とした
江戸ツ
兒であつた。(かつぎゆく
三味線箱や
時鳥)と
言ふ
句を
仲の
町で
血とともに
吐いた。
紅葉先生の
説によると、「
金魚麩は
婆の
股の
肉だ。」さうである。