本郷ほんがう)” の例文
るのがうまいとしたから、ちることもよくちた。本郷ほんがう菊坂きくざか途中とちう徐々やは/\よこちたがてら生垣いけがき引掛ひつかゝつた、怪我けがなし。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
するとおとよはもう得意らしく、「学校はいま夏休みですがね、遊ばしといちやいけないと思つて本郷ほんがうまで夜学やがくにやります。」
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
と云ふのは少し大雑把おほざつぱである。牛込うしごめ矢来やらいは、本郷ほんがう一帯の高地にははひらない筈である。けれどもこれは、白壁はくへき微瑕びかを数へる為めにあげたのではない。
日本小説の支那訳 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
御米およねにかう受合うけあつてもらつた小六ころくは、またあめおとあたまうへけて本郷ほんがうかへつてつた。しかしなかにちいて、にいさんはかないんですかときにた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
大正十五年の正月十日、僕はやはりタクシイに乗り、本郷ほんがう通りを一高の横から藍染橋あゐそめばしくだらうとしてゐた。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ときに、長野泊ながのどまりの翌日よくじつ上野うへのへついて、つれとは本郷ほんがうわかれて、わたし牛込うしごめ先生せんせい玄關げんくわんかへつた。其年そのとしちゝをなくしために、多日しばらく横寺町よこでらまち玄關げんくわんはなれてたのであつた。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
あにつたので、はなしそれぎり頓挫とんざして、小六ころくはとう/\本郷ほんがうかへつてつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
既ち小石川柳町こいしかはやなぎちやう小流こながれの如き、本郷ほんがうなる本妙寺坂下ほんめうじさかした溝川みぞかはの如き、団子坂下だんござかしたから根津ねづに通ずる藍染川あゐそめがはの如き、かゝる溝川みぞかはながるゝ裏町は大雨たいうの降るをりと云へばかなら雨潦うれうの氾濫に災害をかうむる処である。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
今日けふ本郷ほんがう通りを歩いてゐたら、ふと托氏とし宗教小説と云う本を見つけた。あたひを尋ねれば十五銭だと云ふ。
点心 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
おやおやとの許嫁いひなづけでも、十年じふねんちか雙方さうはう不沙汰ぶさたると、一寸ちよつと樣子やうすわかかねる。いはん叔父をぢをひとで腰掛こしかけた團子屋だんごやであるから、本郷ほんがうんで藤村ふぢむら買物かひものをするやうなわけにはゆかぬ。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
大正十二年の冬(?)、僕はどこからかタクシイに乗り、本郷ほんがう通りを一高の横から藍染橋あゐそめばしくだらうとしてゐた。あの通りは甚だ街燈の少い、いつも真暗まつくら往来わうらいである。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ひさしい以前いぜんだけれども、いまおぼえてる。一度いちど本郷ほんがう龍岡町たつをかちやうの、あの入組いりくんだ、ふか小路こうぢ眞中まんなかであつた。一度いちどしばの、あれは三田みた四國町しこくまちか、慶應大學けいおうだいがくうらおも高臺たかだいであつた。
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
本郷ほんがう神田かんだ古本屋ふるほんやでよく見受けられる——は底本ていほんとしたバラク(Bulak)版が元々省略の多いものであり、其の上に二百ある話の中から半分の百だけを訳出したもので
和田わださんがまだ學校がくかうがよひをして、本郷ほんがう彌生町やよひちやうの、ある下宿げしゆくとき初夏しよかゆふべ不忍しのばずはすおもはず、りとて數寄屋町すきやまち婀娜あだおもはず、下階した部屋へや小窓こまど頬杖ほゝづゑをついてると、まへには
間引菜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
然れども久米は勝誇かちほこりたる為、忽ち心臓に異状を呈し、本郷ほんがうまで歩きて帰ることあたはず。僕は矢代と共に久米をかつぎ、人跡じんせき絶えたる電車通りをやつと本郷の下宿げしゆくへ帰れり。(昭和二・二・一七)
その頃の赤門生活 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
もう翌日よくじつ本郷ほんがうから見舞みまひてくれたともだちがつてた。
間引菜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)