木挽町こびきちょう)” の例文
師匠の家は木挽町こびきちょう三丁目にある。もう五十六七になる陽気な人で、腰の筋を違えたというだけの、病気とはいえない軽い故障だった。
寒橋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「おばさんが、木挽町こびきちょうだなんて教えたから、とんだ廻り道をしちまったじゃないか。あそこは蔵屋敷くらやしきで、住居すまいは麻布村のくぼだぜ」
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明治十年の出生であったが、もの心づいた時は、京橋区木挽町こびきちょう現今いまの歌舞伎座の裏にあたるところの、小さな古道具屋が養家だった。
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
木挽町こびきちょうの河原崎座で団十郎の芝居を見物しているところを召し捕られ、それから引き続いて入牢中であることを、吉五郎も知っていた。
半七捕物帳:49 大阪屋花鳥 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
三年も前から同じ師匠を木挽町こびきちょう待合半輪まちあいはんりんというへ招き会社の帰掛かえりが稽古けいこに熱心している由を知ってたがいにこれは奇妙と手をって笑った。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
劇場は木挽町こびきちょうの河原崎座であった。贔屓ひいきの俳優は八代目団十郎である。作者勝諺蔵かつげんぞうをば部屋に訪うてまじわりを結んだ。諺蔵は後の河竹新七である。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
日本橋からさきは八丁堀、霊岸島、新川、新堀、永代際まで、築地の御門跡から海手、木挽町こびきちょうの芝居も、佃島つくだじまもすっかり焼けてしまいました。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
小父さんも骨が折れましたよ……よくそれでもこんなにくなったと、あたしはそう思うよ……木挽町こびきちょうの先生なぞも驚いていらっしゃる……彼女の床を
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのときには、銀座はもちろん木挽町こびきちょうから明石町の方まで、すっかり飛行場の下になってしまうはずです。どうですか、おもしろいでしょう、ヘーイさん
一坪館 (新字新仮名) / 海野十三(著)
中学の校舎は木挽町こびきちょうの歌舞伎座の前を通り過ぎて橋を渡ると直ぐ右角の地所を占めていた。かれが出養生をしていた塩湯とは堀割を隔てて筋向いになっている。
風呂場の暗い懊悩おうのうが、団長の明るい一言で、きれいに吹き飛ばされた。木挽町こびきちょうで初舞台を踏むという事は、役者として、最もめぐまれた出発なのかも知れない。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
三代目尾上菊五郎おのえきくごろうは怪談劇の泰斗として知られていた。其の菊五郎は文化年代に、鶴谷南北つるやなんぼくの書きおろした『東海道四谷怪談』を木挽町こびきちょう山村座やまむらざで初めて上演した。
幽霊の衣裳 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
くし、こうがい、裲襠うちかけ姿のままで吉三郎が真ん中、先を成田屋、うしろに主水之介がつづいて、木挽町こびきちょうの楽屋を出た三ちょうつらね駕籠は、ひたひたと深川を目ざしました。
その時は丁度ちょうど十月下旬で少々寒かったが小春こはるの時節、一日も川止かわどめなど云う災難にわずとどこおりなく江戸に着て、木挽町こびきちょう汐留しおどめの奥平屋敷に行た所が、鉄砲洲てっぽうずに中屋敷がある
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
三原橋の近くまで来ると、エンジンをかけたまま十字路の角でパークし、運転手が、都電の線路ごしに、築地のほうから木挽町こびきちょうの通りへはいってくる車を、熱心にながめだした。
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
その堺屋さかいやあき木挽町こびきちょうで、おまえのことを重助じゅうすけさんにきおろさせて、舞台いたせようというのだから、まずねがってもないもっけのさいわい。いやのおうのということはなかろうじゃないか
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
是れは木挽町こびきちょう三丁目の岡村由兵衞おかむらよしべえと云う袋物商ふくろものやと云うとていが宜しいが、仲買をしてお出入先から何品なにしなをと云うと、じき宮川みやがわへ駈付けるという幇間おたいこ半分で面白い人で、また一人は伴廻ともまわ
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
明治十八年の秋、旧外国語学校が閉鎖され、一ツ橋の校舎には東京商業学校が木挽町こびきちょうから引越して来て、仏独語科の学生は高等中学校に、露清韓語科は商業学校に編入される事になった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
蔵前くらまえの家からくるまの上を母の膝に乗せられて木挽町こびきちょうへ行った五つか六つの頃、茶屋から母に手をかれて福草履を突っかけながら、歌舞伎座の廊下へ上るときがちょうどこんな工合であった。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
木挽町こびきちょう五丁目辺の或る待合まちあいへ、二三年以前新橋しんばし芸妓げいぎ某が、本町ほんちょう辺の客をくわえ込んで、泊った事が有った、何でも明方だそうだが、客が眼を覚して枕をもたげると、坐敷のすみに何か居るようだ
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
「——あの歌舞伎へ入らっしゃいました。今日はお坊ちゃまの忌明きあけだから、久し振りで気保養に行って来る、旦那様は会社の方から直ぐ木挽町こびきちょうへお廻りになる筈だからとおっしゃいまして——」
葬送行進曲 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
木挽町こびきちょうの家主で兵三郎という男がこしらえ出したもので、そんな小さいものだけに、骨も竹も折れやすいところから、紙で巻くようにしていわゆる巻骨まきぼねということも、その男が工夫した事だという。
梵雲庵漫録 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
木挽町こびきちょう三丁目河岸、朝日倶楽部。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
そこで駕籠は木挽町こびきちょうれた。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
叔父の家は木挽町こびきちょうにあった。
大人の眼と子供の眼 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
「——あれといっしょに三度ばかり引越した、三度めには木挽町こびきちょう一丁目へ移ったが、そこから清七は姿を消してしまったそうだ」
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
わたしは印刷場の機械のあいだをくぐって、ようやく裏通りへ出て、四月のにわか天気に汗をにじませながら木挽町こびきちょうまで息を切って駈けつけた。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
得念は木挽町こびきちょうに住居致候商家の後家ごけと、年来道ならぬちぎりを結び、人のうわさにも上り候ため度々たびたび師匠よりも意見を加へられ候由。
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
木挽町こびきちょうに店を出している伯父が出していたのである。その伯父の所帯が左前になったので、いよいよ廃学をしなくてはならないようになった。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
拙者は木挽町こびきちょう狩野かのうでござるとか、文晁ぶんちょうの高弟で、崋山の友人で候とか、コケおどしを試むる必要はなく、大抵の場合、足利の田舎絵師田山白雲と
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼女は、まだ夕食もらなかった。昼間、良人おっとの実弟にあたる木挽町こびきちょうの浅野大学が来ての話では、勅使御登城の第二日の今日も、つつがなく済んだらしいという事なので
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京橋木挽町こびきちょうにあった守田座が、猿若町に立並んで三座となったが、この、守田座は、くわしくいえば、もとから、芝居は四座あって、守田座だけが別の土地に離れていたので、これも古い名ではあるが
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
京橋木挽町こびきちょうに店を持っていた恩人、山本洒落斎しゃらくさい翁のところへ借りにゆく、それも極めてしばしば借りにいったものであった。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
松崎は法学博士の学位を持ち、もと木挽町こびきちょう辺にあった某省の高等官であったが、一時世間の耳目を聳動しょうどうさせた疑獄事件に連坐して刑罰を受けた。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しほは落魄らくたくして江戸に来て、木挽町こびきちょうの芸者になり、ちとの財を得て業をめ、新堀しんぼりに住んでいたそうである。榛軒が娶ったのはこの時の事である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
新聞の記事や世間の噂を綜合そうごうして考えると、新富座とは眼と鼻のあいだの木挽町こびきちょうに新しい大劇場が出来るということは、新富座に取って怖るべき大敵であるので
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
河に沿って左へ左へとおいで——そして木挽町こびきちょうと聞いて行くんだよと、親切に教えてくれる。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京橋木挽町こびきちょうに店を持っていた恩人、山本洒落斎翁しゃらくさいおうのところへ借りにゆく、それも極めてしばしば借りにいったものであった。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
京橋区内では○木挽町こびきちょう一、二丁目へん浅利河岸あさりがし(震災前埋立)○新富町しんとみちょう旧新富座裏を流れて築地川に入る溝渠○明石町あかしちょう旧居留地の中央を流れた溝渠。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
木挽町こびきちょうはなかなか景気がようござんしたよ。御承知でしょうが、中幕は光秀の馬盥ばだらいから愛宕あたごまでで、団十郎の光秀はいつもの渋いところを抜きにして大芝居でした。
「先生、柳生さまのおやしきは、木挽町こびきちょうじゃないぜ。麻布の日ヶ窪ってとこさ、とても大きくて、立派な家だよ。そしてね、木村助九郎様が、いろんな物を、ご馳走してくれた」
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雨あがりの道の、ところどころに残っている水たまりを避けて、木挽町こびきちょう河岸かしを、逓信省の方へ行きながら、たしかこの辺の曲がり角に看板のあるのを見たはずだがと思いながら行く。
普請中 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
木挽町こびきちょう河岸かしへ止った時、混雑にまぎれて乗り逃げしかけたものがあるとかいうので、車掌が向うの露地口ろじぐちまで、中折帽なかおれぼう提革包さげかばんの男を追いかけて行った。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ここで判り易いように彼らの人別にんべつ帳をしるせば、主人の男は京橋木挽町こびきちょう五丁目の小泉という菓子屋の当主で、名は四郎兵衛、二十六歳。女はその母のお杉、四十四歳。
恨みの蠑螺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
三年まえに此処へ幽閉されるまで、成信は江戸の京橋木挽町こびきちょうにある中屋敷にいた。彼は大炊頭成豊おおいのかみしげとよの二男に生れ、成豊の側室である生母とともに、ずっと中屋敷で育った。
泥棒と若殿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
木挽町こびきちょうの別邸に住んでいる内匠頭の実弟浅野大学あさのだいがくが、紙のような顔いろを持って
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
実は当年四月木挽町こびきちょうの舞台にて家の狂言「景清かげきよ牢破ろうやぶりの場を相勤めおりまする節突然御用の身とあいなり
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
殊にこの年の正月、木挽町こびきちょう山村座やまむらざの木戸前で、水野の白柄組と幡随長兵衛ばんずいちょうべえの身内の町奴どもと、瑣細ささいのことから衝突を来したのが根となって、互いの意趣がいよいよ深くなった。
番町皿屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「一議に及ばずだね」重兵衛は手を打たんばかりに、「木挽町こびきちょうの茶屋にしよう」
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
江戸表の吉田忠左衛門、奥田孫太夫、ふたりの書面には、大学長広は、その後、わずか唯一つの住居すまいとして取り残されてあった木挽町こびきちょうの屋敷も召上げられ、芸州広島へ左遷させんという報告なのだ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)