日向ひゅうが)” の例文
日向ひゅうが鶉車うずらぐるまというのは朝鮮の一帰化人が一百歳の高齢に達した喜びを現わすために作ったのが、多少変形して今日に伝ったのである。
土俗玩具の話 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
「こんど日向ひゅうがからお召しよせになったあの髪長媛かみながひめを、お父上にお願いして、わたしのおよめにもらってくれないか」とおたのみになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
かくて如水は筑前に攻めこみ、久留米、柳川を降参させる、別勢は日向ひゅうが豊前ぶぜんに、更に薩摩に九州一円平定したのが十一月十八日。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
遠くは、薩摩さつま日向ひゅうがから。もちろん豊前ぶぜん肥前ひぜんの沿海からも徴集し、しかもそれは戦艦として使える堅牢な船質でもなければならない。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
筑前ちくぜん筑後ちくご肥前ひぜん肥後ひご豊前ぶぜん豊後ぶんご日向ひゅうが大隅おおすみ薩摩さつまの九ヵ国。それに壱岐いき対馬つしまが加わります。昔は「筑紫ちくししま」と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そうするとこの日向ひゅうがあたりのヤイジメはすなわちカガシであり、シメは広くいろいろの害獣駆除法を、総括した名であったことが察せられる。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
源叔父の独子ひとりご幸助海におぼれてせし同じ年の秋、一人の女乞食日向ひゅうがかたより迷いきて佐伯の町に足をとどめぬ。ともないしは八歳やっつばかりの男子おのこなり。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
二、三日してさき日向ひゅうがへ行っている彼の父から母に早く来いといって来た。母は孫の傍から離れてゆくのをいやがったがとうとう行くことになった。
御身 (新字新仮名) / 横光利一(著)
旗艦陸奥むつ以下長門ながと日向ひゅうが伊勢いせ山城やましろ扶桑ふそうが、千七百噸級の駆逐艦八隻と航空母艦加賀かが赤城あかぎとを前隊として堂々たる陣を進めて行くのであった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「人も代りゃ世も代る。昔や日向ひゅうがといや派手なもんじゃったぞい。餅ついたって村一、子を生んだって村一、それがさあ、今じゃ下子二人じゃないかいや」
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
九州山脈に源を発したO川は、黄濁したてい日向ひゅうがの国の平原をうねり、くねり、末は太平洋に注いでいる。
南方郵信 (新字新仮名) / 中村地平(著)
それは外にも大きな別荘を持っていた日向ひゅうがさんという未亡人の持物で、冬の間別荘番に住まわせるために建ててあったのだが、夏場だけ人に借していたのである。
朴の咲く頃 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
「宮崎あたりから来ると、こゝは物価が高いからね。日向ひゅうがの炭焼先生土地に反感を持っているのだろう」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
日向ひゅうがの延岡で流弾にあたって左の足に負傷しまして、一旦は訳もなく癒ったのですが、それからどうも左の足に故障が出来まして、跛足びっこという程でもないのですが
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
石川日向ひゅうが様は横に長くて、この一構が通りを距てて宗対馬守そうつしまのかみと大関信濃守しなののかみの二棟に当る。
神国日向ひゅうがの美々津川の上流へは、まだ山女魚を志して分け入った釣り人は全くあるまい。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
それは船頭栄右衛門、水夫八五郎、総右衛門、善助、重次郎の五人で、日向ひゅうが志布志しぶし浦を出帆して日向灘でかじを折り、潮の流れに乗ってそのままこちらへ流されたものであった。
藤九郎の島 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
日向ひゅうがの国は日本で最も古い国である。お隣のこの豊後の国もまた古い国であらねばならぬ。その古い国という証拠は、この磨崖仏や横穴の古墳があることによって証明せられる。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
むかし、神武天皇の当時は日向ひゅうがより東北に向かって発展し、明治時代になっても北海道から千島へ向け、または樺太からふとへ向け発展しているのは、みな鬼門を破っているわけである。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
日向ひゅうがの俗信に、新死しんしの蛇の死骸に馬糞と小便を掛けると蘇ると(『郷』四の五五五)。右リンコルンシャーの伝は欧州支那ビルマ米国に産する蛇状蜥蜴オフィオサウルスを蛇と心得て言い出したのだ。
日向ひゅうがの山奥で森林を伐採した事があって、附近の者は元より他国からも木客そまが集まって来たが、その木客だちは、昼は鬱蒼うっそうたる森林の中ではたらき、夜はふもとに近い山小屋へ帰って来た。
死んでいた狒狒 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ちなみに右田村氏は、かつて日向ひゅうがの国〔宮崎県〕において一の新蜜柑しんみかんを発見し、これを小夏蜜柑こなつみかんと名づけて世に出した。すなわち小形の夏蜜柑なつみかんの意で、そのとおり夏蜜柑なつみかんよりは小形である。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
何だか勇ましいようないたましいような一種の気分が、盲目もうもくの景清の強い言葉遣ことばづかいから、また遥々はるばる父を尋ねに日向ひゅうがまでくだる娘の態度から、涙に化して自分の眼を輝かせた場合が、一二度あった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
戦艦『長門ながと』『陸奥むつ』『日向ひゅうが』『伊勢いせ』『山城やましろ』『扶桑ふそう』『榛名はるな』『金剛こんごう』『霧島きりしま』。『比叡ひえい』も水雷戦隊にかこまれているぞ。『山城』『扶桑』は大改造したので、すっかり形が変っている。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
肥後ひご細川家ほそかわけ家中かちゅうに、田岡甚太夫たおかじんだゆうと云うさむらいがいた。これは以前日向ひゅうがの伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭ばんがしらのぼっていた内藤三左衛門ないとうさんざえもんの推薦で、新知しんち百五十こくに召し出されたのであった。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
汽車が日向ひゅうが駅を過ぎて、八街やちまたに着かんとする頃から、おはまは泣き出し、自分でも自分がおさえられないさまに、あたりはばからず泣くのである。これには省作もおとよもほとんど手に余してしまった。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
北多摩郡の多穀神社、笠島の道祖神、屋張の国の田県たがた神社、印旛いんば郡の熊野神社、奥州塩屋の金精神こんせいしん、信濃の△△、日向ひゅうがの△△、四国の五剣山つるぎさん、美濃の山神、いくらもあります! いくらもあります!
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
日向ひゅうがの連山のいくつかが、断続してそのまゆずみを描く。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
日向ひゅうがの飯野郷というところでは、高さ五ひろほどの岩が野原の真中にあって、それを立石たていし権現と名づけて拝んでおりました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかし、日向ひゅうがはたいへんにへんぴで、まつりごとをお聞きめすのにひどくご不便でしたので、みことはいちばん上のおあにいさまの五瀬命いつせのみこととお二人でご相談のうえ
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
光春殿から伺えば、日向ひゅうが殿には、近日、中国へ御出陣とのこと。よほどお体を大事にお保ちあるように。人間五十を
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私が佐渡に渡ったのも、遠州の寒村狩宿を訪ねたのも、または日向ひゅうがの国や長州の村々を調査したのも、皆この予想のもとに試みたのです。調査はしばしば困難でした。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
薩摩に上陸して日向ひゅうがの沿岸を伝ひ江戸へと志したが、日向の櫛の津で捕へられた。
昔はあの裏通りのことを水車の道ウォタアウィル・レエンなんぞと外人達がいっていましたが——あの水車というのは、元来日向ひゅうがさんの御主人がこしらえさせて、自分の別荘の方へ山水を引かせていたものなのですが
朴の咲く頃 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
その年の八月、西郷隆盛がいよいよ日向ひゅうがの国に追い籠められたという噂が伝えられた頃である。わたしの家の庭内で毎晩がさがさという音が聞えるというので、女中たちはまた怖がりはじめた。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
日向ひゅうが延岡のべおかで——土地が土地だから一級俸あがって行く事になりました」
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
つまり日向ひゅうが重吉と妻いねの間に生れ、大勢の姉たちの誰とよりも永年いっしょに暮してきている二人であるのに、クニ子と実枝は両親の血を別々に分け合ったように異った性質に生れついていた。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
「ああ、きたないところへ行った。急いでからだを洗ってけがれをはらおう」とおっしゃって、日向ひゅうがの国の阿波岐原あわきはらというところへお出かけになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
日向ひゅうがの海岸などの昼中漁の盛んな村では、亭主は世事にうとく、女房が実印まで預っていて役場へも出てくる。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
乾坤一擲けんこんいってきるかるかだが、かく一同に語ろうて、この日向ひゅうがが起つからには、勝算は胸にあることだ。事成ればそなたにも、坂本の小城一つを持たせてはおかぬ。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こういうものを見ると、単純に用途のために出来る雑具の方に強みのあるのを感じます。日向ひゅうがの高千穂地方に「かるひ」と称する竹籠がありますが、山に行く時よくこれを背負います。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
その年の八月、西郷隆盛がいよいよ日向ひゅうがの国に追い籠められたという噂が伝えられた頃である。わたしの家の庭内で毎晩がさがさという音が聞こえるというので、女中たちはまた怖がりはじめた。
探偵夜話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「げに不思議じゃのう、ようもはあ、あの日向ひゅうがの家にでものう——」
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
日向ひゅうがさんのところはこの頃ずっと来ないの?」
朴の咲く頃 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
現在はるほど夢に近いかすかな手懸てがかりではあろうが、ただ試みに心づいたことを述べておくと、宮崎県の西端、霧島山きりしまやまふもと日向ひゅうが真幸郷まさきごうの小さな或る部落では
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
日向ひゅうがどのの歌でも、後になって見ればこそ、この時、逆意のきざしすでにありと、察しることもできましょうが、虚心風吟きょしんふうぎんの席、誰があんな大事を予知することができましょう。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが九州では大隅おおすみ日向ひゅうがの海岸で、里のはずれのアコウの木の高いこずえなどに、腰をおろし悠々と啼いていたものは、いずれもよく聴いていると五音であった。
日向ひゅうがどのには、幸運を楽しむ日もそう長くないことを、もう自覚しておいでとみえる」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日向ひゅうが都城みやこのじょうの辺ではジゴクバナ、壱岐いきの島ではゴショウバナ、後生というのも墓地のことをいうらしい。
「筑前と日向ひゅうがとは、まず、織田軍の双璧であろう。いずれも錚々そうそう、いずれも若い。両者の働きを見くらべるは、当代の壮観というもの。彼らもよき世に生れあわせたが、予もよき将を左右に持ったな」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)