しか)” の例文
「ぢや、ねいさんは何方どちらすきだとおつしやるの」と、妹は姉の手を引ツ張りながら、かほしかめてうながすを、姉は空の彼方あなた此方こなたながめやりつゝ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
今からもう、二人は、そら、しかめっつらだと、面白おもしろがっている。近所の人たちを招待できるものなら招待するところだったに違いない。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
留針を一本さすにも、そのあとで大儀そうなしかめ顔をちょっと鏡に映しながら、その大した努力の骨休めをしなければならなかった。
とにかく部屋が見つかる迄といふ約束で泣き附いたのだつたが、彼が持込んで来た荷物を見ただけで、この部屋の主人公は眉をしかめた。
火の踵 (新字旧仮名) / 原民喜(著)
「人でなし呼ばわりするなんて」とサモイレンコはさも厭わしげに眉をしかめて呟いた、「そりゃ君、なんぼなんでも酷すぎるぞ。」
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
要するに今のところはチェーホフという人が深刻ぶったしかづらからも、百姓的な粗野からも、歯ぐきを見せるような野卑な笑いからも
梶原が実検する中、その方を上目うわめに見、顔をしかめつつ両手を膝につき、膝頭を揃へ、段々と背延して、中腰になりてきっと見て居る。
婆さんは、そういいながら、さもさも胸の痛みに触るように皺だらけの筋張った顔を一層しかめて、そっと胸に手を当てる形をした。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
寝台ベッドに腰をかけている犯人は、細巻の女煙草を紅いくちにくわえ、煙たそうに眼を細めながら、妖美な顔をよけい妖美にしかめている。
旗岡巡査 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
主膳はその一類の者と共に馬場の下から、桟敷の上の舞台面を見上げているうちに、何に気がついたか、かおしかめてあわただしく左右を顧み
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
身ぎれいにしてるが、一方では情婦いろおんなをこしらえて、手鼻をかむ馬方でさえ眉をしかむるような、肥料溜こえだめ塵溜ちりだめを心の底に持っている。
机の上の繪端書帖に兄の繪端書を插んだ。そして、目をしかめて、夕月の寒さうに冴えてゐる空を仰ぎながら、雨戸をとざして階下へ下りた。
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
「そんなにキチキチされちゃかえって困るな。」と顔をしかめて言う。「商売が商売だから、どうせそう綺麗事に行きゃしない。」
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
其辺そこらにある机や碁盤をえつちらをつちら持ち出して来て、平気でそれに腰を掛ける事で、几帳面な主人は、大抵が苦りきつて顔をしかめる。
自筆の名刺か何かを出されて、之を持って奥へ行くと、伯父さんの先生名刺を一見するや、かおしかめて、居ると言ったかという。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
彼女はしかつらをして鼻を鳴らし始めた。明るい陽差しが、軒に出された風露草グラニヤの植木鉢に、恵み多い光りのをそそいでいた。
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
彼女は別に眉をしかめはしなかった。というのは、この速力が如何にも緩漫だったからだ。映画を見あきると、レヴィウを見た。
恐しき通夜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
この質問には流石さすがに安藤巡査もあきれたと見えまして、暫く眉根をしかめながら考えを絞っていましたが、やがて顔を挙げると
とむらい機関車 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
しかも誰かに打ち殺された無念の形相ぎょうそうか何ぞのように、ジッと眼をしかめていて、一文字に噛み締めている岩の唇の間から流れしたたる水滴が
斜坑 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
反絵は時々戸の隙間から中をのぞいた。薄暗い部屋の中からは、一条の寝息が絶えずかすかに聞えていた。彼は顔をしかめて部屋の前をした。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
ルオーの描いた基督キリストのように、真面目過ぎるが故に、かすかに剽軽ひょうきんにさえ見える葛岡の顔がしかめられかけて、それを張りささえるものがあって
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それを耳にもかけぬ風で、お梶は弟の前の煙管きせるを取り上げて、一服すはうとしたが、煙管の詰まつてゐるのに顔をしかめて
鱧の皮 (新字旧仮名) / 上司小剣(著)
彼が手に唾し、眉をしかめて、その刀身をびゅうびゅうと空気を切って振り𢌞すのを見ると、吾々みんなは元気が出て来た。
こう来たらどうでしょう、同地宿屋の亭主の顔はそれでもしかんでいるでしょうか? その他同地の迎客場処はいずれも景気の好い事請合いでしょう。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
夫人はさすがに、緊張した。やさしく烟つてゐる眉を、一寸しかめながら、信一郎が何を云ひ出すかを待つてゐるやうだつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
必ず美しい額を、しかめる時が来るのを予想していた。そこで、私は舟に乗り込む前に、そっと船頭に命じてこの問題の解決に備えて置いたのである。
葵原夫人の鯛釣 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
若しも人が、又父が、妹が、当然の権利のやうに私の答へを求めるなら、私は忽ち顔をしかめ、心の底では癇癪に浪立ちながら叫ぶだらう。俺は孤独だ。
狼園 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
「人形の観賞は、いずれゆっくりやってもらうことにしてだ」と熊城は苦々しげに顔をしかめたが、「それより法水君、鍵が内側から掛っているんだぜ」
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「それはそれは困ったことで」老師は一層顔をしかめたが、「愚老はともかく芳江姫がひどく恐れておりますのでのう」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
風が吹きすぎる毎に思わずしかめ顔をしながら外の景色を眺める。バラックのスレートの屋根屋根、その彼方に突立つ葉のない巨大なる焼棒杭やけぼっくいのような樹木。
(新字新仮名) / 宮本百合子(著)
弟子達の口からイエの名をきくと祖母は露骨に顔をしかめ、よしないものに軽率に名を遣ったことの愚痴ぐちを漏らすのがきまりだった。父はいつも黙っていた。
前途なお (新字新仮名) / 小山清(著)
元三は眩しそうに頬肉を畳み上げ顔をひどくしかめていた。厚ぽったい大きな脣がきゅっと歪められている。大きな両眼の縁には何か白いものが光って見えた。
土城廊 (新字新仮名) / 金史良(著)
難破船なんぱせん⁈ あはゝゝゝゝ。』と船長せんちやう大聲おほごえわらつた。驚愕おどろくとおもひきや、かれはいと腹立はらだたしかほしかめて
我等をティチオにもティフォにも行かしむる勿れ、この者よく汝等のこゝに求むるものを與ふるをうるがゆゑに身をかゞめよ、顏をしかむる勿れ 一二四—一二六
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
両手を腹につて、顔を強くしかめて、お由は棒の様に突立つたが、出掛でがけに言つた事を松太郎に聞かれたと思ふと、言ふ許りなき怒気が肉体の苦痛くるしみと共に発した。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「旦那! 笑いごとじゃごぜえやせん」と不快そうに顔をしかめて、どっちが主人だかわからぬ声を出した。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
だから、もっともらしくしかめた伊兵衛の死顔を見た時、藤吉は、ははあ、とうとう誰かがやったな、という頭がぴいんと来て、格別おどろかなかったわけである。
小兵衛は腹を圧えたまま、顔をしかめて立停った。が、漸く声だけは立てずに済ませると、小声で云った。
大衆文芸作法 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
眉をしかめながら顔をななめにす。いたく考うるさまなれば、あえてその意を迎えむとにはあらねど、かりにもかのひとの母なれば、われはついにわが惜しき小親の名語りたり。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
白川は釣りこまれて、会釈をかえしたが、とんだやつと乗合わせたものだと、ひとりでに顔がしかんだ。
雲の小径 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そしてお互いにもはや言い合うようなことも尽きて、身体を横にして、互いにしかつらをしていたのだ。
遁走 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
公は不吉なものを見たように眉をしかめ、再び室に入って、気になるままに灯の下で自ら筮竹ぜいちくを取った。
盈虚 (新字新仮名) / 中島敦(著)
圭一郎は電車の中などで水鼻洟みづばなを啜つてゐる生氣の衰へ切つて萎びた老婆と向ひ合はすと、身内をうづく痛みと同時に焚くが如き憤怒さへ覺えて顏をしかめて席を立ち
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
殊に父はいよ/\自分の罪の報いが来たように眉をしかめた。どうにでも勝手にしろ! と彼は言った。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
お母さんは、「まあ、むごいことを」といって、まゆしかめていられます。私は可愛そうだとは思いましたが、絵本で見た中将姫の雪責めなどを幻にえがくのでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
つけたりなんかするなんて、馬鹿/\し過ぎるわ。そんなこと何うでも好い、兎も角、妾、あのお父さんのしかめ顔だけが滑稽だわ。ナンセンスたら、ないぢやないの!
南風譜 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
と、頭をさすって顔をしかめて居る当人も可笑しさが堪えられず、鼻を鳴らしてくす/\笑って居る。
少年 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
すると、忽ち真赤に焼けた石炭を噛んだやうに舌が焼け出して、リユシエンは唾を吐き/\顔をしかめて帰つて来ましたよ。しかしもう今度はこりて食べないでせうよ。
俺は監獄で……と戯奴ヂヤオカアが面をしかめる……俺は監獄であまり監房へやの臭気が陰気なので、汚ない亜鉛の金盥に水を入れて、あの安石鹸をとかしては両手で掻き立て掻き立て
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
ましてやこれしきの蚯蚓膨みみずばれに、と云いつつお浪が手中より奪いとったる腹掛けに、左の手を通さんとしてしかむる顔、見るに女房の争えず、争いまけて傷をいたわり
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)