ひそ)” の例文
旧字:
ソレハ妻ガコノ日記帳ヲひそカニ読ンデ腹ヲ立テハシナイカトイウヿヲ恐レテイタカラデアッタガ、今年カラハソレヲ恐レヌヿニシタ。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
が、大震災直後、かの甘粕大尉によつて大杉栄、伊藤野枝の殺害さるるや、出来星のルパシカ青年は忽ちにして影をひそめてしまつた。
大正東京錦絵 (新字旧仮名) / 正岡容(著)
「盟友、同志、雲の如く、その上、これは極内だが、御三家の俊傑、紀州頼宣よりのぶ様、ひそかに御加担、近々事を挙げる運びになっている」
江戸の火術 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
二人は何うかすると其の孰にも属しないひそやかな世界を慾した。さう云ふ世界が又二人に取つて不安であるのは仕方のない事であつた。
草いきれ (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
『それも駄目だめだ』とこゝろひそかにおもつてるうちあいちやんはうさぎまどしたたのをり、きふ片手かたてばしてたゞあてもなくくうつかみました。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
それだから風呂ふろに入つた時などに、ひそかにそのかさぶたを除いてみると、その下は依然としてただれて居つて深いみぞのやうになつてゐる。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
こよいひそかな内詔を拝して涙にくれた。何事も時節であるから、もうしばらく時を待つがよい。自分には期するところがある。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひそかに部屋を出て厩舎へ来てみると、そこには三人の牧夫が馬に鞍を置いていて、正勝にだけ秘密の話をすることはできなかったからである。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
直助がかの女をひそかにおもつて居ることを、かの女はだん/\近頃知るやうになつて居た。だが、かの女はそのことを深く考へようとしなかつた。
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
この悲哀ははなやかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の最奥さいおうひそんでいるある大きな悲哀だ。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
「なさぬ仲やの。……」と、声をひそめていって、「私、今はじめて聴かされた。そんなことがないか知らん思うとったんや。やっぱりそうやった」
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
そのことについては、吾が友人帆村荘六も大いに知りたがっていたところだが、或る時とうの丘田医師から聞きだしたといって、ひそかに話してくれた。
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
むしろあやされるようなひそやかな歓びが胸にあふれて、十七になる今日までかつて知らなかった一種のするどい快楽のような感じにとらえられるのであった。
合歓木の蔭 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
シャクが弟の屍体の傍に茫然と立っていた時、ひそかにデックのたましいが兄の中にしのび入ったのだと人々は考えた。
狐憑 (新字新仮名) / 中島敦(著)
いずれにしても我々は慚愧ざんきに堪えぬ次第であると、私は心ひそかにこの人の利溌りはつさに驚いていたのであった。
ひそかに自任しているよりも、低く自分の徳を披露ひろうして、控目という徳性を満足させておきながら、欲念というような実際の弱点は、一寸見ちょっとみには見つからない程
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
午前中ひそかに男装した姉さんが、近所の子供に金をくれて夜の九時頃局へ持って行かせたのですよ。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
女の子なんか、うなぎならメソッコみたいなもので話にならぬと——それからまた声をひそめていった。
けれどもその喜びのうちには悲しみもひそんでいたに相違なかった。そしてそれは私達にも同様に。
 而して、芸術論が屡々余りに空言に終ること多い理由は、芸術家でない人に芸術的制作を可能ならしめんとする意向を知つてか知らないでかひそめてゐることそれである。
芸術論覚え書 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
私は、その「木兎」を単に観賞の理由で彼から借り受けて置いたところが、同居のRという文科大学生がひそかに持出して街のカフエーに遊興費の代償に差押えられている。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
夜が更け、空が霽れ、蒼褪めはてた経験の貴さと冷たい霊性のなやみを染々と身に嗅ぎわけて、哀傷のけものは今深い闇のそこひからびやうびやうと声をひそめて鳴き続ける。
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
それと独機の爆弾のために起っている火事とで、ワルシャワの街は煌々こうこうと明るかった。イワノウィッチは、中隊長の目を盗んで、ひそかにワジェンキの営舎を抜け出たのである。
勲章を貰う話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
アレは、新田あらたさん、貴君がひそかに作つて生徒に歌はせたのだと云ふ事ですが、真実ほんたうですか。
雲は天才である (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
胸中深くひそめられた心臓は、外気にさらされても、何喰わぬ顔して動き続けて居る。君! 全く心臓は曲物くせものだよ。「ハートはままにされない」と誰かゞ言ったが、全くその通りだ。
恋愛曲線 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
そして加之しかのみならず、事実を興味深く粉飾するために、何の小説にも一様に、護謨ゴム靴の刑事と、お高祖頭巾こそずきんの賊とが現れ、色悪と当時称せられた姦淫が事件の裏にひそんでいるのに極まっていた。
大衆文芸作法 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
そしてそれがまごうかたなく自分のひそかに欲していた情景であることを知ったとき、彼の心臓はにわかに鼓動を増した。彼はじっと見ていられないような気持でたびたび眼をらせた。
ある崖上の感情 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
それは愉しい一刻ひとときには違いなかった。夜更けの海辺の道を見知らぬ美しい女と肩を並べて歩くなどというひそかな喜びは、病気が約束した短い一生にとってはまことに貴ぶ可きものなのだ。
ひとりすまう (新字新仮名) / 織田作之助(著)
一時いっとき、にんじんは、口をきくことができない。このひそかなよろこび、握っているこの手、ほとんど力まかせにすがっているこの手、それがすべてどこかへ飛んで行ってしまうような気がするのだ。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
後には変貌へんぼうの山にも(九の二)、ゲッセマネの園にも(一四の三三)、ひそかなる祈りの場に三人の愛弟子を伴い給いましたが、今はまだそのような信頼をかけるべき者は一人もいないのです。
こんな状態ではと、わたしはその時既にひそかに思つたのだ。聟が第二の息子むすことなつて、年老としとつて行く義父に涙のこぼれるやうな世話をしてくれる。かういふ美しい光景をわたしは幾つか見て来た。
愚かな父 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
これは修羅の世を抜けいでて寂光の土にいたるという何ものかのひそやかなあかしなのでもあろうか。それでは自分も一応は浄火のさかいを過ぎて、いま凉道蓮台のかどさきまで辿たどりついたとでも云うのか。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
何事やらむと立佇たちとまれば慌しく四隣あたりを見まはし、鮮やかなる和語に声をひそめつゝ、御頼み申上げ度き一儀あり。げて吾が寝泊りする処まで御足労賜はりてむやと、ひたすらに三拝九拝する様なり。
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
と私はひそかに期しているところを突如いきなり指されて尠からず面食めんくらった。
ガラマサどん (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
考えれば、皆壺の骨に根本の罪がひそむのであった。
職工と微笑 (新字新仮名) / 松永延造(著)
かれに(おくりもの)がひそめてある。
銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ひそかに製造せいざうされつゝあるのである。
灌木の茂みにひそむ細かい光線が
ひそかに咲くは夜顏よるがほ
花守 (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
(ひとは御主君の軍略の才のみ知って、経済的な御頭脳は余り認めないが……経済といわず、この君に対しては、ひそごとは少しもできない)
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は心中ひそかに、少し美し過ぎるように思って聴いていたが、その時に既に心中に疑惑が根ざしていた。しかし声はあなどるべからずいい声である。
仏法僧鳥 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
かの女を手荒そうに取り扱って、その些細ささいな近況からも、実人生の試験をするように細心な見張りを隠しながら、ひそかに母の力を培わしている。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
岩佐又兵衞か、菱川師宣か、——それとも狩野某といふ御用繪師の、金の誘惑に打ち負けてのひそかなすさびか。
ひそかにその機会をうかがっている中に、一日たまたま郊野こうやにおいて、向うからただ一人歩み来る飛衛に出遇であった。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
そして、彼はひそかに喜平のその肉の仮面を肉づきのままに引きぐべく、つめを研ぎ澄ましているのだった。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
青木は何か初な恋人同士のひそやかな気分で、三四子と青年の踊り出して行くのを二度も三度も見送つた。
二つの失敗 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
それで、はらの子を、胡魔化しようもないので、若い二人はひそかに会って泣きながら相談した。いい智恵も見付からぬうちに、女の身体はだんだんと隠せない程、変ってくる。
夜泣き鉄骨 (新字新仮名) / 海野十三(著)
さうかと思ふと又心から人を見くびりせせら笑ひ影の影からあやかしたぶらかすやうな、一度聴いたら逃れる事も忘れる事も出来ない、何かの深い執念と怪しい魔力をひそめた声音こわねである。
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
信長に対する報告が早かったので、信雄が次男になったのである。信雄は凡庸の資であるが、信孝は、相当の人物である。長ずるに及んで、ひそかに不遇をかこって居たのも無理はない。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その私が、もう十六にも七にもなって、自分にもわからぬある不思議な力にひかれて、何ものかをあこがれもとめたことに、何か重大な罪悪でもひそんでいたと、父や叔父は言うのであるか。