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斷
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だん
外人がこれを
如何に
取扱はうとも、それは
外人の
勝手である。たゞ
吾人は
斷じて
外人の
取扱ひに
模倣し、
姓と
名とを
切り
離しこれを
逆列してはならぬ。
『
斷じて/\、たとへ
此唇が
裂かるゝとも。』と
私は
斷乎として
答へた。
大佐は
微笑を
帶びて
私の
顏を
眺めた。
一新の
始め、大久保公
遷都の
議を
獻じて曰ふ、官軍已に
勝つと雖、
東賊猶未だ
滅びず、宜しく
非常の
斷を以て非常の事を行ふべしと。先見の明
智と謂ふ可し。
ご
存じの
通り、
品行方正の
點は、
友だちが
受合ふが、
按摩に
至つては、
然も
斷じて
處女である。
錢湯でながしを
取つても、ばんとうに
肩を
觸らせた
事さへない。
然し
無論、
彼は
自身に
何の
罪もなきこと、
又將來に
於ても
殺人、
窃盜、
放火などの
犯罪は
斷じて
爲ぬとは
知つてゐるが、
又獨つく/″\と
恁うも
思ふたのであつた。
仁は以て下に
厚く
儉は以て
用るに
足和に
而弛めず
寛に
而能斷ずと
然ば徳川八代將軍吉宗公の御
治世享保年中大岡越前守
忠相殿勤役中
數多の
裁許之ありし
中畔倉重四郎が
事蹟を
三
箇の
發掘を
開始されたが、
間の
惡い
時には
何處までも
惡いもので、
東面の
地主と
西面の
地主とは、
感情の
衝突か
何か
有つて、
西面の
方へ無
斷で
手を
附けるとは
怪しからんとか
何とか
如何となれば、
乘客等は
爾く
身を
殺して
仁を
爲さむとせし、
此大聖人の
徳の
宏大なる、
天は
其の
報酬として
渠に
水難を
與ふべき
理由のあらざるを
斷じ、
恁る
聖僧と
與にある
者は、
此結縁に
因りて
仁は以て
下に
厚く
儉は以て
用るに
足和にして
弛めず
寛にして
能斷ずと
眞なる
哉徳川八代將軍吉宗公の御代名譽の
官吏多しと雖も
就中大岡越前守
忠相殿は享保二年より元文元年まで二十年の
間市尹勤役中裁許の件々其明斷を
然うだ、うちたての
蕎麥は、
蕎麥の
下品では
斷じてない。