彷徨ほうこう)” の例文
とにかく彼はえたいの知れないまぼろしの中を彷徨ほうこうしたのちやっと正気しょうきを恢復した時には××胡同ことうの社宅にえた寝棺ねがんの中に横たわっていた。
馬の脚 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
彼はやたらに彷徨ほうこうした。錯誤は人間的で、彷徨はパリーっ児的である。彼の奥底には洞察力があり、見かけによらぬ思索力があった。
旧ベルリンの古めかしい街区のことさらに陋巷ろうこうを求めて彷徨ほうこうしたり、ティアガルテンの木立ちを縫うてみたり、またフリードリヒ街や
コーヒー哲学序説 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「虚構の彷徨ほうこう」という私の第二創作集に、この写真を挿入しました。カモノハシという動物に酷似していると言った友人がありました。
小さいアルバム (新字新仮名) / 太宰治(著)
彷徨ほうこうすること暫し、台地が東側の大峡谷に落ちこむ縁の所に、一本の素晴らしい巨樹を見付けた。榕樹ガジマルだ。高さは二百フィートもあろう。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
絵に見たのは墨絵でしたが、夢の中では、兵馬は、真蒼まっさおな、限りも知られぬ竹藪の中に彷徨ほうこうしているところの自分を発見しました。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その人の話を聞いてると安息が味わえた。彼のほうもいつも耳を傾けてばかりはいなかった。自分の精神を彷徨ほうこうするままに任した。
かかる折よ、熱海の浜に泣倒れし鴫沢の娘と、田鶴見たずみの底に逍遙しようようせし富山が妻との姿は、双々そうそう貫一が身辺を彷徨ほうこうして去らざるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
警部は我が身を、フィラデルフィア迷路の中に彷徨ほうこうしながら精神錯乱した男にくらべて、脳髄のしびれて来るのを感じたことでありました。
赤耀館事件の真相 (新字新仮名) / 海野十三(著)
いろいろ考えて見ると。実は岐路きろ彷徨ほうこうしておるようなわけで。婚儀のことは親父の病気を幸いにずるずるとのばしているようなわけで。
藪の鶯 (新字新仮名) / 三宅花圃(著)
恋は畢竟ひっきょうするにそのちまたつじ彷徨ほうこうする者だけに、かたらしめておいてもよいような、小さなまた簡単な問題ではなかったのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ただうらむらくは、諸学の応用いまだ尽くさざるところありて、愚民なお依然として迷裏に彷徨ほうこうし、苦中に呻吟しんぎんする者多きを。
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
さっそく近所の病院へかつぎこみましたが、なかなかの重態で、四日ばかりは生死の境を彷徨ほうこうし、一時ははっきりと絶望と宣告されました。
ハムレット (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
一七四九年、声変りがして教会の合唱隊から追い出され、十八歳の少年が着のみ着のままで街に彷徨ほうこうしなければならなかった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
そのためにわれわれは天平の女に対して極端に同情のない観察と著しく理想化の加わった観察との間を彷徨ほうこうしなければならぬ。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
その万太郎の彷徨ほうこうは、釘勘が折角線を引いておいた今夜の捕物配置を無意識に、打ちこわして行く結果になったので、かれは
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後に欧洲おうしゅう彷徨ほうこうの旅で知つたのである。それは伊太利イタリーフロレンスの美術館の半円周の褐色のめ壁を背景にして立つてゐた。
過去世 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
何か縋るものを見出したいそんな心の彷徨ほうこうのひとつの現われでもあったに違いないから、そこのところで何か共通するものもあったのである。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
じつのない君臣の名に縛られて、この曠野こうやに、あてのない彷徨ほうこうをつづけている、解放してやらねばなりませんよ、阿賀妻さん?
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
私は隠謀があばかれたもしくは野心がすっぱ抜かれた人のような心持で、腹立たしいそして不安な憂欝ゆううつの中を彷徨ほうこうした。
語られざる哲学 (新字新仮名) / 三木清(著)
この一つの景象は、芭蕉のイメージの中に彷徨ほうこうしているところの、果敢はかなく寂しい人生観や宿命観やを、或る象徴的なリリシズムで表象している。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域に儃佪せんかいして、縹緲ひょうびょうのちまたに彷徨ほうこうすると形容するかも知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
遺骸の供をして来た女房たちはまして夢の中に彷徨ほうこうしているような気持ちになっていて、車からころび落ちそうに見えるのを従者たちは扱いかねていた。
源氏物語:41 御法 (新字新仮名) / 紫式部(著)
峰々に住ませたまう荒神たちも許させたまえ——一輪を衣裏ポッケットへと秘めた、そのときは霧中の彷徨ほうこうで、考える余裕もなかったことだが、文芸復興期ルネッサンス以後
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
相馬中村そうまなかむらの藩を出て、孤剣を抱いて江戸中を彷徨ほうこうするようになってから、いろんなことがあったっけ……手にかけた人の数は、とてもかぞえきれない。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
街のゴミタメをあさって野宿して乞食のように生きており、どうしてもつかまらなくなり、一年ぐらい彷徨ほうこうしているうちに、警察の手で精神病院へ送られた。
石の思い (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
人生を彷徨ほうこうする餓鬼が、また一人そこに女の姿をしていることを病的な神経に感じとったのかもしれなかった。
二つの庭 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
まだ私にはこれが実在事実の話であろうとはどうしても受け取れず、名高い西洋の小説の中でも彷徨ほうこうしているような気持がして夢のようにつぶやいたのであった。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
初心うぶな女だといわれることは最早何の名誉でも誇りでもない。それは元始的な感情の域に彷徨ほうこうして進歩のない女という意味である。低能な女という意味である。
私の貞操観 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
私はその時分も冬の寒空を当もなく都会を彷徨ほうこうしていた時代だったが、発表する当のない「雪おんな」という短篇を書いた時ちょうど郷里で彼女が生れたので
父の出郷 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
凡てが霧の中を彷徨ほうこうしているような気がして、自分で自分が判らず、極端に云えば、自分が何者であるか、という事すら、はっきり思い出せなかった位なのです。
悪魔の弟子 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
何時なんどきにても直様すぐさま出発し得られるような境遇に身を置きながら、一向に巴里パリーを離れず、かえって旅人のような心持で巴里の町々を彷徨ほうこうしている男の話が書いてある。
銀座 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
美しい街の鋪道ほどうを今日も私は、私を買ってくれないか、私を売ろう……と野良犬のように彷徨ほうこうしてみた。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
私はこういう剽悍ひょうかんな奴が、眼をランランと光らせて、樺太の密林のなかを彷徨ほうこうしている姿を想像した。
黒猫 (新字新仮名) / 島木健作(著)
こうした毎夜のような彼の彷徨ほうこうは、ついにふしぎな或る挿話をいつごろとなく彼の耳にいれていた。
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
路傍にタタキ付けられて救いを求めている小鳥のような彼女のイジラシイ態度……バスケット一つをひっさげて職を求めつつ街を彷徨ほうこうする彼女の健気な、痛々しい運命に
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
と云うのは、四百年の昔から纏綿てんめんとしていて、臼杵耶蘇会神学林うすきジェスイットセミナリオ以来の神聖家族と云われる降矢木ふりやぎの館に、突如真黒い風みたいな毒殺者の彷徨ほうこうが始まったからであった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
彷徨ほうこうの足取りはもつれて、天皇が立ち止れば御足の下の砂が紅に染まり、白い御袴も血に汚れた。
保胤が長年の間、世路に彷徨ほうこうして、道心の帰趨きすうを抑えた後に、ようやく暮年になって世をのがれ、仏に入ったとは異なって、別に一段の運命機縁にあやつられたものであった。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
を善くして、「外浜画巻そとがはまがかん」及「善知鳥うとう画軸」がある。剣術は群を抜いていた。壮年の頃村正むらまさ作のとうびて、本所割下水わりげすいから大川端おおかわばたあたりまでの間を彷徨ほうこうして辻斬つじぎりをした。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
折る者がなかったしかるに天は痛烈つうれつな試練をくだして生死の巌頭がんとう彷徨ほうこうせしめ増上慢ぞうじょうまんを打ちくだいた。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
当時随行ずいこう部下の諸士が戦没せんぼつし負傷したる惨状さんじょうより、爾来じらい家に残りし父母兄弟が死者の死を悲しむと共に、自身の方向に迷うて路傍ろぼう彷徨ほうこうするの事実を想像し聞見もんけんするときは
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
これほど体裁のいい外貌がいぼうと、内容の空虚な実質とを併合した心の状態が外にあろうか。この近道らしい迷路を避けなければならないと知ったのは、長い彷徨ほうこうを続けた後のことだった。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そしてしばらくの間過去の淡い、甘い悲哀の内を彷徨ほうこうしていた。うっちゃるごとく日記を閉じて目をそらしたとき、ああ君が恋しいとつくづく思った。そして発作のごとく筆を執った。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
夕方は迫ってくるもののためにわびしく底冷えていた。夜は茫々として苦悩する夢魔の姿だった。人肉をくらいはじめた犬や、新しい狂人や、疵だらけの人間たちが夢魔に似て彷徨ほうこうしていた。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
丙群からてい群と彷徨ほうこうして、その様子ようすうかがったが、かたわらに巡査じゅんさがいるでなし、しかもボストンのコンモンスといえば、市街の中央にしてかつマサチューセッツ州の州庁の鼻の先である。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
美妙は学者然と取澄ましていたが紅葉は極めてザックバランで少しも飾らなかった。美妙の知識の領分はかなり広いようだったが、イツデモ一つ領分の中を彷徨ほうこうして同じ話ばかりしていた。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
しかるに事実上かかる頑冥がんめいにして、変通を解せざる一派の思想が力を有し、それがために当然来るべき進歩的発展的なる思想が、人為的に沮止そしされ方途に迷うて彷徨ほうこうしつつある観を呈している。
婦人問題解決の急務 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
それまでは暗中の彷徨ほうこうである、しかし光明に向っての暗中の彷徨である。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
ところがこの琉球民族という迷児は二千年の間、支那海中の島嶼とうしょ彷徨ほうこうしていたにかかわらず、アイヌや生蛮みたように、ピープルとして存在しないでネーションとして共生したのでございます。
琉球史の趨勢 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)