物淋ものさび)” の例文
歓楽のあとの物淋ものさびしさ、とでも云うような心持が私の胸を支配していました。もっともナオミはそんなものを感じなかったに違いなく
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
葭簀よしずを立掛けた水茶屋の床几しょうぎにはいたずら磨込すりこんだ真鍮しんちゅう茶釜ちゃがまにばかり梢をもれる初秋の薄日のきらきらと反射するのがいい知れず物淋ものさびしく見えた。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
岬の突端の方を当てにして進んで行くほど物淋ものさびしくなって、草深くなって、そうして木立さえ物々しくなるのでありました。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
もりしたこみちけば、つちれ、落葉おちばしめれり。白張しらはり提灯ちやうちんに、うす日影ひかげさすも物淋ものさびし。こけし、しきみれたるはかに、もんのみいかめしきもはかなしや。
弥次行 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
古い物語に母一人子一人、夕の山路を物淋ものさびしく通っていると、早来はやこ早来とこの鳥が啼いた。そうして心付いて見ると、背の幼な児は死んでいたという。
二十七日正午、ふね岩内を発し、午後五時寿都すっつという港に着きぬ。此地ここはこのあたりにての泊舟はくしゅうの地なれど、地形みょうならず、市街も物淋ものさびしく見ゆ。また夜泊やはくす。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
必竟ひつきやう自分じぶん東京とうきやうなかみながら、ついまだ東京とうきやうといふものをことがないんだといふ結論けつろん到着たうちやくすると、かれ其所そこ何時いつめう物淋ものさびしさをかんずるのである。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
それが非常に遠く感じられ、不思議と物淋ものさびしい晩のことでありましたが、私はとうとう、土蔵へ忍びこんで、そこの二階にいる筈の夫の隙見すきみくわだてたのでございます。
人でなしの恋 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
立出で夫より松戸の渡しも漸々やう/\通り越小金こがねはらに差掛りけるに扨物淋ものさびしき原中ゆゑ先腰なる摺燧すりひうち取出とりいだし松の根にしり打掛うちかけ煙草くゆらす折柄あとより尾來つけきたりしと見えて一人の大の男腰に長刀なががたな
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
眞暗まつくらになつて、あだか墜道とんねるのやうに物淋ものさびしいみちを、武村兵曹たけむらへいそう即座そくざてんじた球燈きゆうとうひかりてらして、みぎれ、ひだりてんじて、およそ百四五十ヤードもすゝむと、岩石がんぜきまへうしろはなれて、けうをなし
………そして、時折、山鴿やまばと物淋ものさびしげな鳴声がし始める。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
茸山たけやまの少し曇れば物淋ものさび
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
点滴の音は聞えぬが足駄あしだをはいて女中が郵便を出しにと耳門くぐりの戸をあける音と共に重そうな番傘ばんがさをひらく音が鳴きしきる虫の声の中に物淋ものさびしく耳についた。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
拍手かしわでの音清く響かし一切成就のはらいを終るここの光景さまには引きかえて、源太が家の物淋ものさびしさ。
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それも物淋ものさびしい様だが、昨今の如き元日に対して調子を合せた文章を書こうとするのは、丁度ちょうど文部大臣が新しい材料のないのにかかわらず、あらゆる卒業式に臨んで祝詞を読むと一般である。
元日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ほかのどんな建物より、空っぽになった劇場ほど、異様に物淋ものさびしいものはない。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
少年せうねんわたくしるよりいとなつかし倚子ゐすからつて『おはよう。』とばかり可愛かあいらしきかうべれた。『好朝おはよう。』とわたくしかろ會釋えしやくしてそのかたはらすゝり、なにとなく物淋ものさびえた春枝夫人はるえふじんまなこてん
家ごとに盂蘭盆うらぼん送火おくりび物淋ものさびしい風の立初たちそめてより、道行く人の下駄げたの音夜廻りの拍子木犬の遠吠とおぼえまた夜蕎麦売よそばうりの呼声にもにわかに物の哀れの誘われる折から、わけても今年は御法度ごはっと厳しき浮世の秋
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
じつ物淋ものさびしい景色けしき※ わたくし何故なにゆゑともなく悲哀あはれかんじてた。
妙にうそ寒く物淋ものさびしく思われるのであった。
木馬は廻る (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)