木偶でく)” の例文
以後、王子は何事をもいわず、何事をも行わず、蝋の木偶でくのようになって一生を終った。死ぬ迄の間に彼のしたことは、たった一つ。
セトナ皇子(仮題) (新字新仮名) / 中島敦(著)
晋の区純おうじゅんは鼠が門を出かかると木偶でくが槌で打ち殺す機関からくりを作った(『類函』四三二)。北欧のトール神の槌は専らなげうって鬼を殺した。
また、僧を金襴きんらん木偶でくと思うている俗の人々がいうのじゃ。われらには、自分の信心を信ずるがゆえに、さような窮屈なことはいとう。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
船には二三十人の木偶でくの坊が紺色の繪の具で並列せしめられた。そしてそれらの人の中から十幾本かの釣竿が立つて居るのである。
海郷風物記 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
小倉はその性格が煮え切らないところから、この事件の進展に対し、何らの役目を勤めることのできない一の木偶でくぼうに過ぎなかった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
まるでこわれた木偶でくのように、ぐたぐたとそこへ、しだらなく躯を投げだした藤七を見て、お紋は暫く途方にくれるばかりだった。
野分 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そしてそれからのことである——木偶でくのやうに動きを忘れた投影の深い静物と成り果てたのは! およそ人の生活苦を個人の上へ累積して
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
これだけの餌をやって置けば、江戸開府以来といわれた名御用聞の銭形平次といえども、木偶でくのように操縦が出来ると思っているのでしょう。
子沢山で、不作つづき、税金はからい、軍人、掠賊ものとり、お役人がた、旦那衆、皆より集ってあの木偶でくの棒みたいな男ひとりを苦しませているのである。
故郷 (新字新仮名) / 魯迅(著)
なんの木偶でくぼう——とひと口に云ってしまえばそれまでですが、生きた人間にも木偶の坊に劣ったのがないとは云えません。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
地球の緯度線が草鞋わらじの爪先に引っかかるわけである、しかも争うべからざるは朝の神秘なり、一たび臨むとき、木偶でくには魂を、大理石には血をあたえる。
奥常念岳の絶巓に立つ記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
「ビール一つ見つけられんなんて、木偶でくの坊とも大馬鹿とも、方図が知れんじゃないか! ああん? いやさ、こいつ横着なんじゃないのかい?」
接吻 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
飯粒めしつぶらるゝ鮒男ふなをとこがヤレ才子さいしぢや怜悧者りこうものぢやとめそやされ、たまさかきた精神せいしんものあればかへつ木偶でくのあしらひせらるゝ事沙汰さたかぎりなり。
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
一個の木偶でくにすぎなかった私は、危険な人物となった。そして苛酷かこくが私を破滅さしたと同じく、その後寛容と親切とは私を救ってくれたのである。
それだから俺は始めから死ぬんだ死ぬんだといって聞かせているのに、貴様たちはまるで木偶でくの坊見たいだからなあ。
ドモ又の死 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
男を迷はさず男の魂を飛さずにれられる女は一人も無かつた。惚れればきつと男の性根を抜き、男を腑抜ふぬけにして木偶でく人形のやうに扱はうとする。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
するとその木偶でくのような顔に、不意に一種の暖かい光りが閃めいて、感情とは言えないまでも、仄かな感情の残影とでもいうようなものが現われた。
その夜、彼女は、晝間より長つたらしく、木偶でくの如き妹を聞き役にして、胸中に叢がる思ひを取り留めもなく打ち明けた。話のうちに涙をさへ落した。
新婚旅行 (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
その無生の木偶でくにお母さんのあるわけもないのであるが、かくそれを人間の如く見ていう所に、雛に対する親しみと、打ち興じた興味があるのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
でも彼は、新しいものをさがしているときなぜアフリカ土人の作った原始的な木偶でくへかえったのだろう。それから、現実をバラバラにして置く図解へ。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
糸でかるる木偶でくのように我を忘れて行く途中、この馬鹿野郎発狂漢きちがいめ、ひとのせっかく洗ったものに何する、馬鹿めとだしぬけにみつくごとくののしられ
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
一口ひとくちにいういわゆる「様子ようすがいい」人、すなわち木偶でく同然の者のために身を誤るのはすなわちこれである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
世界中で何もかも木偶でくの棒ですが、子供だけは生々と跳ね廻っています。にこにこっと笑う笑顔ったらありませんよ。私の子供もよく笑ってばかりいましたっけ。
林檎 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
自分は雷ヶ浦の力で木偶でくの如く取扱はれ最後に頭を小常陸君の右肩へトント打突けられた。頭は暫く肉の中に埋まりやがて弾ね返される時呼吸いきをすつかり切らした。
相撲の稽古 (新字旧仮名) / 岡本一平(著)
「それは考へなくちやいけないよ、ジャネット。もし私が昔の私だつたら、あなたに考へさせるやうにするだらうけれど——だが——眼も見えぬ木偶でくの坊ぢやあ!」
おとよさんの秘密に少しも気づかない省作は、今日は自分で自分がわからず、ただ自分は木偶でくぼうのように、おとよさんに引き回されて日が暮れたような心持ちがした。
隣の嫁 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
おれは気の毒に思うたから、女はとがめるにも及ぶまいと、使の基安もとやすに頼んでやった。が、基安は取り合いもせぬ。あの男は勿論役目のほかは、何一つ知らぬ木偶でくの坊じゃ。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
妾の目から見る時は、世間の男は木偶でく同様、恐ろしくもなければ面白くもない。それに荻ノ江を
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ただそれは木偶でくのように私のするがままになっていた。泣きもしなかった。そして荒々しい息づかいをしながら、下の方からじっと私の顔を見上げた。殊更に目が白かった。
光の中に (新字新仮名) / 金史良(著)
「いやです、いやです。私には親があるのです。兄弟があるのです。助けて下さい、後生です。本当に木偶でくぼうの様に、あなたの云いなり次第になります。離して、離して」
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
だから僕が先刻さっきから云うんだ、実地を踏んできたえ上げない人間は、木偶でくぼうおんなじ事だって
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いたテーブルにかけさせられても、茂緒はしゅうし木偶でくのようにだまっていた。だまっているあいだに、みんなの話から、修造たちがもうここを立ち去ったことも分かった。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
百計尽きて、仕様がないと観念して、性をめ、情をめ、いきながら木偶でくの様な生気のない人間になって了えば、親達は始めて満足して、漸く善良な傾向が見えて来たと曰う。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
とウルリーケは屹然きっと法水を見据えたが、検事はその一言で、木偶でくのように硬くなってしまった——なぜなら、彼の云うのがもし真実だとすれば、あれほど厳然たる艇長の死が
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
此御中このおんなかなにとておき、相添あひそひて十ねんあまり、ゆめにも左樣さやう氣色けしきはなくて、清水堂きよみづだうのお木偶でくさま幾度いくたびむなしきねがひになりけん、旦那だんなさまさびしきあまりにもらせばやとおつしやるなれども
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
男の木乃伊と女の木乃伊が、お精靈しやうらい樣の茄子の馬の樣な格好をして、上と下とに重なり合つてゐた。その色が鼠色だつた。さうして木偶でく見たいな、眼ばかりの女の顏が上に向いてゐた。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
「ウフフ、枯れ木も山のにぎわいと申す。よくもこう木偶でくの坊がそろったもんだ」
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
実際人間は振り子の調子につれて、カタカタと動きパタリと倒れる木偶でくのようではないか。私は自分が以前あの例の娘を見初めて通いつくした頃もそんな考えに苦しめられたものである。
職工と微笑 (新字新仮名) / 松永延造(著)
紙の上ではすぐれてるか知れないが、その数字の工場から外へ出ると、もうまるで木偶でくの棒だ。生活と実務との経験ある良識家に導かれなかったら、学者はとてもやってゆけるものではない。
そこで妾の腹に出來ても、自分のたねは種であるといふところから、周三を連れて來て嗣子しゝとしたのであつた。從ツて目的がある。父は、周三を自分の想通かんがへどほりに動く木偶でくになツてもらひたかツた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
それがもとで、遂には他の人形をも舞わすようになり、後には浄瑠璃に合せて段ものを演出し、遂には「道薫坊どうくんぼう」と云われた人形舞わしが成立した。道薫坊とは「木偶でくの坊」ということである。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
「あれだ、ああいう木偶でくぼうを祭り上げて、いい気になって騒いでいる」
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「清正公に較べますと今時の工学士は皆木偶でくのごとありますからなあ」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
止せ、と退しさる、遣着やッつけろ、と出る、ざまあ見ろ、と笑うやら、痛え、といって身悶みもだえするやら、一斉に皆うようよ。有触れた銀流し、汚い親仁おやじなら何事もあるまい、いずれ器量が操る木偶でくであろう。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
驚いて、木偶でくのように凝り固まって立っていおる。
あなたの前で喰せ物の口の達者な木偶でくどもが
朝菜集 (旧字旧仮名) / 三好達治(著)
火に遇つた木偶でくといぢけさせました!
『ば、ばかなっ! 木偶でくが、生きた人間に、ものを教えたら逆さま事じゃ。御勝手に為されたがよい。随分、御随意に、おやんなさい』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
口数のすくない、極く控え目勝ちな女であった。美人には違いないが、動きの少い、木偶でくの様な美しさは、時に阿呆に近く見えることがある。
妖氛録 (新字新仮名) / 中島敦(著)
金之助は立って衣紋えもんを直し、刀を取上げて振返った。半三郎は毀れた木偶でくのように、身を投げだしたまま動くけはいもなかった。
落ち梅記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)