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嫡子
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ちゃくし
ふりがな文庫
“
嫡子
(
ちゃくし
)” の例文
嫡子
(
ちゃくし
)
六丸は六年前に元服して将軍家から
光
(
みつ
)
の字を賜わり、
光貞
(
みつさだ
)
と名のって、従四位下
侍従
(
じじゅう
)
兼
肥後守
(
ひごのかみ
)
にせられている。今年十七歳である。
阿部一族
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
と、里の娘たちは、山桃の木にかこまれているお
厩門
(
うまやもん
)
から出てゆく、城主の
嫡子
(
ちゃくし
)
のすがたを、畑から見るのを、楽しみにしていた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
定家の
嫡子
(
ちゃくし
)
は為家、建久九年に生れ、次男であった。異腹の兄は清家、後
光家
(
みついえ
)
といって、事あって廃嫡され、五位侍従に終って髪を
剃
(
そ
)
った。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
その
夜
(
よ
)
、
家
(
いえ
)
ではいささかの酒宴が催されました。父は今年六十。たとえ事情は何であっても、
表向
(
おもてむき
)
は
家
(
いえ
)
の
嫡子
(
ちゃくし
)
という体面を
重
(
おもん
)
ずるためでしょう。
監獄署の裏
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
かく申す拙者こそ花村甚五衛門の
嫡子
(
ちゃくし
)
にてすなわち花村右門でござる。嘘と
覚
(
おぼ
)
さば本陣へ参って父甚五衛門へこの趣き至急お取り次ぎくださるよう
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
▼ もっと見る
嫡子
(
ちゃくし
)
を連れた仙台の家老はその日まで旅をためらっていて、宿方で荷物を預かった礼を述べ、京都の方の
大長噺
(
おおながばなし
)
を半蔵や伊之助のところへ置いて行った。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
平太郎には当時十七歳の、
求馬
(
もとめ
)
と云う
嫡子
(
ちゃくし
)
があった。求馬は早速
公
(
おおやけ
)
の
許
(
ゆるし
)
を得て、
江越喜三郎
(
えごしきさぶろう
)
と云う若党と共に、当時の武士の習慣通り、
敵打
(
かたきうち
)
の旅に
上
(
のぼ
)
る事になった。
或敵打の話
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
父
嫡子
(
ちゃくし
)
をよびて
横槌
(
よこづち
)
を持ってこいというと、鬼子これを聞いて父が手に
咬
(
か
)
みつくのを、その槌をもって
頻
(
しき
)
りに打って殺してしまった。人集まりてこれを見ること限りなしとある。
山の人生
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
ことに真宗の
親鸞上人
(
しんらんしょうにん
)
なんて、われこそ法然上人の
嫡子
(
ちゃくし
)
なり、と名乗りを立てている人をそっちのけにして、にくまれっ児の日蓮上人を養子にしてしまったんでは、名主総代から
大菩薩峠:28 Oceanの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
長束正家等の
嫡子
(
ちゃくし
)
と共に人質として大坂城内にいたのであるが、一説には、九月十九日の夜、
乳母
(
うば
)
や津山甚内と云う武士に
扶
(
たす
)
けられて大坂を逃れ、京都に来て妙心寺の寿聖院に入ったので
聞書抄:第二盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
この土地の領主は三年あまりの
長煩
(
ながわずら
)
いで去年の秋に世を去った。その臨終のふた月ほど前に、
嫡子
(
ちゃくし
)
の忠作が急病で死んで、次男の忠之助を世嗣ぎに直したいということを幕府に届けて出た。
半七捕物帳:33 旅絵師
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
家筋を
思召
(
おぼしめ
)
され、家督は相違なく
嫡子
(
ちゃくし
)
小平太(当年八歳、後に政永)へ下置かれる
旨
(
むね
)
、月番老中本多
中務
(
なかつかさ
)
大輔から申渡された。十一月一日、越後国
頸城
(
くびき
)
郡高田へ国替を命ぜられ、翌年、入部した。
鈴木主水
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
丁度此の時遊びにまいって居たのが榊原藩の
重役中根善右衞門
(
なかねぜんえもん
)
の
嫡子
(
ちゃくし
)
善之進
(
ぜんのしん
)
と云う者でございますが、御留守居役《おるすいやく》の御子息で、まだ二十四歳でございますから、隠れ忍んで来るが
敵討札所の霊験
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
紀伊守の
嫡子
(
ちゃくし
)
、天野
元明
(
もとあき
)
は、十頭ばかりの馬が
繋
(
つな
)
いである木立の蔭から、小声で——しかし急な烈しい声で——誰かを
急
(
せ
)
きたてていた。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
弥五右衛門
景吉
(
かげよし
)
の
嫡子
(
ちゃくし
)
才右衛門
一貞
(
かずさだ
)
は知行二百石を
給
(
たま
)
わって、鉄砲三十
挺頭
(
ちょうがしら
)
まで勤めたが、宝永元年に病死した。
右兵衛景通
(
うひょうえかげみち
)
から四代目である。
興津弥五右衛門の遺書
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
彼は京都へ、早馬を立て、書状をもって、今度の事件と、大掾国香の横死を、こまごまと国香の
嫡子
(
ちゃくし
)
貞盛へ、報らせておいた。
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
子爵は財政が割合に豊かなので、
嫡子
(
ちゃくし
)
に外国で学生並の生活をさせる位の事には、さ程困難を感ぜないからである。
かのように
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
やよ清盛、そもそも、ご
辺
(
へん
)
は、
故
(
こ
)
刑部忠盛
(
ぎょうぶただもり
)
の
嫡子
(
ちゃくし
)
であったが、十四、五の頃まで出仕にもならず、
京童
(
きょうわらんべ
)
は、
高平太
(
たかへいた
)
の、
眇
(
すがめ
)
のといっておった。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かくて直ちに相役の
嫡子
(
ちゃくし
)
を召され、御前において盃を申つけられ、
某
(
それがし
)
は
彼者
(
かのもの
)
と互に意趣を
存
(
ぞん
)
ずまじき
旨
(
むね
)
誓言致し候。
興津弥五右衛門の遺書(初稿)
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
故
(
こ
)
劉表
(
りゅうひょう
)
の
嫡子
(
ちゃくし
)
として、玄徳はあくまで琦君を立ててきたが、生来多病の劉琦は、ついに
襄陽
(
じょうよう
)
城中でまだ若いのに長逝した。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
御臨終の
砌
(
みぎり
)
、
嫡子
(
ちゃくし
)
六
丸
(
まる
)
殿御幼少なれば、大国の領主たらんこと
覚束
(
おぼつか
)
なく思召され、領地御返上なされたき由、
上様
(
うえさま
)
へ申上げられ候処、泰勝院殿以来の忠勤を思召され
興津弥五右衛門の遺書(初稿)
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
黒田家から
傅人
(
もりびと
)
として井口兵助、大野九郎左衛門などを付けてよこしてあるが、竹中家としてもほとんど主人半兵衛の
嫡子
(
ちゃくし
)
同様に
待遇
(
たいぐう
)
していた。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
景一は京都赤松殿
邸
(
やしき
)
にありし時、
烏丸光広
(
からすまるみつひろ
)
卿と
相識
(
そうしき
)
に相成りおり
候
(
そろ
)
。これは光広卿が幽斎公和歌の御弟子にて、
嫡子
(
ちゃくし
)
光賢
(
みつかた
)
卿に松向寺殿の御息女
万姫君
(
まんひめぎみ
)
を
妻
(
めあわ
)
せ居られ
候
(
そろ
)
故
(
ゆえ
)
に候。
興津弥五右衛門の遺書
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
ちょうど自分と同じ三家の
嫡子
(
ちゃくし
)
にあった彼が、天下の大統を
享
(
う
)
けて将軍に坐った自分に対して一種のそねみと反感を持ち
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三十六
歳
(
さい
)
で
右近衛権少将
(
うこんえごんしょうしょう
)
にせられた家康の一門はますます栄えて、
嫡子
(
ちゃくし
)
二郎三郎信康が二十一歳になり、二男
於義丸
(
おぎまる
)
(
秀康
(
ひでやす
)
)が五歳になった時、世にいう
築山殿
(
つきやまどの
)
事件が起こって
佐橋甚五郎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
先ほど、あなたが母へ話していたのを伺うと、あなたは今朝、蓮台寺野で吉岡家の
嫡子
(
ちゃくし
)
と試合をなされたお方でしょう。
宮本武蔵:05 風の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
生
(
しょう
)
あるものは必ず滅する。老木の朽ち枯れるそばで、若木は茂り栄えて行く。
嫡子
(
ちゃくし
)
光尚の周囲にいる
少壮者
(
わかもの
)
どもから見れば、自分の任用している
老成人
(
としより
)
らは、もういなくてよいのである。
阿部一族
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
向けて来る物干竿の切っ先は炎々たる闘志の
塊
(
かたまり
)
であった。清十郎の体にはさすが拳法の
嫡子
(
ちゃくし
)
、それを受けるだけの余裕と鍛えたものが十分に見える。
宮本武蔵:04 火の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
嫡子
(
ちゃくし
)
の
孫登
(
そんとう
)
ももちろん同時に皇太子にのぼった。そしてその輔育の任には、
諸葛瑾
(
しょかつきん
)
の子
諸葛恪
(
しょかつかく
)
を
太子左輔
(
たいしさほ
)
とし、張昭の子張休が太子
右弼
(
うひつ
)
を命ぜられた。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その寄手の総大将は、信長の
嫡子
(
ちゃくし
)
信忠であり、堀久太郎秀政、滝川左近将監
一益
(
かずます
)
などの諸将が、それを
扶
(
たす
)
けていた。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
上野介の
嫡子
(
ちゃくし
)
吉良
左兵衛佐
(
さひょうえのすけ
)
は、屋敷のうちの物音には誰よりも敏感であった。すぐ、神経質な眼を澄まして、書物を机に伏せた。そして、廊下へ立つと
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また信長と対座していた織田家の
嫡子
(
ちゃくし
)
信忠へ向っても、はるかに礼をして、それから少し膝の向きをかえ、なお一段低い所にいる所司代の村井長門守へも
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ふーム……。さては、わしの
正腹
(
しょうふく
)
の
嫡子
(
ちゃくし
)
のないことを、石川家の方でも薄々心にとめていたものと見える」
牢獄の花嫁
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ただし、
嫡子
(
ちゃくし
)
五郎右衛門と
宗矩
(
むねのり
)
の両名に、もう一名
孫
(
まご
)
の兵庫
利厳
(
としとし
)
を連れて参りたいが、どうあろうか」
剣の四君子:02 柳生石舟斎
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
嫡子
(
ちゃくし
)
も嫡子、殿も殿かな——と、ふたりの儒臣は、ここにいたって、もう何をいう勇気も失っていた。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
重臣たちの意向をさぐると、
逢紀
(
ほうき
)
、
審配
(
しんぱい
)
のふたりは、
袁尚
(
えんしょう
)
を擁立したがっているし、
郭図
(
かくと
)
、
辛評
(
しんひょう
)
の二名は、正統派というか、
嫡子
(
ちゃくし
)
袁譚
(
えんたん
)
を立てようとしているらしい。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
相国の
嫡子
(
ちゃくし
)
の小松
重盛
(
しげもり
)
が左大将に、次男の
宗盛
(
むねもり
)
が右大将に昇官して、徳大寺、花山院の諸卿をも超え、自分の上にも坐ったということが、何としても新大納言
成親
(
なりちか
)
には
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
嫡子
(
ちゃくし
)
庶子
(
しょし
)
のあいだに暗闘があるなど、——ようやく亡兆のおおい得ないものが見えだしました。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長一族としては
嫡子
(
ちゃくし
)
信忠
(
のぶただ
)
、弟の
信雄
(
のぶお
)
も行った。水野、
蒲生
(
がもう
)
、森、稲葉一鉄なども従って行く。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼が
落魄
(
おちぶ
)
れ
公卿
(
くげ
)
の子と
嗤
(
わら
)
われ、ガタガタ
牛車
(
ぐるま
)
で日野の学舎へ通う時、自分は時めく
平相国
(
へいしょうこく
)
の
家人
(
けにん
)
の
嫡子
(
ちゃくし
)
として、多くの
侍
(
さむらい
)
を供につれ、美々しい牛車に
鞭打
(
むちう
)
たせて、日ごとに
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
嫡子
(
ちゃくし
)
の氏真を呼ぶにも、義元は和子とよんだ。この父の子らしい苦労知らずの青年だった。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いま安土の城へのぼって来た半兵衛
重治
(
しげはる
)
は、側に、官兵衛孝高の
嫡子
(
ちゃくし
)
於松
(
おまつ
)
をひきよせ、病後——いや病中とて、疲労は
面
(
おもて
)
にあらわれていたが、いつにない盛装をして、一歩一歩
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「この頃、呉の孫権が関羽を抱きこもうとして、関羽のむすめを呉侯の
嫡子
(
ちゃくし
)
へ迎えようと、使者をやったところ、関羽は、虎の子を犬の児の嫁にはやれんと、断ったそうですよ」
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
使いをもって、遠路、老体をわずらわしたが、実を申せば、江戸にある
嫡子
(
ちゃくし
)
秀忠
(
ひでただ
)
に、剣の良師を求めておる。早速であるが、徳川家に
随身
(
ずいしん
)
の意志はないか。それが問いたいのじゃ。
剣の四君子:02 柳生石舟斎
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長の
嫡子
(
ちゃくし
)
信忠の遺子三
法師
(
ぼうし
)
丸
(
まる
)
がいる関係上、自然、安土以後の織田家の中心がそこに移されたかのような観をなしていたためであるが、勝家には、そのこともまた、何か逸早く
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
由来、お
汝
(
こと
)
たちの主人と自分とは、浅からぬ
交
(
まじ
)
わりもなして来た仲。いかに安土のおいいつけなればとて、何でむざと、官兵衛どのにとって、大切な
嫡子
(
ちゃくし
)
をば、首として差出されよう。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
側仕
(
そばづか
)
えの
侍女
(
こしもと
)
をあいてに、棒などをふり廻していた。長政の
嫡子
(
ちゃくし
)
、
万寿丸
(
まんじゅまる
)
だった。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信貴山城
(
しぎさんじょう
)
の松永
久秀
(
ひさひで
)
は、先頃から
叛旗
(
はんき
)
をひるがえし、信長の
嫡子
(
ちゃくし
)
信忠、佐久間、明智、丹羽、筒井、細川などの諸軍はことごとく北陸から転じて、一斉に彼を攻めつつあるところだった。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この大きな屋敷の主人、
明智光安入道
(
あけちみつやすにゅうどう
)
の
嫡子
(
ちゃくし
)
で、
弥平治光春
(
やへいじみつはる
)
とよばれていた。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、
次
(
つぎ
)
部屋のふすまを開け、勝入の
嫡子
(
ちゃくし
)
紀伊守が、遠くから、両手をついた。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“嫡子”の意味
《名詞》
法律上婚姻関係にある妻・正妻が生んだ子。
家督を継ぐ者。
(出典:Wiktionary)
“嫡子(
嫡男
)”の解説
嫡男(ちゃくなん)とは、嫡子(')とも呼ばれ、一般に正室(正嫡)の生んだ男子のうち最も年長の子を指す。女子の場合は嫡女'となる。
(出典:Wikipedia)
嫡
常用漢字
中学
部首:⼥
14画
子
常用漢字
小1
部首:⼦
3画
“嫡子”で始まる語句
嫡子信康