八重やえ)” の例文
平生へいぜい私の処にく来るおばばさんがあって、私の母より少し年長のお婆さんで、お八重やえさんと云う人。今でもの人のかおを覚えて居る。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
髪はまだ半白はんぱくだが、顔には八重やえの皺の波がより、意地の悪そうな陰気な眼つきをし、薄い唇のはしにいつも皮肉な微笑をうかべている。
キャラコさん:01 社交室 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
雑司ぞうし御墓おはかかたわらには、和歌うた友垣ともがきが植えた、八重やえ山茶花さざんかの珍らしいほど大輪たいりん美事みごとな白い花が秋から冬にかけて咲きます。
大塚楠緒子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「抜かりはございませぬ。——しかも逆茂木打った道へは、八重やえ十文字に素縄を張りめぐらし、その上に、おとあなまで仕掛けてありますれば」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただこの花でむずかしいのは、芽生めばえのうちから葉の形で八重やえ一重ひとえを見分けて、一重をてて八重をのこすことであった。
この『矢筈草』目にせば遂にはまことにいきどおりたまふべし。『矢筈草』とはすぎつる年わが大久保おおくぼいえにありける八重やえといふの事をしるすものなれば。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
道の右手には破れかかった築泥ついじがあった。なかをのぞくと、何かの堂跡でもあるらしく、ただ八重やえむぐらが繁っている。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
それが天にも地にもたった一人の身よりである、お八重やえという白痴の娘を連れて、仕舞湯しまいゆに入りに来たのであった。
いなか、の、じけん (新字新仮名) / 夢野久作(著)
八重やえ汐路しおじという言葉は、歌や物語にこそしばしば用いられるが、それが如何いかなる力をもつかを考えてみた人は、名もなき海上の猛者もさばかりであった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
主税ちからとお八重やえとは依然として、松浦頼母たのもの屋敷の部屋に、縄目の恥辱を受けながら、二人だけで向かい合っていた。
仇討姉妹笠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
短く美しく刈り込まれた芝生しばふの芝はまだえていなかったが、所まばらに立ち連なった小松は緑をふきかけて、八重やえ桜はのぼせたように花でうなだれていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
本郷春木町の質屋で上総屋重兵衛かずさやじゅうべえ、どうして八重やえの締りを解いたか、表口の厳重な潜りを開けて、店格子を乗り越え、小僧達の頭の上をまたいで、奥の一間に通り
訥吃とっきつ蹌踉そうろう七重ななえの膝を八重やえに折り曲げての平あやまり、他日、つぐない、内心、固く期して居ります。
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
急ぎ足ですた/\/\/\と馬籠の宿を出外ではずれにかゝりますると、其処そこには八重やえに道が付いて居て、此方こっちけば十曲峠じっきょくとうげ……と見ると其処に葭簀張よしずばり掛茶屋かけぢゃやが有るから
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
なに製造せいぞうするのか、間断かんだんなしきしむでゐる車輪しやりんひびきは、戸外こぐわいに立つひとみみろうせんばかりだ。工場こうば天井てんじよう八重やえわたした調革てうかくは、あみとおしてのたつ大蛇のはらのやうに見えた。
虚弱 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
斉民は小字おさななを銀之助という。文化十一年七月二十九日に生れた。母はお八重やえかたである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
遅れ咲きの八重やえざくらが、爛漫らんまんとして匂う弥生やよいのおわり頃、最愛の弟子君川文吾きみかわぶんごという美少人を失って、悲歎やるせなく、この頃は丹青たんせいの能をすら忘れたように、香をねんじて物を思い
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
八重やえ立つ雲を押し分けて勢いよく道を押し分け、天からの階段によつて、下の世界に浮洲うきすがあり、それにおちになつて、つい筑紫つくし東方とうほうなる高千穗たかちほの尊い峰におくだり申さしめました。
「いや、どんなにみこがあせられても、わしがゆいめぐらした、八重やえのしばがきの中へははいれまい。大魚おうおとわしとのなかをじゃますることはできまい」と歌いかけました。みこはすかさず
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
その事は、私がお八重やえ(野上彌生)さんに話をした時に一番に注意された事でもありました。お八重さんはその問題に就いては絶対に何の交渉も持つてはいけないと思ふとさへ云ひました。
ここで、話が八重やえになって少しごたごたしますが、一通り順序を話します。
いつだったか先生が冗談に『八重やえ、これで力一杯ぶたれると一思いだよ』
ニッケルの文鎮 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
妾を奥の奥のずーッと奥の愛妓あいぎ八重やえと差し向かえる魔室にみちびきぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
いずれ頼母たのもがあの夜の中に、田安中納言様へ自分のことを、お八重やえを奪って逃げた不所存者、お館を騒がした狼藉者として、讒誣ざんぶ中傷したことであろう。
仇討姉妹笠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
車は八重やえかさなる線路の上をガタガタと行悩んで、定めの停留場に着くと、其処そこに待っている一団の群集。中には大きな荷物を脊負った商人も二、三人まじっていた。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
八重やえだたみというか高だたみとうか、百人一首の「天神てんじんさま」の乗っている畳も、古くから有ったことは有ったが、座敷と称してこれを室一杯に敷きつめることは
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
駿河大納言忠長ただなが卿のこころざしをついで、将軍家光いえみつに思いしらせるためには、八重やえの守りをうちやぶり、千代田の奥に忍びこんで、本懐をとげるまでに、心外道人しんがいどうじんの教えにしたがって
幻術天魔太郎 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
なんかんと風説うわさしております、そのうちに張見世はりみせの時刻になりましたが、総仕舞で八重やえ揚代ぎょくが付いて居りまするから、張見世をするものはございません、皆海上の来るのを待っている。
谷中やなか延命院えんめいいんの近くに住んでいる八重やえという浪人者の一人娘。
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
夜はほのぼのと、八重やえ汐路しおじに明けはなれてきた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなわち日の神の後裔こうえいという想像は、この海上の国において承認せられやすかったので、それというのもその本源のニライカナイが、八重やえ波路なみじはるかあなたとは言いながらも
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
喜兵衛は本当に七重ななえの膝を八重やえに折りました。
八重やえ其方そちは強情だのう」
仇討姉妹笠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
八重やえ汐路しおじの一筋であったことは、支那シナ文籍ぶんせきの問題でないだけに心をめる者が少なく、こちらはまた南海は何処どこなぎさにも、あの美しい宝貝がころころところがっているもののように
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「御苦労だったね、八重やえ