漆黒しっこく)” の例文
夕餉ゆうげ膳部ぜんぶもしりぞけて、庭のおもて漆黒しっこくの闇が満ちわたるまで、お蓮様はしょんぼり、縁の柱によりかかって考えこんでいたが——。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
いま曹操から、その髯のことを訊かれると、関羽は、胸をおおうばかり垂れているその漆黒しっこくを握って悵然ちょうぜんと、うそぶくように答えた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雪白の冷たい石龕せきがんの内に急に灯がともされたように、耳朶は見る見る上気して、紅玉色に透り、漆黒しっこく眸子ぼうしは妖しい潤いに光って来る。
妖氛録 (新字新仮名) / 中島敦(著)
ときほぐされたながい漆黒しっこくの髪はその白い身体になだれまつわり、その女が波にただようときには、海藻のように水面にうきます。
人魚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
漆黒しっこくつばさも輝いて見事に見えるけれども、数十羽かたまって騒いでいると、ゴミのようにつまらなく見えるのと同様に、医専の生徒も
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
なるほど漆黒しっこくの大宇宙がうつっているが、その左下のところに、ぎらぎらと白熱光をあげている気味のわるい光りの塊がうつっていた。
怪星ガン (新字新仮名) / 海野十三(著)
何と言はうか、漆黒しっこくの髪が少し濃過ぎる位の体質の眼の覚めるやうな色白な男女がある。あの健康な見ざめのしない色白なのだ。
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
皮膚の色は純白で、いささかの黄味をさえまじえていない。しかし髪は漆黒しっこくで、その点ではあくまでも日本人であった。瞳の色も黒かった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
けれどもその一重瞼の中に輝やく瞳子ひとみ漆黒しっこくであった。だから非常によく働らいた。或時は専横せんおうと云ってもいいくらいに表情をほしいままにした。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
はいつてみると、果してその相手の男は蒼白な顔をした青年で、漆黒しっこくに近い髪と、まるで紅をさしたやうに赤い唇とが、あざやかに目を打つた。
灰色の眼の女 (新字旧仮名) / 神西清(著)
二つの眼は漆黒しっこくはしばみのようで、鋭い輝きを放っているのは、大胆を示すものだと私は時どきに思うのであるが、それに恐怖の情の著るしく含まれたように
その靴も靴下も帽子も、「女」の組の毛皮ショオルも、「男」の組の洋杖ステッキもすべて漆黒しっこくなので、女優たちのはだの色と効果的に対照してちょっと美術的な舞台面だった。
それには、ある貴族が早過ぎた埋葬に会って、出るに出られぬ墓場の中で死の苦しみをめたため、一夜にして漆黒しっこくの頭髪が、ことごと白毛しらがと化した事が書いてあった。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
頬から上は頭も眼も眼瞼も嘴も嘴の下の毛も皆漆黒しっこくで、その黒い中で眼の動いているのがまた美しく
木彫ウソを作った時 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
土耳古トルコ人たちは、みんなまっ赤なターバンと帯とをかけ、ことに地学博士はあちこちからの勲章くんしょうやメタルを、その漆黒しっこくの上着にかけましたので全くまばゆい位でした。
ビジテリアン大祭 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
そのうちのある人は若々しい色艶と漆黒しっこくの毛髪の持主で、女のようなやさしい声で永々と陳述した。
議会の印象 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
暴風雨あらしの跡のようにきちらかされ、そればかりではなく、あの高価らしい漆黒しっこくのピアノまでが、真ン中からなたでも打込んだように、二つにへし折れているのであった。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
そのふさふさした漆黒しっこくの髪に流行の波を打たせに来るといったようなことも多いだろう。
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
内部なか漆黒しっこくの闇で、穴蔵のような湿った空気が、冷やりと触れてくる。ところが、どうしたことか、中途で法水は不意いきなり動作を中止して、戦慄せんりつを覚えたように硬くなってしまった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
水のしたゝるような漆黒しっこくの髪へ丁寧に櫛の歯を入れて、髻を結い直してやってから、ちょうど鼻のあるべきあたり———顔のまん中を、いつものようにほゝえみを浮かべて視つめていた。
圧搾空気の鉄管にくゝりつけた電球が薄ぼんやりと漆黒しっこくの坑内を照している。
土鼠と落盤 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
最後に、ステップ、ウインク、投げキッスと、三拍子さんびょうし、続けてやられたとき、そのれたような漆黒しっこくの瞳が、瞬間しゅんかんあやしくうるんで光るばかりにまばゆく、ぼくは前後不覚のい心地でした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
或いは漆黒しっこくの闇夜ででもあれば見落しということもあるが、曇って七ツ下りではあるが、晴天白日に、地球の全陸地を合わせて三倍したほどの面積を有する海というものを見落したということは
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「しかし初めてお目にかかった折は漆黒しっこくでしたよ」
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
闇靄やみもやの中に浮かべる漆黒しっこくに光る顔
手に余るほどの大量の髪、これは文字通り漆黒しっこくで、それを無造作にたばねている。肌の白さなめらかさ、青味を帯びないのはどうしたのだろう?
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
六畳間には、顔の長い、頬のげた、そしてくぼんだ穴の中に鋭い眼のある老人が、漆黒しっこく腮髯あごひげをしごいて、いつも書見か、墨池ぼくちに親しんでいる。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
月光を受けて漆黒しっこくの翼は美しく輝き、ちょんちょん平沙を歩いて、唖々と二羽、声をそろえて叫んで、ぱっと飛び立つ。
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)
広い庭を濃闇のうあんの霧が押し包んで、漆黒しっこくの矮精が樹から木へ躍りかわしているよう——遠くに提灯の流れて見えるのは、邸内を固める手付きの者であろう。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
半ばは銀色に輝き、半ばは漆黒しっこくの大円柱が、目路めじの限り打続く光景は、いとも見事なものでありました。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
自分は彼の前を横切るたびに、その漆黒しっこくの髪とその間から見える関節の細い、華奢きゃしゃな指に眼をかれた。その指は平生から自分の眼には彼の神経質を代表するごとく優しくかつ骨張って映った。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
漆黒しっこくの夜空の下に、巨大な建物が、黙々もくもくとして、立ち並んでいた。えくさい錆鉄さびてつの匂いが、プーンと鼻を刺戟した。いつとはなしに、一行は、ぴったりと寄り添い、足音を忍ばせて歩いていた。
夜泣き鉄骨 (新字新仮名) / 海野十三(著)
だが珍らしく映画館の中などで会うと、復一は内心に敵意をおさえ切れないほど真佐子は美しくなっていた。型の整った切れ目のしっかりした下膨しもぶくれの顔に、やや尻下りの大きい目が漆黒しっこくけむっていた。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
法水はまず後者を択んで把手ノッブに手を掛けたが、それには鍵も下りていず、スウッと音もなく開かれた。構造上窓が一つもないので、内部なか漆黒しっこくの闇である。そして、すすけた冷やかな空気が触れてくる。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
おもてを隠した深編笠から、漆黒しっこく関羽髯かんうひげをそよがせた黒紋服の一人の浪人、罵りかかる若侍どもを尻目にかけて悠然と道ばたの岩に腰かけている。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何の見どころのないからすでも、ただ一羽枯枝にとまっているとその姿もまんざらでなく、漆黒しっこくつばさも輝いて見えるらしく
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
漆黒しっこくの胴、飴色の皮、紫の締め緒を房々と結んだやや時代ばんだその鼓は生命いのちない木製の楽器とは見えず声のある微妙な生物いきもののように彼の瞳に映ったのであった。
開運の鼓 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その、来いッ! が終った秒間びょうかん、フッ! 喬之助の吹く息とともに、落ちた——漆黒しっこく闇黒やみが室内に。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
(老女、部屋の隅より漆黒しっこくの毛綱一束を持ち来る。)
阿難と呪術師の娘 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
すると、紅蝋燭べにろうそくの如く赤いおもて漆黒しっこくの髯をふさふさとたくわえている一高士が、机案きあんひじをついて書を読んでいた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
としは私より二つ三つ多いはずだが、ひたいがせまく漆黒しっこくの美髪には、いつもポマードがこってりと塗られ、新しい形の縁無し眼鏡をかけ、おまけにほおは桜色と来ているので
女神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
大大名のお姫様が、外出の場合に使用するような、善美をきわめた女駕籠であって、塗りは総体に漆黒しっこくで、要所要所に金銀の蒔絵まきえが、無比むひの精巧をもってちりばめられてある。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
八歳の小児の体躯からだに分別くさい大きな頭がのって、それが、より驚いたことには、重箱を背負ったような見事な亀背であるうえに、頭から胴、四肢てあしまで全身漆黒しっこくの長い毛で覆われているのだ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
彼は、数百円もしそうな漆黒しっこくのサラブレッド種のくらにぎゅっと乗りこんでいた。その毛のつや、乗馬靴の艶、鞭の艶、トム公はれと見入ってしまった。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
スペイン産の漆黒しっこくの猫が、部屋をグルグル歩いているのも、南蛮産の純白の鸚鵡おうむが、もらった煎餅せんべいをコチコチと、鋭いくちばしで、壊しているのも、ちょっと風変わりの光景である。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
光秀は火神ひのかみの拝殿で聞いた神官の話がふと思い出されて、漆黒しっこくの宇宙に跳梁ちょうりょうする天狗の姿を脳裡のうりに描いていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
少年の頃になると、色は白く、髪は漆黒しっこくで、丹唇明眸たんしんめいぼう、中肉の美少年ではあり、しかも学舎の教師も、里人も、「こわいようなおだ」と、その鬼才に怖れた。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
魏延は、はるかにそれを見、同じく雷鼓らいこして陣形を詰めよせて来た。やがて漆黒しっこくの馬上に、朱鎧しゅがい緑帯りょくたいし、手に龍牙刀りゅうがとうをひっさげて、躍り出たる者こそ魏延だった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天蓋を払ったその人物、漆黒しっこくの髪を紫のひもでくくった切下きりさげ、月のせいもあろうか色の白さは玲瓏れいろうといいたいくらい、それでいて眉から鼻すじはりんとした気性の象徴しょうちょう
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長兄の祝龍は、みずからの愛馬を、孫立そんりゅうに与えた。それは“烏騅うすい”と名のある漆黒しっこくの馬だった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)