生命いのち)” の例文
生命いのちと取換えの事がそれである。どっちかといえば、見ても見ないでもいい芝居を、いくらいものでも、苦かったら見まいと思う。
当今の劇壇をこのままに (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
綽名の通りカンの強い彼は、脅迫おどしのために人をきずつける場合でも、決して生命いのちを取るようなヘマをやらないのを一つの誇りにしていた。
白菊 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
もし駕籠かごかきの悪者に出逢ったら、庚申塚こうしんづかやぶかげに思うさま弄ばれた揚句、生命いのちあらばまた遠国えんごくへ売り飛ばされるにきまっている。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
兄は重々しく前方を見つめていた。私はベートーヴェンの歌と眼なざしとに心をつらぬかれて、生命いのちが豊かに湧き上がる思いがした。
内海は相手の身體には人間の生命いのちの波が極めて稀薄に打つてゐるやうに云つたが、さう云つたのには侮蔑の意味は含んでゐなかつた。
仮面 (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
「なるほど。首をまげなかったら、きみももっと深く顔に傷をこしらえていたかも知れないね。生命いのちびろいをしたのかもしれないぞ」
金属人間 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ああ、もう何刻なんとき生命いのちやら——おお! 中庭で、この軍使を煮る油を沸かしはじめました。ああ、何という恐しい! (と眼を覆う)
どちらでも風向きのよい方に傾く屋根の上で見物の弥次馬は、米友とムクが生命いのちがけの曲芸を見てやんやとめ出してしまいました。
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
白雪 ええ、うるさいな、お前たち。義理も仁義も心得て、長生ながいきしたくば勝手におし。……生命いのちのために恋は棄てない。お退き、お退き。
夜叉ヶ池 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
かの宗教改革をとなえたルターが始めてその新説を発表し旧教家の反対を受けたときは、その生命いのちの安全さえもはなはだ覚束おぼつかなかった。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「私が、牢を破って逃げたらば、新院の大納言や北面の武士たちから、あなたのお父上は、裏切者と睨まれて、お生命いのちがありません」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「勉励も非常だが、第一いかに軍人は生命いのちしまんからッて、命の安売りはここですと看板もかけ兼ねん勢いはあまりだと思うね」
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
彼は生命いのちの新たなるころまことの力すぐれたれば、そのすべての良き傾向かたむきは、げにめざましきあかしとなるをえたりしものを 一一五—一一七
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
「先生、かたじけのう存じます。先生のお出でがございませんでしたなら、私は危くこの場において生命いのちを落とすところでございました」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「暗号はあなたの生命いのちより大切だと思わなければいけない。トランクも危険よ。スーツケースはなお更だ。肌身につけていらっしゃい」
妖影 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
暗き水底みなぞこ深くにあって、今、悲しくも彼女の甘き愛撫を思い、彼女の名を呼ぼうとしてもがいてその小さな生命いのちを絞り尽している
小さな彼女の生命いのちが言いあらわしがたい打撃をこうむったのも、その時であった。でも、彼女はそうしおれてばかりいるわけでもない。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そこで例の公爵から貰った名刺を見せて自分が宛名のフランボーだというと給仕頭の羊皮紙色の陰気な顔にも生命いのちの浮動がほのみえて
吾々われ/\覺醒かくせいせりとさけぶひまに、私達はなほ暗の中をわが生命いのちかわきのために、いづみちかしめりをさぐるおろかさをりかへすのでした。
冬を迎へようとして (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
私はその時にはもう生命いのちの悲みなどは忘れて、早く自分も何かの絵を西瓜に彫つて、燈籠を作るやうになりたいとばかり思つてました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
あの時、声でも立ててお新を引留めたら、かえって生命いのちを助けたかもわかりません。飛んだことをしたと、後では口惜くやしがりましたが——
「おいやと御思いではござりましょうが、何卒御思い返し下されまして、……何卒、何卒、私娘の生命いのちにかかることでござりまする。」
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
人間の私の子ではなく、別な生命いのちを受けているものとお思いになって、私のためにはただ人の功徳くどくになることをなさればよろしい。
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
「我は復活よみがえりなり、生命いのちなり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。およそ生きて我を信ずる者は、永遠とこしえに死なざるべし。なんじこれを信ずるか。」
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「何、荷物の番をしてるんだ? 途方もない。ぐつぐつしてると、荷物より先に手前の生命いのちがないぞ、早く逃げろ、早く逃げろ」
だが、それけでは駄目だ。いくら色艶いろつやがよくなったとて、顔の相好そうごうが生きては来ない。死人か、でなければ生命いのちのない人形だ。
恐怖王 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
自分は恐ろしい修羅しゅらに身を燃やしながら、もう生命いのちがけであくまでも自分の悪運に突撃してゆこうとする涙ぐむような意地になって来た。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
豊雄は、ひたいを地にすりつけるようにして、これまでのできごとをはじめからものがたり、「今後もどうか生命いのちの助かるようにして下さい」
「うん、僕も生命いのちがけで急いでいるんだ。潜水艦としては、すっかり出来上っているんだがね。肝心のあの点がまだ出来ない。」
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
基督は汝が大事業家たらんがために十字架上に汝のために生命いのちてざりしなり、基督の目的は汝の心霊を救わんとするにあり
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
すなわち古今のドクトルが、生命いのちを的に研究し調査した、その報告書アルバイトを、道案内として、病気の診察、医薬くすりの調合をするのです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
蠅が真黒まっくろにたかる。のみ跋扈ばっこする。カナブン、瓜蠅うりばえ、テントウ虫、野菜につく虫は限もない。皆生命いのちだ。皆生きねばならぬのだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
私の生命いのちに致しまして——で、御一身上、私が承つて置きまして宜しいことが御座いまするならば、何卒どうぞ仰しやつて下ださいませんか——
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
しよう。わしが生命いのちよりもいとしく思ふその清々すが/\しい微笑ほゝゑみを消さずに、お前の唇のうへを通るものなら、それこそ、どんな話でも聴かう……
職業(教訓劇) (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
が、幸にしてエガンが右手をもぎ取られただけで、二人とも生命いのちには別条なかった。散弾は四方に飛んで、硝子やその他の家具を破壊した。
恐ろしき贈物 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
鉄扇の一撃ぐらいでそう造作なく落命する筈はあるまいと思われたのに、意外やすでに古高新兵衛の生命いのちは、この世のものでなかったので
そうして、車体の屋根の上にとまり直ると、今さきに、漸く蜘蛛の網からその生命いのちをとり戻した身体を休めて、馬車と一緒に揺れていった。
(新字新仮名) / 横光利一(著)
……けれど其処に、生命いのちをずっと押しつめた処に、また別な死があるような気がするのです。それは死と云っては当らないかも知れません。
湖水と彼等 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
すぐここをおちになるがよろしゅうございます、決して何人たれにも云ってはなりません、そのことを云うと、生命いのちにかかわります
竈の中の顔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
と責めつけられても百姓は生命いのちより金の方が欲しいと見えて、「盗賊どろぼう々々」と云う声がこだまに響きますが、たれあっても助ける者はありません。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
生命いのちなき砂の悲しさよさらさらと握れば指の間より落つ」「高きより飛び下りる如き心もてこの一生を終るすべなきか」と。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
川上を世にれな男らしい男、真に快男子であると、全盛がもたらす彼女の誇りを捨て、わが生命いのちとして尽していたのである。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「戦おうか」だが、仮にも、怪老人は、自分にとっては生命いのちの恩人だ。他人の心臓を取って、移し植え、血の通う人間にしてくれた恩人だ。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
「おたがひに、明日あす生命いのちもしれない、はかないものなんだ。なんでも出來できるうちにはうがいいし、また、やらせることだ」と。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
大事な宝は生命 だが先方にとっては人の生命いのちはなんにもならぬ。こりゃ何もかもすっかり遣ってしまうにくはないと覚悟してしまった。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
私どもはいつでも子供の生命いのちそのものに直面して、それが自分たちに要求するままに、すべてのことをしてやりたいのです。
おさなごを発見せよ (新字新仮名) / 羽仁もと子(著)
考えて見よ、その老人が生命いのちを失おうとしたのは、その老人の金を盗んだ盗人の故ではないか。そちも、人の金を盗むことで、その人の生命を
奉行と人相学 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
幸いに生命いのちの助かった落人も、いわゆる尾羽おは打ち枯らした浪人として、吹く風の音にも心を配りつつ、世を忍んで生きて行かねばなりません。
二人の間にある生命いのちの扉を開けるかぎにはならなかった。むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
好いことをしたとも思ひませんが、生命いのちがあつて好かつたと思ひました。しかしそれがんなにその後私を苦しめましたか。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)