つまず)” の例文
励んだり、気負いたっているとき、出はなにつまずくと、ずるずると、それはもう惨めとも話にならぬだらしなさで泥沼へ落ちてしまう。
青鬼の褌を洗う女 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
勿論、兇器きょうきは離さない。うわそらの足がおどつて、ともすれば局の袴につまずかうとするさまは、燃立もえた躑躅つつじの花のうちに、いたちが狂ふやうである。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
竜作は、つまずいたり、滑ったりしながら、なるべく街道へ一直線に到着しようと、手を、頬を、笹にいばらに傷つけつつ、き上った。
近藤勇と科学 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
ある橋の上で馬がつまずいたために落ちて怪我をした事など、有る事無い事、紅矢から聞いた話に添えて、詳しく話して聞かせました。
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
彼は何物かにつまずいたのである。ハッと思ったが遅かった。棺造りの水狐族が四人同時に立ち上がり、ムラムラとこっちへ走って来る。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
見ると、むっくり起き上がった酒臭い大坊主が、いま楊志の足が、ふとつまずいたらしい錫杖しゃくじょうを拾い上げて大地にそれを突っ立てていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
板の間を過ぎた。女は一寸男の手を上げた。男は悟った。畳厚さだけ高くなるのだナと。それでつまずくことなども無しに段々進んだ。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
逃隠れをしようにも、裾の長い着物が足まといになって、物につまずいたり、すべったりする。罎はたおれて残った葡萄酒が畳へ流れました。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ある時、一本歯の九里丸はつまずいて彼は倒れた。金らんの帽子はそのはずみで飛んでしまい、つるつるの禿頭が私の前へころがったものだ。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
純な、潤うた、細々とした心を作者は観客に要求する。第五に私が最も懸念するのはこの作が人をつまずかせはしまいかということである。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
ひょろひょろしてちょうど酒飲さけのみが大変飲み過してじきに倒れてしまうごとくにちょっとした雪の中の小石につまずいても倒れてしまう。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
へたな見透みとおしなどをつけて、右すべきか左すべきか、はかりにかけて慎重に調べていたんでは、かえって悲惨なつまずきをするでしょう。
新郎 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「お喜多を縛る時は、大した意気込みだったじゃないか。もっとも風呂敷包につまずかなかったら、手前の手におえる女じゃなかったが——」
木の根岩角へつまずいて、千仞の谷底へ転がり落ちようとし、崖の蔦葛つたかずらへつかまってやっといのちをまっとうしたことすらもあった。
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
わたくしは素足に穿き馴れぬ古下駄を突掛つッかけているので、物につまずいたり、人に足を踏まれたりして、怪我をしないように気をつけながら
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
倒れた塀につまずいて人が倒れると、その上に盛り上って倒れた人垣が、しばらく流動する群衆の中で、黒々と停って動かなかった。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
すると運わるく石塊につまずいた。そしてッという間もなく、身体は巴投ともえなげをくったように丁度一廻転してドタンと石畳の上にほうりだされた。
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
赤坊を殺したのは笠井だと広岡の始終いうのは誰でも知っていた。広岡の馬をつまずかしたのは間接ながら笠井の娘の仕業しわざだった。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
或いは何とも知れぬ原因でつまずいたり落ちたりしてきずつきまたは死んだ。永遠に隠されてしまって親兄弟を歎かしめることもある。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
………が、今になって見れば、やっぱり東京は鬼門だった。そしてやっぱり、今度もこれがつまずきになって、雪子ちゃんの縁談は破れるのだ。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
同時に由平の体はよろめいて前へ泳ぎ、主翁の死体につまずいて往来へ転がり落ちた。由平は刀を下敷にして死んだのであった。
阿芳の怨霊 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
と、何につまずいたか、彼の体は急に前にのめって、闇を泳いだ。同時に彼は、物の破壊するすさまじい音を彼の耳許で聞いた。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
兄弟の中で、二人までこの道につまずいて生命を滅したものを持つかの女は、一家中でこの道に殉ずる最後唯一の人間と見なければならなかった。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
突かれて男はよろめきながら左手ゆんでのばして槍先を引抜ひきぬきさまグッと突返つきかえす。突かれて孝助たじ/\と石へつまずき尻もちをつく。
こういう懼れで心が乱れていたので、宝探しの連中の速い歩調に後れずについて行くのは私にはつらかった。折々私はつまずいた。
太平の天地だと安心して、拱手きょうしゅして成功をこいねがはいは、行くべき道につまずいて非業ひごうに死したる失敗のよりも、人間の価値ははるかに乏しいのである。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
女に迷って一生を棒にふる男と比べて数の上では比較にはなるまいが、認識論の入口でつまずいて動きが取れなくなってしまう男も、確かにあるのだ。
狼疾記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
彼女は幾度も小石につまずいたりして、暗がりを夢中になって駆けていった。可成り長い道なので、呼吸いきがはずんで、胸が灼けつくように苦しかった。
碧眼 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
うなると、狼狽うろたへる、あわてる、たしかに半分は夢中になツて、つまずくやらころぶやらといふ鹽梅あんばいで、たゞむやみと先を急いだが、さてうしても村道へ出ない。
水郷 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
喚いて勘兵衛が足を出す、伝吉は、だ! とつまずいたが、顛倒てんとうした余勢で自分から庭へ転げ落ちた、勘兵衛は縁先へ出て
嫁取り二代記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
と言って、どうしたハズミか、先に立って行ったお角が坂の中途でころびました。物につまずいて前へのめったのであります。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それで、用心のいい人は毒瓦斯に充ちた工場で平気で働き、不用心な人は大地でつまずいてすべって頭を割るのであろう。
KからQまで (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
たかがそれほどのことで、死相が現れるなんて意気地のない話かも知れないが、けれどもまた、もっと些細ささいなことでも、人はつまずくかも知れないのだ。
早春 (新字新仮名) / 小山清(著)
もはや彼の足はつまずいたりのめったり、水溜りにあやまって落ち込んだりしていた。でも彼は夢中になって這い上る。その時に突然足元の方で蛙共が
天馬 (新字新仮名) / 金史良(著)
どうしたはずみか、太夫たゆうおどってたあしが、つまずいたようによろよろっとしたかとおもうと、あッというもなく、舞台ぶたいへまともにしちまったんだ。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
然るに、其の師たるあなたはその才能と叡智とをもって、流石さすがに少しのつまずきもなく人生を進んで行かれました。私はあなたを心から尊敬し驚嘆します。
悪魔の弟子 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
己れの弱気に克って信念を強め、どうしたらよくなるか、このつまずきはどこから来たかと粘り強く研究して行きます。
すると、調子に乗ってしゃべり立てていた安倍誠之助もがくんとつまずくものを感じた。才ばしったきれいな額に二本のしわを立て、強く洟汁はなをかむのであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
少年の私は、かえったばかりの千鳥の子を追って、石につまずき生爪をがして泣いたことも、二度や三度ではない。
利根の尺鮎 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
私は木の根につまずいて先に転んだ為め、二つ三つ撲られたが、直ぐにね返して立ち上った。又取っ組み合いだ。
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
彼は、昼間そこを走ったとき、榕樹ようじゅが五、六本生えていて、その根に危くつまずきそうになったのを覚えていた。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
夢中になって走っていた平田氏が、何かにつまずいてばったり倒れたのを見ると、一人の青年がかけ寄って来た。
幽霊 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
気の惑いか軾棒かじぼうつまずき、御機嫌うという声を俯いて聞いたが、それから本郷へ帰って夢は一層巧になった。
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
彼らがもし自分の力にのみ便たよって歩いたら、きっと踏みはずしたりつまずいたりしたでありましょう。荒波を一人でいで横切ることは、難しいからであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
誰が何と云おうと、誰と取引しようと、清らかな美しい肉体が。つまずかないでよかった。よく持ちこたえた。
操守 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
この話は我国に多かった奉教人ほうきょうにんの受難のうちでも、最もずべきつまずきとして、後代に伝えられた物語である。
おぎん (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
彼女は壁に突き当り、出口の敷居につまずく。今にも倒れそうだ。そこで、また小屋へ入れておくことにする。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
「だが、それは別として、君に訊きたいんだが、君は昨夜ゆうべ瓦斯ガスストーブの栓につまずいたようだったね。それまでに、栓がどうなっていたか、気づかなかったかね」
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
今朝は色々な気持のつまずきで大へんに臆病になつてゐたし、それにどうやら、ぐすぐずしてゐるうちに
水と砂 (新字旧仮名) / 神西清(著)
だがたいらな道でもつまずくことはあるものですし、しょせん人間の運命とはそうしたものです。大本おおもとにおいては誤らぬまでも、区々たることについては間違うものです。
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)