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いうびんきよく
大正七
年の一
月十五
日までに
全國の
郵便局で
取扱つた
年賀葉書の
總數は三千四百五十六
萬七千八百九十九
枚といふ
統計が
示されてる。
道子は
其辺のアパートをさがして
一人暮しをすることになつたが、
郵便局の
貯金はあらかた
使はれてしまひ、
着物まで
満足には
残つてゐない
始末に
然れば、
神樂坂へ
行きがけに、
前刻郵便局の
前あたりで、
水入らずの
夫婦が
散歩に
出たのに、
餘り
話がないから
A
大隈侯が
前の
正月に
受取つた
年始の
葉書は
無慮十八
萬五千九十九
枚で、
毎日々々郵便局から
大八
車で
運びこんだと
云ふが、
隨分君エライもんぢやないか。
『
過去の
事を
思ひ
出すものは、
兩眼を
抉つて
了ひませう。リユバフキン!』と、
彼は
大聲で
誰かを
呼ぶ。
郵便局の
役員も、
來合はしてゐた
人々も、一
齊に
吃驚する。
さて
銀側の
懷中時計は、
散策の
際も
身を
放さず、
件の
帶に
卷着けてあるのだから、
時は
自分にも
明かであらう、
前に
郵便局の
前を
通つたのが
六時三十分で、
歸り
途に
通懸つたのが
いかほど
抱主に
歩割を
取られても、
自分一人では
使ひ
切れないくらいで、三
年の
年季の
明ける
頃には
鏡台や
箪笥も
持つてゐたし、
郵便局の
貯金も
万以上になつてゐたが、
帰るべき
家がないので
ミハイル、アウエリヤヌヰチは
元は
富んでゐた
大地主、
騎兵隊に
屬してゐた
者、
然るに
漸々身代を
耗つて
了つて、
貧乏し、
老年に
成つてから、
遂に
此の
郵便局に
入つたので。
B
大隈侯のエライのに
異存はないが、
郵便局から
大八
車は
少しをかしいなア。
道子は
再び
近処の
郵便局へ
貯金をし
初めた。
その
時、
矢來の
方から
武士が
二人來て、
二人で
話しながら、
通寺町の
方へ、すつと
通つた……
四十ぐらゐのと
二十ぐらゐの
若侍とで。——
唯見るうちに、
郵便局の
坂を
下りに
見えなくなつた。
さて
其夜こゝへ
來るのにも
通つたが、
矢來の
郵便局の
前で、ひとりで
吹き
出した
覺えがある。
最も
當時は
青くなつて
怯えたので、おびえたのが、
尚ほ
可笑い。まだ
横寺町の
玄關に
居た
時である。