すなわち)” の例文
そのころ、わたくしはわが日誌にむかしあって後に埋められた市中溝川の所在を心覚こころおぼえしるして置いたことがある。すなわち次の如くである。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
敵国が未だ兵力を集中せないすなわち戦闘準備のととのわない虚に乗じて、急馳きゅうち電撃これを潰乱かいらんせしめるのである、ネルソンの兵法はそうでない
竹乃里人 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
仲々立派な建物で、牛の住家すまいとは思われない。牛舎の中も暗らかった。暗い建物のその中に、象とも見紛う巨大な獣、すなわち闘牛が一匹いた。
闘牛 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しかし大概な紀行は純粋の美文的に書くものでなくてもやはり出来るだけ面白く書こうとするすなわち美文的に書こうとする
徒歩旅行を読む (新字新仮名) / 正岡子規(著)
汝がわれを唾罵だばする心は、これすなわち驕慢きょうまんにして、七つの罪の第一よ。悪魔と人間の異らぬは、汝の実証を見て知るべし。
るしへる (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それでわたくし反応はんのうしています。すなわち疼痛とうつうたいしては、絶呌ぜっきょうと、なみだとをもっこたえ、虚偽きょぎたいしては憤懣ふんまんもって、陋劣ろうれつたいしては厭悪えんおじょうもっこたえているです。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
苦中楽ありとはすなわちれなり。しかりといえども人生の多情多慾たよくなる、ほとんど飽くことを知らず。今日の慶應義塾を見るに、その学事はおよそ資金の許す限りにつとめざるはなし。
範囲は俳句を作り始めた明治二十四、五年頃から昭和十年まで、すなわち昭和十一年十一月二十日に出版した『句日記』の句までとしたので、その後の句はこの集にはれている。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
魁岸かいがん勇偉、膂力りょりょく絶倫、満身の花文かぶん、人を驚かして自ら異にす。太祖に従って、出入離れず。かつて太祖にしたがって出でし時、巨舟きょしゅうすなこうして動かず。成すなわち便舟を負いて行きしことあり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
蝦蟆がますなわち牛矣うしきのこすなわち其人也そのひとなり古釣瓶ふるつるべには、そのえんじゅ枝葉しようをしたゝり、みきを絞り、根にそそいで、大樹たいじゅ津液しずくが、づたふ雨の如く、片濁かたにごりしつつなかば澄んで、ひた/\とたたへて居た。あぶらすなわちこれであつた。
雨ばけ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
ブルすなわち情慾である。彼らは本能そのものなのだ。衝動は自然だ。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
そもそもゴンクウルがこの新研究に着手したりしはその著『歌麿伝』の叙にも言へるが如く、浮世絵はすなわち十八世紀の美術たるが故なり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
余もあながち活動をわるいといふのでないが、活動に伴なふ所の弊害すなわち厭味とか無理とかいふものを脱することが甚だむづかしいと思ふのである。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
うして町の外れまで、すなわち、沙漠の入口まで、歩いて来た時立ち止まって、博士は行手を眺めてみた。
木乃伊の耳飾 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
さいわいにしてタメルランは、千四百〇五年すなわち永楽三年二月の十七日、病んでオトラル(Otoral)に死し、二雄あい下らずして龍闘虎争りゅうとうこそうするの惨禍さんか禹域ういきの民にこうむらしむること無くしてみぬ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
すなわち安助高慢のとがに依って、「じゃぼ」とて天狗てんぐと成りたるものなり。
るしへる (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
と言うものすなわちこれである。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
『乍浦集』の原本は西暦千八百四十二年すなわち我が天保十三年壬寅の年英国の軍隊が南しんの諸州をこうし遂に香港ホンコンを割譲せしむるに至った時
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すなわち感情任せに句を作って少しも理窟を顧みないというような処が多い。今少し理窟的に研究して貰いたいと思う。
病牀苦語 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
すなわち、老人の所有物——縫目のほころびている古靴と、煮〆たようなハンケチと、老人の室の合鍵と……それらが行衛ゆくえを失ったのであった。勿論老人は知らなかった。
死の航海 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その男、すなわち客人御自分が。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
テイザンいわく北斎の特徴と欠点とは要するに日本人通有の特徴と欠点なり。すなわち事物に対して常にその善良なる方面のみを見んとする事なり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すなわち、大陸の文化を朝鮮が媒介して日本へ渡来せしめ日本の文化を促進せしめたことであって、兄媛、弟媛、呉織、服織の四人の織女を日本へ送り、機織の業を伝えたことや、阿直岐
日本上古の硬外交 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一般にいうとしんの方よりは皮に近い方が甘くて、さきの方よりは本の方すなわち軸の方が甘味が多い。その著しい例は林檎である。林檎は心までも食う事が出来るけれど、心には殆ど甘味がない。
くだもの (新字新仮名) / 正岡子規(著)
『尾張名所図会』に言う所の博学多材の学者鷲津幽林はすなわちこの幸八である。わたくしの見た鷲津氏系譜はいずれの時何人なんぴとの作ったものかをつまびらかにしない。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「心臓捕りの」物語は、すなわち以上これで終りである。人工の巨人の運命や、博士と看護婦との成行や、本田捨松の其後に就いては、機会おりを見ていずれ語ることにしよう。要するに夫れは後日ものがたりである。
人間製造 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
露西亜ロシアの舞踊ニジンスキイ以後の芸術と、支那俳優の舞技と、すなわち東西両種の芸術を渾和こんわしたとか称するもので、男女両性の肉体的曲線美の動揺は
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
採菊山人はすなわち山々亭有人さんさんていありんどにして仮名垣魯文かながきろぶんの歿後われら後学の徒をして明治の世に江戸戯作者の風貌を窺知うかがいしらしめしもの実にこの翁一人いちにんありしのみ。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
僕が二十になった頃から(すなわち明治三十年頃から)のことならどうやら記憶しているようだ。一番はずれの江川劇場は玉乗たまのりや手品の興行で人に知られていた。
浅草むかしばなし (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すなわち荒木古童あらきこどうが『残月ざんげつ』、今井慶松いまいけいしょうが『新曲洒しんきょくさらし』、朝太夫あさたゆうが『おしゅん伝兵衛でんべえ』、紫朝しちょうが『すずもり』のたぐいこれなり。
一夕 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
新声社はすなわちいまの新潮社が前名にて当時は神田錦町かんだにしきちょう区役所の横手にささやかなる店をかまへゐたり。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
然れども何人なんびとなるやを知らざれば言葉もかはさで去りぬ。これすなわち上田先生にして、そのゆうべ先生は英吉利西イギリス風の背広に髭もまた英国風に刈り鼻眼鏡をかけてゐたまひけり。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
すなわち都市山川さんせん寺院の如き非情のものを捉へ来りてこれに人物を配するが如きていを取れるものあるいは群集一団体の人間を主となしかへつて個人を次となせるが如きものあり。
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
たとえば砲兵工廠ほうへいこうしょう煉瓦塀れんがべいにその片側を限られた小石川の富坂とみざかをばもう降尽おりつくそうという左側に一筋の溝川みぞかわがある。その流れに沿うて蒟蒻閻魔こんにゃくえんまの方へと曲って行く横町なぞすなわちその一例である。
人おのおの好むところあり。下戸げこあり。上戸じょうごあり。上戸のうち更に泣くものあり笑ふものあり怒るものあり。然れども下戸上戸おしなべて好むところのものまたなきにあらず。淫事すなわちこれなり。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
すなわち北尾政演きたおまさのぶが『狂歌五十人一首』の如き、喜多川歌麿きたがわうたまろが『絵本虫撰むしえらみ』、『百千鳥ももちどり』、『狂月望きょうげつぼう』、『銀世界ぎんせかい』、『江戸爵えどすずめ』の如きまた北尾政美きたおまさよしが『江戸名所鑑えどめいしょかがみ』、北尾重政しげまさの『絵本吾妻袂あずまからげ
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
已に「妾宅」というこの文字もんじが、もう何となく廃滅の気味を帯びさせる上に、もしこれを雑誌などに出したなら、定めし文芸すなわち悪徳と思込んでいる老人たちが例の物議を起す事であろうと思うと
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この処すなわち南画の筆法と見てよし。写生に出でて写生を離るる事なり。
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
電車通を行くことなほ二、三町にしてまた坂の下口おりくちを見る。これすなわち金剛寺坂こんごうじざかなり。文化のはじめより大田南畝の住みたりし鶯谷うぐいすだには金剛寺坂の中ほどより西へ入る低地なりとは考証家の言ふところなり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
井上金峩いのうえきんが、山本北山ほくざんらの主張した考証折衷の学説がすなわちこれである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
根津の社前より不忍池の北端に出る陋巷はすなわち宮永町である。
上野 (新字新仮名) / 永井荷風(著)