喬木きょうぼく)” の例文
植物として私の最も好む山百合、豌豆えんどうの花、白樺、石楠花しゃくなげのほかに、私は落葉松という一つの喬木きょうぼくを、この時より加えることにした。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
すでに、廖化りょうかの剣は、彼のうしろに迫っていた。司馬懿は目の前にある喬木きょうぼくの根をめぐって逃げた。それは十抱とかかえもある大木だった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大きくはないが喬木きょうぼくが立ちめて叢林そうりんを為した処もある。そしてその地には少しも人工が加わっていない。全く自然のままである。
春琴の眼疾というのは何であったか明かでなく伝にもこれ以上の記載きさいがないが後に検校が人に語ってまことに喬木きょうぼくは風にねたまれるとやら
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
梅雨のように、じめじめと陰気な、こまかい雨が、赤松を濡らし、栽地の土を濡らし、丘の斜面を、雑木林を、松の喬木きょうぼくを濡らしている。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
高柳君は今こそ苦しいが、もう少し立てば喬木きょうぼくにうつる時節があるだろうと、苦しいうちに絹糸ほどな細い望みをつないでいた。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
富士山中で、大宮口の森林として、もっとも名高いモミ、ツガ、ナラ、モミジ、ブナなどの、夏なお寒い喬木きょうぼく帯を通過する。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
周囲十町はたっぷりとあり、喬木きょうぼく灌木かんぼく生い繁り、加うるにつる草が縦横にはびこり、一旦うかうかはいろうものなら、容易なことでは出られない。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それとは直角に七葉樹しちようじゅの並木が三列に植えられ、既に盛り上がるように沢山たくさんの花の芽を持っている。どれもこれも六七十年のたくましい喬木きょうぼくであった。
その落ちついた有様は、こずえの葉一つ動かさない喬木きょうぼくが、晴れた青空にすっきりと立った姿のごとくでありました。
いわゆる故国は喬木きょうぼくあるのいいにあらずと、唐土の賢人はいったそうだが、やはり故国の喬木はなつかしい。
秋の修善寺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
この銅像はたけ一丈六尺と申すことにて、台石は二間にけんに余り候はむ、兀如こつじょとして喬木きょうぼくこずえに立ちをり候。
凱旋祭 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
しかも喬木きょうぼくが多いのですが、その代り田地はない処。はたけはあるが、畠には一面に麻を植えてあります。
原っぱに立つ喬木きょうぼくのような千恵子も、路地の片隅の雑草のようなミネも、同じ会合へと集っている。
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
城の崖からは太い逞しい喬木きょうぼくや古い椿つばきが緑の衝立ついたてを作っていて、井戸はその蔭に坐っていた。
城のある町にて (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
それ世界は造物主の林園なり。人類はその野禽なり。これをしてその幽谷を出で喬木きょうぼくに移り林園を快翔かいしょうせしめんと欲せば、まず貴族社会の籠中に孤囚たらしめざるべからず。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
疑いなくこのたびの戦争に依って日本が世界的強国となったことは、この一事を以て証拠立てることが出来る。これで永久の平和が来るかといえばそうでない。喬木きょうぼく烈風多し。
吾人の文明運動 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
たまに、喬木きょうぼくがあっても枯れていて、わずか数発の弾でぼろりと倒れてしまうのである。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
が、何と言ってもまきの果ほど子供たちに喜ばれたものはなかった。喬木きょうぼくの槙の木は、栗や椎の木のような下枝がなかったので、木登りの上手な子供でなければ登ることができない。
甘い野辺 (新字新仮名) / 浜本浩(著)
しかし池畔ちはんからホテルへのドライヴウェーは、亭々ていていたる喬木きょうぼくの林を切開いて近頃出来上がったばかりだそうであるが、樹々も路面もしっとり雨を含んで見るからに冷涼の気が肌に迫る。
雨の上高地 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
硝子戸越しに喬木きょうぼくこずえが坐っている私の眼に見える。医学書にある神経図に似た梢がにわかにゆらゆらと動いた。それと一緒に硝子にあたる風の音を私は聞いた。私は手を伸ばして窓をあけた。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
烏の群が空低く鳶に追われているその下に、石垣の端近く、羽毛のような葉をした喬木きょうぼくに黄色い小さな花が雨に打たれて今を盛りと咲き誇っているのが、射るように釘抜藤吉の眼に映った。
自分は三鬼山みきざんの奥に三年こもり、一人の老翁のために剣法を授かったが、その老翁が喬木きょうぼくは風にねたまれるから、決してその術を現わさぬよう、平常ふだんは馬鹿を装っているがいいといわれたから
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
満山隠然として喬木きょうぼく茂り、ふもとには清泉そそげる、村の最奥の家一軒そのあとに立ちて流れには唐碓からうすかけたる、これぞ佐太郎が住居なりき、彼は今朝未明に帰り来たり、夜明けたれど外にも出でず
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
自分で板戸を繰りあけて見ると、縁先には、枯れた花壇の草や灌木かんぼくが風のために吹き乱された小庭があって、その先は、すぎ、松、その他の喬木きょうぼくの茂みを隔てて苔香園たいこうえんの手広い庭が見やられていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
喬木きょうぼくを下って幽谷ニ入ル。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
喬木きょうぼく風にあたる。何しろ、御勲功の赫々かっかくたるほど、人のっかみもしかたがあるまい。わけて特に、君寵くんちょう義貞に厚しともあれば……」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鴻雁こうがんは空を行く時列をつくっておのれを護ることに努めているが、うぐいすは幽谷をでて喬木きょうぼくうつらんとする時、ぐんをもなさず列をもつくらない。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
或いは下から高く投げ上げてうらないをしたという地方もあり、または支那でいう鮑魚神ほうぎょしん同然にその草鞋の喬木きょうぼくの梢にあるを異として、神に祀った話もある。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
山の左右から道の方に向かい、打ち重なった喬木きょうぼくが、枝葉を交えているために、空を見ることが出来なかった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼の今までいた所は北向きの湿っぽいにおいのする汚いへやでした。食物くいものも室相応そうおうに粗末でした。私の家へ引き移った彼は、幽谷ゆうこくから喬木きょうぼくに移った趣があったくらいです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
裾を蹈んで頭を叩けば、ただこの一座山のごとき大奇巌は月界に飛ばんず形。繁れる雑種の喬木きょうぼくは、こずえを揃えてくだんいわの裾を包んで、滝は音ばかり森の中に聞えるのであった。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
中でもシャスタもみと呼ばれる喬木きょうぼくの一種は、この山、特有とまでゆかなくても、この山の産として最も名高いのであるが、富士の落葉松からまつを、富士松と呼ぶたぐいであるかも知れない。
火と氷のシャスタ山 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
だらだら坂を登り切ると、丘の頂上は喬木きょうぼく疎林そりんとなり、その間を縫うみちを通るとき、暑い午後の日射ひざしは私の額にそそぎ、汗が絶え間なくしたたった。林をぬけると、やや広闊こうかつな草原があった。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
「倒れかかっている甲賀家の喬木きょうぼく、この世にたよのないお千絵様——、それをささえる力、救うお方は、あなたのほかにはございません」
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この通を行尽すと音羽おとわへ曲ろうとする角に大塚火薬庫のある高い崖が聳え、そのいただきにちらばらと喬木きょうぼくが立っている。
その他にやや遠くから実験したものにはふえ太鼓たいこはやしの音があり、また喬木きょうぼくこずえの燈の影などもあって、じつはその作者を天狗とする根拠は確実でないのですが
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
富士見高原の峠道、喬木きょうぼくがすくすくと左右に生え、その葉が高く頭上を蔽い、穹窿型きゅうりゅうがたをなしている。トンネルが通っているようだ。木の葉にさえぎられて空が見えぬ。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
喬木きょうぼくの梢を風が渡るのが見える。道はうねりながら林の奥に消えていた。此処からは樹群がまばらで木々の長い影が地に落ちていた。疲労が快よい倦怠感に変って行くのがはっきり感じられた。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
照り返す河原の水べりを避けて、出水あとの堤崩れが見える一喬木きょうぼくの下に、三七信孝は、馬印を立て床几しょうぎをすえていこうていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかり雨の窓を打ち軒に流れしたたり竹にそそぐやそのひびき人の心を動かす事風の喬木きょうぼくに叫び水の渓谷にむせぶものに優る。風声は憤激の声なり水声は慟哭どうこくなり。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
見ていると——帯は長く尾をいて喬木きょうぼくこずえに懸り、そのあまりは、枝から地上へ、旗の如くダラリと垂れ下がりました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このあたり今は金富町かなとみちょうとなふれど、むかしは金杉かなすぎ水道町にして、南畆がいはゆる金曾木かなそぎなり。懸崖には喬木きょうぼくなほ天をし、樹根怒張して巌石のさまをなせり。澗道かんどうを下るに竹林の間に椿の花開くを見る。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
野中にみえる一本の喬木きょうぼくの根へ、百は、女のからだをしばりつけた。お稲は、媚態びたいと狂態のかぎりをつくして、百に、命をたすけてくれと泣いてさけんだ。
野槌の百 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
魚鳥マタ碕沂きぎんノ間ニ相嬉あいあそブ。池ノ南ハ密竹林ヲナシ、清流ソノ下ヲ穿過せんかス。池ノ北ハ稲畦蔬圃墻外とうけいそほしょうがいノ民田ト相接ス。園ハ喬木きょうぼく多ク、槎枿竦樛さげつしょうきゅう、皆百年外ノ物タリ。而シテ堂独リ翼然トシテ池上ニ臨ム。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この君の精神こころをとおし、この殿の将来をとおし、自分の理想は、何らかのかたちで世に行われよう。自分はこの喬木きょうぼくを大ならしめる根もとの肥料こえであっていい。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ヒラリと、その喬木きょうぼくの下枝へ飛びついたかと思うと、ましらのようにバサバサと木の葉を散らしてじ登った。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
以来、城中の士気は、一葉一葉落ちてゆく晩秋の喬木きょうぼくにも似ていた。脱走者は相継いでやまないし、城外からのさまざまな噂も寒風の如く入って来る。たとえば
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういったほど、喬木きょうぼくの厚ぼったい茂りが、一同の上をふさいできた。みんなわらじばきなので、シト、シト、シト……と揃う跫音あしおとが言葉のない間を静かにつなぐ。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
喬木きょうぼくの仆れるように、虚空こくうに人生の真をつかみながら、まだ三十幾つかの若い生涯を彼は終った。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)