ちまた)” の例文
忙しい世間は竹村君には用はない。何かなしに神田で覘いてみた眼鏡の中の大通りを思い浮べて、異郷のちまたを歩くような思いがする。
まじょりか皿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「剣の達人じゃ。いや名人の境に達していよう。人品もよい。深淵をのぞくようでな。乱世のちまたからもあんな人物が出るものかのう」
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこに、小山を据えたようにすわっているのは、先ごろから、このトンガリ長屋の王様とあおがれている、ちまたの隠者蒲生泰軒がもうたいけん先生だ。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
なんでも下駄を間違えたやつを、一人がなぐり飛ばしたのが原因もとで、芋をむような下足場が、たちま修羅しゅらちまたとなってしまいました。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
石和いさわの町を白沙のちまたに化して、多くの人死を生じさせた洪水は、この山奥に入ると、いかばかりひどく荒れたかということが解る。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
こうした繁劇と放縦のちまたで艶子は急に大人になった。身の丈がずんずん伸びて、皮膚が緊張し、胸がふくらんで腰が丸みを増した。
五階の窓:04 合作の四 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
しばしばちまた徘徊はいかいしていたので、むかし嗤笑わらいを買った身が、今はあの兇行の連続にもかかわらず、憎悪はむしろ帯刀一家に移って
くろがね天狗 (新字新仮名) / 海野十三(著)
直接の目標とされた会津さえも鞠躬如きっきゅうじょとして降伏を願っていたではないか。それを阻んだ征討軍参謀の世良せら修蔵は遊興のちまたで殺された。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
たとえば嫌厭先生が花柳かりゅうちまたに遊ぶにしても或いは役者といつわり或いはお大尽を気取り或いはお忍びの高貴のひとのふりをする。
ロマネスク (新字新仮名) / 太宰治(著)
高田の下男銀平は、下枝を捜しいださんとて、西へ東へ彷徨さまよいつ。ちまた風説うわさに耳をそばだて、道く人にもそれとはなく問試むれど手懸り無し。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その縁起をたずぬるに、慶安の頃ほひ、山城国、京洛、祇園の精舎しょうじゃに近く、貴賤群集のちまたに年経て住める茶舗美登利屋みどりやといふがあり。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
これらの作家皆功成り名遂げて早くも文壇を去りしに、思へばわれのみ唯一人今に浮身を衆毀しゅうきちまたにやつす。哀むに堪へたりといふべし。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
「俺の身元はちまたのベッガーでね、」すると賢夫人も気さくに笑って「えゝ/\また落魄おちぶれたらいつでも二人でおこもを着て門に立ちますよ」
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
恋は畢竟ひっきょうするにそのちまたつじ彷徨ほうこうする者だけに、かたらしめておいてもよいような、小さなまた簡単な問題ではなかったのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
予想通り、この話が、ちまたに伝えられて、熊野権現加護説を生み出したのだから、まさに清盛の思うつぼだったというべきである。
しかし彼は、かなり金ビラをきって情界を遊び廻り、泳ぎまわった割合に、花柳かりゅうちまたでさえ、れた女を、幾度も逃している。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
あわせて歳晩のちまたいろどる一種の景物けいぶつで、芝居を愛する人も愛せざる人も、絵双紙屋の店さきに立って華やかな双六のいろいろをながめた時
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ピアノと、蓄音器ちくおんきと、ダンスと、芝居と、活動写真と、そして遊里のちまた、その辺をグルグルまわって暮している様な男だった。
一人二役 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ちまたでは、行逢ゆきあう人から、木で鼻をくくるような扱いを受けた殺気立った中に、何ともいえぬ間の抜けたものも感じられる、奇怪な世界であった。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
が、その煙がすっかりぬぐわれると、そこは恐ろしい修羅のちまたと化していた。ウィルソンとその他の八人のものも、床の上をのた打っていた。
上宮王家へのひそかな思慕と愛惜の声が、ちまたにみちていたであろうことは、書紀にしるされた童謡わざうたによってもうかがわるる。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
ちまた風聞ふうぶんにも聞き及んだが、そやつは日頃予に恨みを含んで、あわよくば予が命を奪おうなどと、大それた企てさえ致してると申す事じゃ。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
いつも歩くちまたの通りを漫然と散歩して、末にこんな処へ立寄り、偶々たまたま、罎にさした桜の花が、傍の壁の鏡に色の褪せた姿をうつすのをながめて
春風遍し (新字新仮名) / 小川未明(著)
まず今日が日までの息災を謝し奉り、これよりは知らぬ国に渡りていくさちまた危うきを犯し、露に伏し雨風に打たるる身の上を守りたまえと祈念し
置土産 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
夏の夜のちまたにひびく新内の流し、今でも下町ではときどき聞くが、明治時代には夕方蝙蝠こうもりが出る時に、きっとやって来る。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
厳しい宗教的雰囲気の中に育てられた白面病弱の坊ちゃんが、急に、自らの純潔を恥じ、半夜、父のやしきを抜け出して紅灯のちまたをさまよい歩いた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
とまれ生死のちまたを経、血煙りの中を通って来た者は、恋の占有というような心は、案外押さえることが出来るものらしい。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
妖雲よううん天地にたちこめ、円盤空をとび、ちまたの天文家は戦争近しとにらんだ形跡であるが、こと私自身に関しては、戦争になっても余り困らない人間だ。
武者ぶるい論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
またその陥穽おとしあなは雪山の谷間よりもひどいものがあるであろうけれども、そういう修羅しゅらちまたへ仏法修行に行くと思えばよいと決心致しました。その歌は
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
火事だアッと怒鳴るか、怒鳴らぬに、蜂の巣を突ついた様な騒ぎで、近所合壁は一瞬時に、修羅のちまたと化してしまった。
越後獅子 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
先刻家を出る時の母の訴へるやうな顔付も思ひ出した。さうして今夜は決して、さういふちまたへ走るまいと思ひ返した。
良友悪友 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
「露月はそなたが先ごろより、遊芸唱歌に身をやつし、煙花のちまたに出入して、若いよろこびをむさぼるようになったのが、何よりも不明でならぬのじゃ」
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
いわば夢遊病者のごとき発作的錯乱者が、明白なる殺人の目的の下に、兇器を隠し持って夜のちまたをさまようだろうか。
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
花のさえ重きに過ぐる深きちまたに、呼びわしたる男と女の姿が、死の底にり込む春の影の上に、明らかにおどりあがる。宇宙は二人の宇宙である。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼は南方の市の『熱きちまた』へ降臨したが、それはちょうど、『華麗なる火刑の庭』で、ほとんど百人に近い異教徒が
僕とボップ、裏街の夜、アアク燈、柳暗花明のちまたを駈け抜けると、古寺院の境内、数時間、僕はだまって経過した。
飛行機から墜ちるまで (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
病院の廊下で仆れたりちまたの雑踏を耳にしながら、ややしばし路傍に横たわっていたりしたこともあった。しかし今彼はそう長くは仆れてもいなかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
永禄の前は弘治、弘治の前は天文だが、天文よりもまだ前の前のことだ、京畿地方は権力者の争い騒ぐところで有ったから、早くより戦乱のちまたとなった。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
何れも容姿を取り亂して右に走り左に馳せ、叫喚呼號の響、街衢に充ち滿ちて、修羅しゆらちまたもかくやと思はれたり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
余は呆気あっけにとられた。八年前秋雨あきさめの寂しい日に来て見た義仲寺は、古風なちまたはさまって、小さな趣あるいおりだった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
もう、あの美しい錦絵にしきえのような人形町の夜のちまたをうろつく事は出来ないのか。水天宮すいてんぐうの縁日にも、茅場町かやばちょうの薬師様にも、もう遊びに行く事は出来ないのか。
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼女は今、自分が残してきたちまたの上に、どんよりと感じられる都会のどよめきへ、ほのかな意識を移していた。
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
盛な歓楽の声は二階に湧上つて、屋外そとに居る二人の心に一層の不愉快と寂寥さびしさとを添へた。丁度人々は酒宴さかもりの最中。灯影ほかげ花やかに映つて歌舞のちまたとは知れた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
前にも述べた通り、日本は当時戦乱のちまたで、戦争が絶えなかったので、どうかして勝利を得たいという欲望は、上下を問わず一般の武士の精神に宿っていた。
或文壇の老大家が曾て人に語つて「俺は女の書いた物は何でも面白い。女の書いた物だと思ふと惡口は云へない。」と云つたといふちまたの噂を聞いた事がある。
しかしながらひとはにぎやかなちまたを避けて薄暗い自分の部屋に帰ったとき真に孤独になるのではなく、却って「ひとは星を眺めるとき最も孤独である」のである。
人生論ノート (新字新仮名) / 三木清(著)
それから突然その酒をあおり、銭を投げだして、暗い夜半のちまたへ消えてゆく。……そういった者が多かった。
嘘アつかねえ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「また何時もながら伊左衛門か、藤十郎どのの紙衣姿は、もう幾度見たか、数えきれぬ程じゃ」と、云うちまたの評判は、藤十郎に取っては致命的な言葉であった。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
往来の人もほとんど絶えて、わずかに終電車の音が遠く唸るばかり、夜と共に起った空っ風が、ちまたの埃を濛々と吹き起して、車の外はおもてを向けられそうもありません。
青い眼鏡 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
易水剣を按ずる壮士は慷慨激越して物情洶々きょうきょう、帝都は今にも革命のちまたとならんとする如き混乱に陥った。