ささや)” の例文
ヘンに目立つような真四角な風呂敷包みを三等車の網棚に載せて、その下の窓ぎわに腰かけながら、私たちはこうささやき合ったりした。
父の葬式 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
遠くから私のほうをちらちら見ては何やらささやき合い、そのうちに、わあいと、みんな一緒に声を合せて、げびたはやしかたを致します。
千代女 (新字新仮名) / 太宰治(著)
大阪お祖母さんでは流石さすがに権威がないように子供心に思えたのだ。嘘のような真実を私はイエにささやいた。ひとこと報いたい心だった。
前途なお (新字新仮名) / 小山清(著)
そして、なまめかしいささやきを囁きあったが、和尚の態度は夫人以上に醜悪なるものであった。李張はまず和尚を踏みつぶしてやりたかった。
悪僧 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
男の顔には絶望の微笑ほほえみが現れた。そして息を歯の間から出すようなささやき声で、「堪忍しろ」と云った。声は咳枯しわがれて惨酷に聞えた。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
幸吉が引下ると、国枝氏は警察署長と何かヒソヒソささやいていたが、やがて一人の私服刑事が、署長の命令でどこかへ出かけて行った。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
近藤はただちに何ごとをか言い出さんと身構をした時、給使きゅうじの一人がつかつかと近藤のそばに来てその耳に附いて何ごとをかささやいた。すると
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
高張提灯の薄暗いあかりの下に、五六十人も押し重なった町内の人達も、あまりの苛酷な情景シーンに眼をそむけて、非難のささやきを波打たせます。
そんな素直すなおかんがえもこころのどこかにささやかないでもなかったのですが、ぎの瞬間しゅんかんにはれいけぎらいがわたくし全身ぜんしんつつんでしまうのでした。
ある夜彼がまた洞穴の奥に、泣き顔を両手へうずめていると、突然誰かが忍びよって、両手に彼をいだきながらなまめかしい言葉をささやいた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「いいじゃないの」光子は甘ったるい鼻声でささやくように云う、「夫婦の仲ですもの、そんな他人行儀なこと云うもんじゃなくってよ」
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
一人が一人の耳に口をつけてささやくと、囁いた方が人を分けて前へ進み出し、囁かれた方は、もとのままに兵馬を監視しているらしい。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
が、いづれにしてもみんなの口は、新任先生の下馬評ににぎはつて、ささやきとなり呟きとなり笑ひとなつて、部屋の空氣がざわめき立つてゐた。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
そうして、それから後三太郎君の魂は毎晩のように、同じところで露子さんと出会って、ささやき合い、泣き合い、笑い合ったのです。
(新字新仮名) / 夢野久作(著)
江戸木板画の悲しき色彩が、全く時間の懸隔けんかくなく深くわが胸底きょうていみ入りて常に親密なるささやきを伝ふる所以ゆえんけだし偶然にあらざるべし。
浮世絵の鑑賞 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかも絶えず何ものかのささやきに充たされているようなので、いつか聞覚えてしまったヴィットリアの「アヴェ・マリア」の一節などを
木の十字架 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
彼は自分の思想のささやきのうちに、また、ゆるやかにたってゆく田舎いなかの単調な日々の親しい感覚のうちに、ぼんやり浸り込んでいた。
それでも艇と艇との間にはだんだん隔たりが生じてくる。皆はなおも興奮して小声で「ずんずん抜いてやれ」とささやきながら漕いだ。
競漕 (新字新仮名) / 久米正雄(著)
わずかに残ったこずえの葉擦れが、寂しさ、なつかしさをささやき交わす様なひそかな音をたてる、あの時のままの茶褐色であるのを見た。
かやの生立 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しかし、院を背景とする薄暗い底流くつに、いったいどんな怪魚が寄って、何をささやき合っているか、これもまだ表面のものではない。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「四宮さんは二階に殺されていてよ」とミチ子が耳のそばささやいた。サテは、と思って僕がミチ子を見据みすえた時、階上で叫ぶ声が聞えた。
階段 (新字新仮名) / 海野十三(著)
なんだかうっとうしい晩だけれど、軒端のきばを伝う雨のしずくに静かに耳を傾けていると、思いなしかそれがやさしいささやきのように聞えて来る。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
小路や角の辻々に、得体の知れない人々が、十人、二十人、四、五十人と、組をなして佇んで、ひそひそささやき合い話し合っていた。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そしてささやいた。「おれは盗んだのだ。何百万と云う貨物しろものを盗んだ。おれはミリオネエルだ。そのくせかつえ死ななくてはならないのだ。」
橋の下 (新字新仮名) / フレデリック・ブウテ(著)
そして、私達はその帰り途に、「あの人は、画家だぞ。あの人は画家だぜ。」と、何か不思議なものを見たように、ささやきあった。
再度生老人 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
母親達の中から、ささやきが小波のように起った。「面白いお子さんですこと」と云う一つの声が、とがめるようにお咲の耳を撃った。
日は輝けり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
本能的にすくんだ彼女をしめつけて、四日の晩、初酉はつとりに連れてつてやるよ、店をしまつたら、花屋敷の側で待つてな、とささやくのであつた。
一の酉 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
好い奉公人を置き当てたと家内の者も喜んでいた。私も喜んでいた。すると四、五日経ったのち、妻は顔をしかめてこんなことを私にささやいた。
二階から (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
菊路のことがささやかれでもしたらしく、急に座内が色めき立ったかと思われるや一緒に、十郎次の言う声が戸の外にまで洩れ伝わりました。
今まであの隧道とんねるの惨事以来、彼女に絶えずささやきつづけていた、高代たかよという一事が、今度も滝人の前に二つ幻像となって現われた。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
二人三人、世話人が、列の柵れにきつかえりつ、時々顔を合わせて、二人ささやく、直ぐに別れてまた一人、別な世話人とちょっと出遇であう。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼の不安は、山毛欅ぶなへ、かしわへ、マロニエへと移って行き、やがて、庭じゅうの樹という樹が、互いに、手まね身ぶりでささやき合う。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
美しい俳優わざおぎは、そうした行人の、無遠慮なささやきを、迷惑そうに、いつか、諏訪すわ町も通り抜けて、ふと、右手の鳥居を眺めると
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
少しばかり強く風が渡ると、光りの薄い星が瞬きをして、黒いそこらの樹影こかげが、次ぎから次ぎへと素早くささやきを伝へて行く。
散歩 (新字旧仮名) / 水野仙子(著)
彼は、歓ぶ春生達と、貧しい食事を済ますと、万一にも迷惑をかけては相済あいすまぬから、当分遠ざかって考えると、老人にささやいて小屋を去った。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
ひそひそとささやかれていたのだが、四十九日が過ぎ、百ヵ日が過ぎ、その年も暮近くになって、やっと正木の老人から俊亮に話し出したのだった。
次郎物語:02 第二部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
「レエスの縁飾フリルのついた下袴ペティコートで一杯だってよ。」ラヴィニアは身をこごめて地理の本の上から、ジェッシイにささやきました。
同じように自然も私たちに向って「まかせてくれ、頼ってくれ」といつもささやいている。自然にまかせきった器、それを美しき器と呼ぶのである。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「俺を紹介してもらえないだろうか?」とパーズレイがささやいたが、私は夢のような気持で返事をするのも打ち忘れて、高い椅子から滑り降りた。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
しょぼ降る雨のなかを一本のかさで、石のごろごろしている強羅ごうら公園を歩いている時も、ここで一夏一緒に暮らしてみたいようにささやくかと思うと
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
他の客は七郎の質朴できたない風体をしているのを見て、公子は人の見さかいなしに交際しているといってささやきあった。
田七郎 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
子供たちは小さな声でささやくように言い合った。けれど自分から進んで大きな声で答えるものがなかった。先生は誰かをまた名指しそうにしていた。
私は出来るだけの日本語で、彼に先にやってくれ、あなたのすることを一生懸命に見ているからとささやいた。すると彼は、右側の箱から香を取った。
お俊の考えを押し広げると子供同士の、窺い知ることのできない世界に二人が何かをささやいていることが、ありそうな事にも思われないでもなかった。
童話 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
戸の内でささやく声と足音とがして、しばらくしてから戸が開いた。出て来たのは三十歳ばかりの下女で、人を馬鹿にしたような顔をして客を見ている。
田舎 (新字新仮名) / マルセル・プレヴォー(著)
二人は熱心に、笑ひながら、はにかみながら嬉しさうにささやいて居た。それから立ち上り、手をつないで行つてしまつた。
田舎の時計他十二篇 (新字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
それに応ずるように、信一郎の良心が、『貴様は卑怯ひきょうだぞ。貴様は卑怯だぞ。』と、低くしかしながら、力強くささやいた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それからまた三日ばかりつて、天人が空をながめてゐますと、子良しりやうがこつそりと来て、そのそでを引いて、ささやきました。
子良の昇天 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
小さな躑躅つつじ金盞花きんせんかなどの鉢植はちうえが少しずつ増えた狭い庭で、花を見降している高次郎氏の傍には、いつもささやくようなみと子夫人の姿が添って見られた。
睡蓮 (新字新仮名) / 横光利一(著)
彼れはこれから手風琴をいて聞かせるから、もう少しこの座に居てれと、さも私を慰撫ゐぶするやうにささやいて呉れた。
アリア人の孤独 (新字旧仮名) / 松永延造(著)