昔日せきじつ)” の例文
余もまたこの国に入れられ、この国もまたその誤解を認むるに至らば、その時こそ余の国を思うの情は実に昔日せきじつに百倍する時ならん。
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
床は勿論もちろん椅子いすでもテーブルでもほこりたまっていないことはなく、あの折角の印度更紗インドさらさの窓かけも最早や昔日せきじつおもかげとどめずすすけてしまい
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
時に梅田は昔日せきじつの貧儒にあらず、大和と長州との物産を交易し、経済の途を開き、大いに為す所あらんと欲し、門戸を張って天下の有志を
志士と経済 (新字新仮名) / 服部之総(著)
昔日せきじつのことが夢でなくて、今の現在がかえって夢のように思われてならない。老いさらぼいた姉、ぽうんとした兄、暗寂たる家のようす。
紅黄録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
将軍尚寵しょうちょうは、性行淑均しゅっきん軍事に暁暢ぎょうちょうし、昔日せきじつに試用せられ、先帝これをよしとのたまえり。これを以て衆議、ちょうをあげて督となせり。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが「幸いにして」という言葉はいまの自分にはいささか複雑だ。そこを訪れる僕らの心は、昔日せきじつにもまして重いであろう。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
嘉永三年の頃には既に閉店し、対岸山谷堀さんやぼりの入口なる川口屋お直の店のみなお昔日せきじつに変らず繁昌していたことが知られる。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
幸にして死にいたらざりし者が、今の地位にいて事をとるのみ。すなわち昔日せきじつは乱を好み、今日は治を欲する者なり。
教育の目的 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
劉自身が既になくなつてゐたとしたら、昔日せきじつの劉の健康なり家産なりが、失はれたのも、至極、当然な話であらう。
酒虫 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
本店の方は前述のごとく昔日せきじつおもかげはないが、支店特異の腕前は現在新橋あたりの寿司屋としては、まず第一に指を屈すべきで、本店の衣鉢いはつは継がれたわけである。
握り寿司の名人 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
笑われまいために学びもした、裁縫などもならった。昔日せきじつの「男おんな」はすっかり細君気質かたぎになっていた。
竹本綾之助 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
明治の末期や大正時代における型ばかりの祭礼を見たのでは、とても昔日せきじつの壮観を想像することは出来ない。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その声を我が恋人の声と思ふて聴く時に、恋人の姿は我前にあり、一笑して我を悩殺する昔日せきじつの色香は見えず、愁涙の蒼頬さうけふに流れて、くれな闌干らんかんたるを見るのみ。
我牢獄 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
……いろいろと隅田川すみだがわの夜明けの景色だけは深く身にみて今になお忘れない。昔日せきじつの夢を序にかえる。
かれは、かごのぐちへとまったが、ふいに、そとした。しかし、みじかられ、はねは、すりれていて、昔日せきじつのように、敏捷びんしょうぶことはできなかった。
自由 (新字新仮名) / 小川未明(著)
私は一つの夢を語ろうとする。無論、昔日せきじつの悪夢を語るのではない。昔日の悪夢はことごとくかなぐり捨て、私の力の許す限りにおいて、大いなる正夢を語ろうとするのである。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかも、その家へ呼ばれて御馳走ごちそうになったり、二三日間朝から晩まで懇切に連れて歩いて貰ったり、昔日せきじつ紛議ふんぎを忘れて、旧歓きゅうかんを暖める事ができたのは望外ぼうがい仕合しあわせである。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
なぜなら、檻の中に収容せられていた武夫少年は、昔日せきじつのような可愛いものではなく、身長、実に三メートル余——というから、背丈が一丈を越える大入道となっていた。
地球盗難 (新字新仮名) / 海野十三(著)
今は理論の上において官民に等差を附せずしかも事実の上においてなほ官尊民卑の余風を存す。租税を納むる者が郡区役所の小役人に叱られしはまさに昔日せきじつの一夢ならんとす。
従軍紀事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
わたくしは伊沢蘭軒の事蹟を書かうとするに当つて、最初に昔日せきじつ高橋太華の掘り出した古手紙の事を語つた。これは蘭軒の名が一時いかに深く埋没せられてゐたかを示さむがためである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「いや、昔日せきじつの面影なしさ。早い話が、風邪をひいても、こんなに何時までもぬけない。ゴホン、そら、せきが出たろう? 以前は牛肉を一斤食って熱燗あつかんを一本ひっかければ直ぐに治ったものだ」
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
震災後の吉原はまったく昔日せきじつおもかげを失って、慣例しきたりの廃止されることも多く、昔をしのぶよすがとてはなかった。公園もきれいに地均じならしをされて、吉原病院の医師や看護婦のテニス場と化してしまった。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
第一に、武器に於てもその破壊力の強大なる事は昔日せきじつの比で無い。
文明史上の一新紀元 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
そうして、いまでも、その巨人化と密生とは昔日せきじつに異らなかった。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
信玄亡きのちの甲軍は、やはり昔日せきじつの甲軍ではなかったのである。どこかに一抹の悲調と無常があった。旗ふく風にも、足なみの音にもあった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただしその品行のげん風致ふうち正雅せいがとにいたりては、いま昔日せきじつの上士に及ばざるものすくなからずといえども、概してこれを見れば品行の上進といわざるを得ず。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
鳥越とりこえの中村座など、激しい時代転歩にサッサと押流され、昔日せきじつの夢のあとはなくなってしまったが、堺町、葺屋町の江戸三座が、新吉原附近に移るにはがあった。
西洋近世の芸術は文学はいふも更なり、絵画彫刻音楽に至るまでまた昔日せきじつの如く広漠たる高遠の理想を云々うんぬんせず概念の理論を排してひたすらける生命せいめいの泉を汲まんとす。
矢立のちび筆 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
今こそ孤島に小さくなっていますが、昔日せきじつの太陽を呼び戻すには、猛毒瓦斯を発明し、その力によってやるのでないと全く見込みなしとの結論に達し、博士におすがりに参りました。
当初の壮麗を慕って、幾度かこれを再建補修した人々の信心を私は有難く思うけれど、昔日せきじつの面影はうかがうべくもない。治承四年十二月二十八日をもって一切は終ったのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
左大臣が権勢をほしいまゝにしていた間こそ、彼女も本院の北の方として多くの人の崇敬を集め、羨望の的となっていたであろうが、左大臣の死後は、恐らく昔日せきじつ栄華えいがも一朝の夢と化して
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ルパンが昔日せきじつのルノルマン刑事部長のおもかげを見せて、厳然と命令した。
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
昔日せきじつのわが不平、幽鬼の如くにわが背後うしろに立ちて呵々かゝとうち笑ふ。
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
こしらえが悉皆すっかり若旦那らしくなったよ。昔日せきじつの面影なしだ」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
陛下をめぐる人々からそんなお噂も出たりするほど、ここは昔日せきじつの皇居ではなかった。まことに今昔こんじゃくの感がふかい。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
農商も昔日せきじつ素町人すちょうにん土百姓どびゃくしょうに非ずして、藩地の士族を恐れざるのみならず、時としては旧領主を相手取りて出訴に及び、事と品によりては旧殿様の家を身代限しんだいかぎりにするの奇談も珍しからず。
徳育如何 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
チェリーはこの頃、断然だんぜんナンバー・ワンだよ。君江も居るには居るが昔日せきじつおもかげしさ。しかし温和おとなしくなった。温和しいといえば、あの事件からこっち、不思議に誰も彼もが温和しくなったぞ。
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
仏像も宝物も、堂宇もいまの我々は悉く見物出来る。拝観料を払った当然の権利のように思って見物する。しかし荒廃の法隆寺をうた昔日せきじつの人は、一の仏像さえみることは出来なかったのだ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
昔日せきじつ普請ふしんと今日の受負うけおい工事とを比較せばおもいなかばすぐるものあらん。
一夕 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
惜しいかな。君と予との交わりの日の余りにも短かりしことよ。——予も、天下の宰相たり、決して昔日せきじつの約束を
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔日せきじつの道徳も今日の道徳も、その分量においてはさらに増減あることなく、ただに増減あらざるのみならず、古書に載するところをもって果して信とせば、道徳の量はかえって昔日に多くして
文明教育論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
寛文かんぶん延宝えんぽう以降時勢と共に俳優の演技ようやく進歩し、戯曲またやや複雑となるに従ひ、演劇は次第に純然たる芸術的品位を帯び昔日せきじつの如く娼婦娼童の舞踊に等しき不名誉なる性質の幾分を脱するに至れり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかし国力はかなり疲弊ひへいしていたものだろう。蜀将の意気もすでに昔日せきじつの比ではない。帝以下百官、城を出て魏門にひざまずき、城下の誓いを呈したのである。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔日せきじつ鎖国の世なれば、これらの諸件に欠点あるも、ただ一国内に止まり、天に対し同国人に対しての罪なりしもの、今日にありては、天に対し同国人に対し、かねてまた外国人に対して体面を失し
学者安心論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
また信長自身の胸にも、ふたたび昔日せきじつの寵遇はわが主人にないばかりか、明智家の領地までを、他の僻地へきち移封いほうさせるお心がないとも断じきれないものがある。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、再起をはかってみたものの、もう昔日せきじつの士気はない。それにここでも、奈良の土民の眼は冷たかった。また僧団側も、食糧の協力をさえ、はや拒み出す有様だった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この一事によって見るも、甲軍の内容に昔日せきじつの意気は衰えて来つつあることたしかである
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見るものであります。けれど、いつまでこうしていても、ひとりでに、忠臣があらわれ、万戸が建ち並んで、昔日せきじつの洛陽にかえろうとも思われません。——なんとかご思案なければなりますまい
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど、一ト頃の新田十六騎の颯爽さっそうも、越後新田党の猛士卒の面目も、それが、禁軍の華麗を装備に持ってからは、まったく、昔日せきじつのような目ざましい戦闘ぶりは、どこへやら失われていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「血迷われたか。はや大御所も昔日せきじつの大御所ではない」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)