尾張おわり)” の例文
馬籠の本陣親子が尾張おわり藩主に特別の好意を寄せていたのは、ただあの殿様が木曾谷きそだにや尾張地方の大領主であるというばかりではない。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
尾張おわり知多ちた半島などでこの遊びをネギゴトといい、それに使う木の棒をネギというのも、同じ念木ねんぎという語の地方音だったかも知れぬが
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
着流しに長脇差ながわきざし、ひとつ印籠いんろうという異様な風態ふうていだったので、人目をひかぬはずもなかったが、尾張おわりの殿様も姫路の殿様も、編笠あみがさなしの素面すめん
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
尾張おわり東春日井ひがしかすがい郡にもあれば、近江おうみ神崎かんざき郡にもある。伊勢の三重郡には大治田と書いて「オバタ」と読む地名があって、一に小幡にも作る。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
尋ね尋ねて十一軒目、とある裏通りの、尾張おわり屋という古風な日本旅館には、玄関をはいらぬ先から、なんとなくそれらしいにおいが感じられた。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その他尾張おわりの窯以外のものでは「霞晴山」と捺印なついんあるもの、または角皿などで北陸産のものもあるがいずれも味わいは劣る。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
喜兵衛は斯道しどうの研究者であるだけに、浜主の名を知っていた。尾張おわりむらじ浜主はまぬしはわが朝に初めて笛をひろめた人で斯道の開祖として仰がれている。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
筆者わたしが知っている女では、これも、先代か先々代かの、尾張おわりの殿様をまるめた愛妾、お家騒動まで起しかけた、柳橋の芸者尾張屋新吉と似ている。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それから信濃しなのへおはいりになり、そこの国境くにざかいの地の神をち従えて、ひとまずもとの尾張おわりまでお帰りになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
尾張おわりの織田家と、美濃みのの斎藤家とは、むこしゅうととの親密な関係にあって、味方同志のはずだが、なかなかそうでない。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
互いにむつみ合うはおろかの事、かえって交互たがいに傷つけ合い、甲斐かいの武田は越後えちごの上杉、尾張おわりの織田、駿河するがの今川
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
尾張おわり停車場ステイションほかの乗組員は言合いいあわせたように、残らず下りたので、はこの中にはただ上人と私と二人になった。
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ヒコフツオシノマコトの命が、尾張おわりの連の祖先のオホナビの妹の葛城かずらきのタカチナ姫と結婚して生んだ子はウマシウチの宿禰すくね、これは山代やましろの内の臣の祖先です。
それから色々の所の土を用いて、絵だけは昔の様を継いで来ていたのであるが、この頃では、尾張おわりなどから生地きじを取りよせて、絵だけをつけることにしている人も多いらしい。
九谷焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
浦和県知事間島冬道まじまふゆみちの催した懇親会では、塩田良三りょうさん野呂松のろま狂言を演じ、優善が莫大小メリヤス襦袢じゅばん袴下はかました夜這よばい真似まねをしたことがある。間島は通称万次郎、尾張おわりの藩士である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
長良川ながらがわ鉄橋陥落の図、尾張おわり紡績会社破壊の図、第三師団兵士屍体発掘したいはっくつの図、愛知病院負傷者救護の図——そう云う凄惨な画は次から次と、あの呪わしい当時の記憶の中へ私を引きこんで参りました。
疑惑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
汽車はようよう尾張おわり一ノ宮を過ぎたばかりであった。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
尾張おわり月樵げっしょうは、文鳳に匹敵ひってきすべき画家である。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
松本から三河みかわ尾張おわりの街道、および甲州街道は彼ら中馬が往還するところに当たり、木曾街道にも出稼でかせぎするものが少なくない。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それから直ちに土の餅を聯想れんそうしたのは、今でも型ばかりは残っている尾張おわり国府宮こうのみや儺追なおい祭が、この連中には殊によく知られていたからであった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
美濃といえば多治見たじみ駄知だちを中心とする焼物の仕事が盛でありますが、それは広い意味で瀬戸の一部と見てよいので、尾張おわりを語る時に譲りましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
美濃みの尾張おわりのさかい、木曾川のながれも、ひろい曠野こうやも、あらしの前の静けさに似て、たがやす人の影も、旅人のすがたも、人ッ子ひとり、見えなかった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尾張おわり殿、肥後ひご殿、仙台殿、一ッ橋殿、脇坂殿、大頭おおあたまばかりが並んでいた。その裏門が海に向いた、わけても宏壮な一宇の屋敷の外廻りの土塀まで来た時であった。
柳営秘録かつえ蔵 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
命はそれから尾張おわりへおはいりになって、そこの国造くにのみやつこむすめ美夜受媛みやずひめのおうちにおとまりになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
この天皇は尾張おわりの連の祖先のオキツヨソの妹ヨソタホ姫の命と結婚してお生みになつた御子はアメオシタラシ彦の命とオホヤマトタラシ彦クニオシビトの命とお二方です。
尾張おわり領分の村々からは、人足が二千人も出て、福島詰め野尻のじり詰めで殿様を迎えに来ると言いますから、継立つぎたてにはそう困りますまいが。」
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ここで中部と名づけるのは便宜上、美濃みの飛騨ひだ尾張おわり三河みかわ遠江とおとうみ駿河するが伊豆いず甲斐かい信濃しなのの九ヵ国を指します。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
尾張おわりの方へ落ちのび給い、正月三日というに、長田忠致おさだただむねに計られて、あえなくお討たれ遊ばしたのみか、その御首みしるしは、都へ送られ、平家の者の手にかかって
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ織田信長が尾張おわりにいたころから、秀吉ひでよし伯母聟おばむこになる杉原七郎左衛門すぎはらしちろうざえもんという人が、清洲きよすに住んで連尺商れんじゃくあきないをしていたという話があり、また「茶壺ちゃつぼ」という能狂言のうきょうげんでは
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
天皇はこの皇子のために、わざわざ尾張おわり相津あいずというところにある、二またになった大きなすぎの木をお切らせになって、それをそのままくって二またの丸木船まるきぶねをお作らせになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
「目ぼしい大藩の大名といえば、加賀に島津に細川に、尾張おわりに紀伊に仙台の伊達だて。しかしそれとて城郭は、こうも大きくない筈だ。……といって外国のかまえではない。日本古来の様式だ」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
当時木曾路きそじを通過した尾張おわり藩の家中、続いて彦根ひこねの家中などがおびただしい同勢で山の上を急いだのも、この海岸一帯の持ち場持ち場を堅めるため
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
祥瑞ションズイの亡き後、捨次郎はその松坂を去って、郷里の尾張おわりへひき移り、この土地の瀬戸村で産出する陶器をはじめ、諸国のかまの製品も扱って、那古屋、清洲、京
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本本土で一番北の端にあるのは、奥州外南部そとなんぶ正津川しょうづがわ村の姥堂で、私も一度お参りをしたことがあります。東海道では尾張おわり熱田あつたの町にある姥堂は、古くから有名なものでありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
時代とき足利あしかが末葉まつようで、日本歴史での暗黒時代、あっちでも戦い、こっちでもいくさ、武者押しの声や矢叫やたけびの音で、今にも天地は崩れるかとばかり、尾張おわりには信長、三河には家康、甲斐かいには武田
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
西は美濃みの尾張おわり伊勢いせから、北は越後えちごの方面へかけ、ふろしき包みにした薬の箱をしょい、日に焼け、雨にぬれることをもいとわずに、遠い道を往復し
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
日本では、その年の正月に、尾張おわりの国熱田神領あつたしんりょうの——戸数わずか、五、六十戸しかない貧しい村の一軒で——藁屋根わらやねの下の藁のうえに奇異な赤ン坊が生れていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尾張おわり生路いくじという村には、あるお寺の下に綺麗きれいな清水があって、これも大師の掘った井戸だと、土地の人たちはいっておりましたが、それが最初からのいい伝えでなかったことは明かになりました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかし、これには尾張おわりのような中国の大藩の向背が非常に大きな影響をあたえたことを記憶しなければならない。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
秀吉はときどき、尾張おわり中村なかむらで村の餓鬼大将がきだいしょうだった時代のような言葉づかいを、ちょいちょいつかう。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
西は美濃みの尾張おわりから北は越後えちご辺まで行商に出て、数十里の路を往復することもいとわずに、植松の薬というものをまもって来たのもその大番頭たちであった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
十七年のあいだに、とにかく尾張おわり清洲きよすの一被官たるご身分から、これだけに躍進され、積年の悪風を京都から一掃して、旧室町幕府の世頃とは比較にならぬほどなご忠誠ぶりでもある。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二月の末に京都をって来たという正香は尾張おわり仙台せんだいのような大藩の主人公らまで勅命に応じて上京したことは知るまいが、ちょうどあの正香が夜道を急いで来るころに
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
林崎甚助は、後に、上杉謙信の幕下松田尾張おわりの手に属して、戦場へも出ているが、その武者修行に出た動機には、修行という本質のほかに、亡父の仇敵坂上典膳さかがみてんぜんを打つという目的があった。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幕府では三河みかわ尾張おわり伊勢いせ近江おうみ若狭わかさ飛騨ひだ伊賀いが越後えちごに領地のある諸大名にまで別のお書付を回し、筑波辺の賊徒どものうちには所々へ散乱するやにも相聞こえるから
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
まさに小牧の難攻に逢着ほうちゃくして、いったん大坂にひきあげて後、また軍をもよおしては、美濃みの尾張おわりへ出動する一方、ひそかに丹羽長秀に旨をふくめて、徳川方へそれとなく、和睦の肚があるかないか
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこまで帰って来れば、尾張おわりの大領主が管轄の区域には属しながら、年貢米ねんぐまいだけを木曾福島の代官山村氏に納めているような、そういう特別な土地の関係は、中津川辺と同じ縄張なわばりの内にある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
これまでの、美濃路みのじから尾張おわりへ出るのを一変して
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尾張おわりの中村でございます」
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)