蒼然そうぜん)” の例文
鍋町なべちょう風月ふうげつの二階に、すでにそのころから喫茶室きっさしつがあって、片すみには古色蒼然そうぜんたるボコボコのピアノが一台すえてあった。
銀座アルプス (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それから山内の森の中へ来ると、月が木間このまから蒼然そうぜんたる光をもらして一段の趣を加えていたが、母は我々より五歩いつあしばかり先を歩るいていました。
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
そして金堂自身のもつ蒼然そうぜんたる陰翳は、後の講堂に反映し、講堂のもつ稍々やや浮いた明るさに適切な重厚味を与えている。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
私達は舟遊び気分の何ともいえぬ心地で、の音ゆる蒼然そうぜんとして暮れ行く島々の間を縫い廻った上、南風楼に帰った。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
この前買った「ウァートン」の英詩の歴史は製本が「カルトーバー」で古色蒼然そうぜんとしていて実に安い掘出し物だ。
倫敦消息 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
壁の一枚岩にも、ところどころ自然がもてあそんだ浮き彫りのようなものが見られるけれど、それらもみな、蒼然そうぜんたる古色を帯びすすけかえっているのだ。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
今しがたまで見えた隣家の前栽せんざいも、蒼然そうぜんたる夜色にぬすまれて、そよ吹く小夜嵐さよあらしに立樹の所在ありかを知るほどのくらさ。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
蒼然そうぜんとその面を名人も青めくらましながら、ややしばしじっと考えに沈んでいたようでしたが、やがて突如!
そうして月は、その花々の先端の縮れた羊のようなしわを眺めながら、蒼然そうぜんとして海の方へ渡っていった。
花園の思想 (新字新仮名) / 横光利一(著)
このたけ高く細長き女の真白まっしろき裸体は身にまとへる赤き布片ふへんと黒く濃き毛髪とまた蒼然そうぜんたる緑色の背景と相俟あいまつてしん驚愕きょうがくすべき魔力を有する整然たる完成品たり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
幾時代もたっているのでまったく古色蒼然そうぜんとしていた。微細な菌が、こまかにもつれた蜘蛛くもの巣のようになってのきから垂れさがり、建物の外側一面をおおいつくしている。
日が落ちたと見えて、窓の外が蒼然そうぜんと暗くなった。夕闇がもたれかかった障子にが一匹音を立てた。気がうっして、背筋が固くなったような気がする。旅川が話し出した。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
わらわいてこっちへと、宣示のりしめすがごとく大様に申して、粛然と立って導きますから、詮方せんかたなしにいて行く。土間が冷くくびすに障ったと申しますると、早や小宮山の顔色蒼然そうぜん
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
驚きしもうべなりけり、蒼然そうぜんとして死人に等しきわが面色めんしょく、帽をばいつのまにか失い、髪はおどろと乱れて、幾度か道にてつまずき倒れしことなれば、衣はどろまじりの雪によごれ
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
伊豆の修禅寺しゅぜんじ頼家よりいえおもてというあり。作人も知れず。由来もしれず。木彫の仮面めんにて、年を経たるまま面目分明ならねど、いわゆる古色蒼然そうぜんたるもの、来たって一種の詩趣をおぼゆ。
修禅寺物語 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
万年草まんねんそう 御廟のほとりに生ずこけたぐひにして根蔓をなし長く地上にく処々に茎立て高さ一寸ばかり細葉多くむらがりしょうず採り来り貯へおき年を経といへども一度水に浸せばたちまち蒼然そうぜんとしてす此草漢名を
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
飛ばしてきた古色蒼然そうぜんたるロオドスタアがキキキキ……と止って、なかから、煙草たばこきだし、禿頭はげあたまをつきだし、容貌魁偉ようぼうかいいじいさんが、「ヘロオ、ボオイ」としゃがれた声で、呼びかけ
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
もっとも、本体の石神様自身が、神か仏かただの人間か、古色蒼然そうぜんとして、名もなく、わけもわからぬおすがたを持っているのでありますから、祭祀さいしの方法もまた、これでいいのかも知れません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二人は足袋屋の横町を曲って、酒井子爵邸の古色蒼然そうぜんとした門の前を歩く。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
如何いかにも古色蒼然そうぜんとして、一見古代生物の異風をそなえた曲者くせものであった。
どこかわからないまま睡っておりました草原の中から頭をもたげますと、折りから降り出した時雨しぐれの中に、蒼然そうぜんと明け離れて行く宮城のいらかを仰ぎました瞬間に、思わず濡れた草の中に正座しました。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
寺域を囲む築地ついじもむろんわずかしか残っていない。松の大樹と雑草につつまれて蒼然そうぜんたる有様である。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
流体力学の専門家はその古色蒼然そうぜんたる基礎方程式を通してのみしか流体を見ないから、いつまでたってもその方程式に含まれていない種類の現象に目の明く日は来ない。
物理学圏外の物理的現象 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
香取の顔色は蒼然そうぜんとして変って来た。彼女は身を床の上に俯伏うつぶせた。が、再びはじかれたように頭を上げると、そのあおざめた頬に涙を流しながら、声をふるわせて長羅にいった。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
活気は少年の満面にあふれて、蒼然そうぜんたる暗がりの可恐おそろしいひびきの中に、灯はやや一条ひとすじの光を放つ。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その外坐舗一杯に敷詰めた毛団ケット衣紋竹えもんだけに釣るした袷衣あわせ、柱のくぎに懸けた手拭てぬぐい、いずれを見ても皆年数物、その証拠には手擦てずれていて古色蒼然そうぜんたり。だがおのずから秩然と取旁付とりかたづいている。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
一度びはたけき心に天主をもほふる勢であった寄手の、何にひるんでか蒼然そうぜんたる夜の色と共に城門の外へなだれながら吐き出される。つ音の絶えたるは一の間か。暫らくは鳴りも静まる。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
地も空も蒼然そうぜんれ、時々坊岬灯台の光の束が、空をいで走る。石段も暗く、手をつなぎ合って、そろそろと降りた。しめった掌を離すと、女は道を降り、ダチュラの花を四つ五つんで来た。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
周囲にめぐらした土塀どべいも崩れ、山門も傾き、そこにつたがからみついて蒼然そうぜんたる落魄らくはくの有様である。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
絹のごとき浅黄あさぎの幕はふわりふわりと幾枚も空を離れて地の上にかぶさってくる。払い退ける風も見えぬ往来は、夕暮のなすがままに静まり返って、蒼然そうぜんたる大地の色は刻々にはびこって来る。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
色がいいから紅茸べにたけなどと、二房一組——色糸の手鞠てまりさえ随分糸の乱れたのに、就中なかんずく蒼然そうぜんと古色を帯びて、しかも精巧目を驚かすのがあって、——中に、可愛い娘のてのひらほどの甜瓜まくわが、一顆ひとつ
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
こういうトピックスで逆毛さかげ立った高速度ジャズトーキーの世の中に、彼は一八五〇年代の学者の行なった古色蒼然そうぜんたる実験を、あらゆる新しきものより新しいつもりで繰り返しているのであろう。
野球時代 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然そうぜんたる夕べのなかにつつまれて、幽闃ゆうげきのあなた、遼遠りょうえんのかしこへ一分ごとに消えて去る。きらめき渡る春の星の、あかつき近くに、紫深き空の底におちいるおもむきである。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
始めのうちは振動の問題や海の色の問題や、ともかくも見たところあまり先端的でない、新しがり屋に言わせれば、いわゆる古色蒼然そうぜんたる問題を、自分だけはおもしろそうにこつこつとやっていた。
時事雑感 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
いま辻町は、蒼然そうぜんとして苔蒸こけむした一基の石碑を片手で抱いて——いや、抱くなどというのははばかろう——霜より冷くっても、千五百石の女﨟じょうろうの、石のむくろともいうべきものに手を添えているのである。
縷紅新草 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
夫人の面は蒼然そうぜんとして
外科室 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)