渾名あだな)” の例文
これはお爺いさんが為めにする所あって布団をまくるのだと思って附けた渾名あだなである。そしてそれが全くの寃罪えんざいでもなかったらしい。
心中 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
平の好風よしかぜに子が三人ある、丁度その次男に生まれたから、平中へいちゆう渾名あだなを呼ばれたと云ふ、わたしの Don Juan の似顔である。
好色 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「坊ちゃん」の中に赤シャツという渾名あだなをもっている人があるが、あれはいったい誰の事だと私はその時分よく訊かれたものです。
私の個人主義 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼は赤つ面のために猿面冠者と渾名あだなされ、また長平といふ名によつて ちよつぺい とも呼ばれてる伝法院でんぽふゐん前の魚屋の息子だつた。
銀の匙 (新字旧仮名) / 中勘助(著)
いつか「首席」が渾名あだなになった。いわば首席の貫禄かんろくがなかったのだ。ふと母親のことや山谷に見せられた怪しい絵のことを想いだすと
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
が、その時の大火傷おおやけど、享年六十有七歳にして、生まれもつかぬ不具かたわもの——渾名あだなを、てんぼうがに宰八さいはちと云う、秋谷在の名物親仁おやじ
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
独眼龍どくがんりゅうなどという水滸伝すいこでん式の渾名あだなを付けないでも、偉いことはたしかに判っている。その偉い人の骨は瑞鳳殿ずいほうでんというのにおさめられている。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
単純な犯罪を複雑怪奇に考えすぎ、途方もなく難しく解釈して一人で打ちこんでしまうから「読ミスギ」という渾名あだなをとった。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
*7 カシチェイ ロシアのお伽噺とぎばなしに登場する痩せた吝ん坊で、不死身の老人ということになっている。痩せ男や吝嗇漢の渾名あだなに使われる。
スッポンというのは養魚場の宇佐見金蔵の渾名あだなで、彼は自ら空呆そらとぼけることの巧みさと喰いついたら容易に離さないという執拗ぶりを誇っていた。
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
河馬かば」という渾名あだなの、或る部長がいて、どんなきっかけがあったともなく辰弥をひいきにし始め、特別手当の出るようにはからってくれたり
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
万年筆を売るから万年屋、布哇ハワイ行を口にするから布哇、といったように皆渾名あだなを呼合っている。私は誰が呼ぶともなく書生さんと呼び慣らされた。
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
彼等が妙子の噂をし合う時には、いつもその本名を呼ぶ代りに、メダルの模様から思いついた『ヴィーナス』という渾名あだなを使っていた程ではないか。
恐ろしき錯誤 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
町並の人々は、自分たちが何十年か聖人と渾名あだなして敬愛していた旧家の長老のために、家先に香炉を備えて焼香した。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
がんりきという渾名あだながついてるんだ、ちょっと色の白い小作りな綺麗な男だ、そいつが駕籠の傍へ寄って来たら用心を
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
私が十一の頃、私の家の近所の寺に、焼和尚やけおしょうという渾名あだなのお坊さんが住んでいた。私はこれから、この話を、その焼和尚のことから始めようと思う。……
再度生老人 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
ノブ子という肥ったのが、芝生をい寄るようにしていた。タツは仲間から学者という渾名あだなをつけられていた。
工場新聞 (新字新仮名) / 徳永直(著)
ハッと気が付いて、「しまった。向後きょうこう気をつけます、御免なさいまし」と叩頭おじぎしたが、それから「片鐙かたあぶみの金八」という渾名あだなを付けられたということである。
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それで人々は「馬鹿正直ビーダーマイアー」という渾名あだなを彼に与えた。この「馬鹿正直」を徹底させたものが今日の彼の仕事になろうとは、誰も夢にも考えなかった事であろう。
アインシュタイン (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
今、門倉の平馬さんが、お引き合せになった通り、あっしは世間で、闇太郎と、ケチな渾名あだなで通っている、昼日中、大手を振っては、歩けねえ人間でござんす。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
「おめえたちの艇は水雷艇だな。ひょろひょろしてるくせに速い」と法科の艇舳トップを漕いでいる、何でも瑣末さまつなことを心得ているので巡査と渾名あだなのある茨木いばらきが言った。
競漕 (新字新仮名) / 久米正雄(著)
同書には「面白の駒」と渾名あだなせられた兵部少輔ひょうぶのすけについて、「首いと長うて顔つき駒のやうにて鼻のいらゝぎたる事かぎりなし。ひゝといななきて引放ひきはなれていぬべき顔したり」
駒のいななき (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
「色は白いけれど変なのよ、猫背ねこぜなのよ、桜津っていうので、うちの女中なんか殿様だの御前ごぜんだのってほど、華族の若様ぜんとしているのよ。桜津三位中将さんみちゅうじょうって渾名あだななの。」
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「小滝」という渾名あだなをつけられてしまったのである。清三もまたおもしろ半分に、小滝を「しら滝」に改めて、それを別号にして、日記の上表紙に書いたり手紙にしょしたりした。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
それどころか、おたがいに渾名あだなを呼びあうことさえ、すでにはやりだしているのである。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
奪ひ取しより面白く思ひ追々かうつむしたがひ同類を集め四國西國邊迄も海賊かいぞくかせぎ十餘年を消光おくりけるが其働そのはたらき飛鳥の如く船より船へ飛移とびうつり目にも見えざるほどゆゑ艘飛そうとびの與市と渾名あだな
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
自分の子供にこんな渾名あだなをつける母親、そして、その渾名が平気で通用している家族というものを想像すると、それだけでもう暗憺たる気持に誘われるが、いったい、ルナアルは
そう言う丸万は上海でさぞかし豪遊な支那料理を鱈腹たらふく食っていると見え、丸々と肥っていた。丸万という姓がまるで渾名あだなであるかのように、まんまるくなって、自然と口調も悠長に
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
その火葬場へは、米の弟の新吉と云うのも来ていたが、それは真箇の弟でなしに、米がまだ歌妓げいしゃをしていた時からの情夫で、土地の人から達磨の新公と渾名あだなせられている浪爺あそびにんであった。
妖蛸 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
渾名あだなチューブッフことガルール、渾名フィヌイユことマロン、渾名クールドースことシャブルトンという名うての悪漢と、その手下の破戸漢ごろつき七人、都合十人の荒くれ男が、密閉された
而もスタイルの舊い古ぼけた外套オバーコートを着てゐるのと、何樣な場合にも頭を垂れてゐるのと、少し腰をこごめて歩くのが、學士の風采の特徴で、學生間には「蚊とんぼ」といふ渾名あだなが付けてある。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
何一つとしてその蘊奥うんのうを極めないものはなく、英王ウィリアム三世は氏を渾名あだなして「歩行辞書」(Walking Dictionary)といい、ドイツ、イギリス、ロシヤなどの王室は
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
ジプさんというのは内緒の渾名あだなで、雑文や批評や小説や戯曲や何でもかでも書きとばし、それを時々どこかにのせて貰い、三十すぎた独身者で、始終市内をうろつき、公娼でも私娼でも女給でも
溺るるもの (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
何か弱味を握っている忠太郎をバラして、水熊に恩を着せ、それをキッカケにびたる寸法と見てとった。色と慾と一度に手入れとは成程、ばくち言葉でいう尻目同けつめどう素盲すめくらとはよくつけた渾名あだなだ。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
「湯豆腐」と云うのは、ルドルフのことを妙子が冗談にそう呼び始めた渾名あだななのであるが、今では幸子達までが、まだ会ったこともないその人のことを「湯豆腐々々々」と云うようになっていた。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
姓はペン渾名あだなは bedge pardon なる聖人の事を少しく報道しないでは何だか気が済まないから、同君の事をちょっと御話して、次回からは方面の変った目撃談観察談を御紹介仕ろう。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
せいはスラリとしているばかりで左而已さのみ高いという程でもないが、痩肉やせじしゆえ、半鐘なんとやらという人聞の悪い渾名あだなに縁が有りそうで、年数物ながら摺畳皺たたみじわの存じた霜降しもふり「スコッチ」の服を身にまとッて
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
あんぺと渾名あだなのある体操教師が怒鳴りながら駆けつけて来た。
海流 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
その教会に計算翁けいさんおう渾名あだなされたおきなが棲んでいた。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
何しろ評判の渾名あだな通り、親指くらゐしかない男だから、蜘蛛と戦ふのも容易ではない。蜘蛛は足を拡げた儘、まつしぐらにトムへ殺到する。
LOS CAPRICHOS (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
御本家に飼殺しの親爺おやじ仁右衛門、渾名あだな苦虫にがむし、むずかしい顔をして、御隠居殿へ出向いて、まじりまじり、煙草たばこひねって言うことには
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
これで当人はわたし江戸えどっ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染なじみの芸者の渾名あだなか何かに違いないと思った。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今一つは、驚くべし、兄と自分とに渾名あだながついていて、醜い自分が猿と言われると同時に、兄までが猿引きと言われているということである。
安井夫人 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「なんなら名前から渾名あだなから、何から何まで、ひとつ言つて見せようか。おめえさんの名前はソローピイ・チェレヸークつていひなさるんだらう。」
その土地に張鬼子ちょうきしという男があった。彼はその風貌が鬼によく似ているので、鬼子という渾名あだなを取ったのである。
夜店の二銭のドテ焼(ぶたの皮身を味噌みそつめたもの)が好きで、ドテ焼さんと渾名あだながついていたくらいだ。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
髭がなくて色が白く、年よりはずっと若々しくて、声や物腰が女の様で、先生の生徒達が渾名あだなをつける時女形おんながたの役者を聯想したのも無理ではないと思われる。
悪霊 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
伊勢の人は斯様かような光栄ある土地に住んでおりながら、どうしたものか「伊勢乞食」というロクでもない渾名あだなをつけられていることは甚だ惜しいことであります。
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そして右の頬には、年が年中、丸い一銭銅貨大の紙が貼ってあった。で彼女は、貼り紙おばと渾名あだなされていた。——「おば」とは、寺の細君、また大黒との意。
再度生老人 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
彼には「ちょろ」という渾名あだながあり、それは海岸にいるふな虫のことだそうであるが、あのいつもちょろちょろと右往左往しているふな虫を、土川春彦に当てめたところは
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)