微笑ほほえみ)” の例文
殿下は知事の御案内で御仮屋へ召させられ、大佐の物申上ものもうしあぐる度に微笑ほほえみもらさせられるのでした。群集の視線はいずれも殿下にあつまる。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ボートルレは絶えず美しい無邪気な微笑ほほえみを浮べ、親しげな、それでいて丁寧な態度をとっている。少しもその態度には偽りがない。
「さよう」とそれを聞くと山県紋也は、一瞬の間微笑ほほえみをほころばしたが、その微笑を引っ込ませると、逆に真面目な顔つきをした。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
微笑ほほえみを残して眠りをさまさないようにと跫音を忍ばせ、もとの座へ帰ろうとすると、枕の下に、ちらと光る物が女の眼にはいった。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
その時微白ほのじろい女の顔がさっと赤く染まって、寂しい微笑ほほえみの顔が華やかな笑顔になった。それからは岡田は極まって窓の女に礼をして通る。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
かくと殿軍しんがりの物見から聞くと、孔明は初めて、うすい微笑ほほえみおもてに持った。生唾なまつばを呑むように、待ちに待っていたものなのである。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
主人あるじは火鉢に寄っかかったままで問うた。客は肩をそびやかしてちょっと顔をしがめたが、たちまち口のほとり微笑ほほえみをもらして
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
そして、そのわずかばかり口元を歪めて笑った顔は、あの最初の邂逅かいこうの夜に、私を慄然ぞっとさせたのと同じ、鬼気を含んだ微笑ほほえみであった——。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
しかし、法水はかえって検事の言に微笑ほほえみを洩らして、それから拱廊を出て死体のあるへやに戻ると、そこには驚くべき報告が待ち構えていた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
セエラは夢の中の人のように、幸福そうな微笑ほほえみをたたえながら、石鹸皿を雪花石膏アラバスタア水盤すいばんに見たてて、薔薇の花を盛りました。
目許めもと微笑ほほえみちょうと、手にした猪口を落すように置くと、手巾ハンケチではっと口を押えて、自分でも可笑おかしかったか、くすくす笑う。
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
微笑ほほえみ光輝かがやきとに満ちていた。春風はゆたかに彼女かのおんなまゆを吹いた。代助は三千代が己を挙げて自分に信頼している事を知った。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私のヴァイオリンへ伴奏の様に入り硝子ガラス窓を通して落ちた月の光りが、末期まつごの人の安らかな微笑ほほえみを青白く照して居りました
天才兄妹 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
女は優しく男の髪をでて遣って、顔には忍耐に慣れた、疲れた微笑ほほえみを続けて、口を側に寄せて、親切にささやいた。「わたくし行かなくってよ。」
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
清三もその後に従った、そして康子のために台石のほこり手帛ハンカチで払ってやった、康子は微笑ほほえみながら清三の手を見ていたが、素直にその上へ腰を休めた。
須磨寺附近 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
微笑ほほえみを見せて行くあたりには恋人たちの車があったことと思われる。左大臣家の車は一目で知れて、ここは源氏もきわめてまじめな顔をして通ったのである。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
するとその紫ばんだ、妙にしまりのないくちびるには、何か微笑ほほえみに近い物が、ほんのり残っているのでございます。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
久しく会わなかった発戸ほっとの小学校の女教員に例の庚申塚こうしんづかかどでまた二三度邂逅かいこうした。白地の単衣ひとえものに白のリボン、涼しそうななりをして、微笑ほほえみを傾けて通って行った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
一文字に結ばれた唇が見る見るゆるんで、私をあわれむような微笑ほほえみにかわって行くのを見た……と思うと、無雑作に投げ出すような言葉が葉巻の煙と一緒に飛び出した。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
姉妹は思わず目を見合せて、ようやく明るい微笑ほほえみを交しながら、なおも息をつまらせて耳をそばだてていた。しかし、隣家からは、相不変あいかわらず、なんの返事も無いらしかった。
姨捨 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
「潮の満干みちひを司るのはあの月だとすれば……」——毎日こういう。さておもむろに空を見上げて、まだ出ない月を探す。そして、そのへんと思うあたり、微笑ほほえみを月におくる。
「上衣をお取りになったらどうですか。大丈夫ですよ」彼は意味ありげに微笑ほほえみながら云った。
急行十三時間 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
彼女は、その思いつきに真赤になりながら、あるかなきかの小声で、我れと我が名を呼びかけつつ、じっと乳房を抱きしめて、鏡の影に甘えるような微笑ほほえみを送って見たりもした。
妖虫 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
私の気紛れ、芝居気、皮肉、洒落しゃれが強いて作った快活さが、エロティッシュの気味の悪い微笑ほほえみや悩める本能の醸した暗く寂しい憂鬱と混って、非常に複雑な醜悪をそこに合成した。
語られざる哲学 (新字新仮名) / 三木清(著)
微笑ほほえみ。)実際駄目なのだ。それともおれの顔はやっぱり作業熱のある顔に見えるかい。
あらしの過ぎ去った後の平和を思わせるような、寂しいけれども静かな美しい微笑ほほえみだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
セントヨハネ教会の沢木教父は、慈しみ深い微笑ほほえみで先ずお松親子を安心させた。人手がないから何時迄もいてくれるように、と彼の方から嘆願した。お松ははらの底から涙をこみ上げさせた。
反逆 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
阿弗利加アフリカ黒奴こくどけものの如く口を開いて哄笑こうしょうする事を知っているが、声もなく言葉にも出さぬ美しい微笑ほほえみによって、いうにいわれぬ複雑な内心の感情を表白するじゅつを知らないそうである。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
花園はなぞの牡丹ぼたん広々とうるわしき眺望ながめも、細口の花瓶にただ二三輪の菊古流しおらしく彼がいけたるをめ、ほめられて二人ふたり微笑ほほえみ四畳半にこもりし時程は、今つくねんと影法師相手にひとり見る事の面白からず
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その様子を心なしか、勝田さんは淋しい微笑ほほえみで眺めながら、何も答えませんでした。人を送るというものは、殊にそれが船の場合だといつまでもその人の姿が目の底に残っていて淋しいものです。
消えた霊媒女 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
馬琴は、それでも初めて、固い顔に微笑ほほえみを見せた。
曲亭馬琴 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
意味いみありげな微笑ほほえみもらしたことでございました。
深い微笑ほほえみをいつものように漏らしながら……。
或る少女の死まで (新字新仮名) / 室生犀星(著)
ト、涙ながらに掻口説かきくどけば、文角は微笑ほほえみ
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
みよ! 微笑ほほえみが いかつてゐるではないか
秋の瞳 (新字旧仮名) / 八木重吉(著)
娘は光沢つやのいい顔に微笑ほほえみを見せた。
娘の生霊 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
松島氏の唇には微笑ほほえみが浮んだ。
外務大臣の死 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
神は微笑ほほえみなさるかも知れません
微笑ほほえみの刹那暗さが消えてゐる
鶴彬全川柳 (新字旧仮名) / 鶴彬(著)
何かの深い微笑ほほえみのように咲くあの椿の花の中には霜の来る前に早や開落したのさえある。『冬』は私に八つ手の木を指して見せた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そして、ホウホケキョと鳴くうぐいすの声と、それよりもっと朗かで優しい少女の微笑ほほえみとに送られて、平馬は往来へ出た。
平馬と鶯 (新字新仮名) / 林不忘(著)
こう云って松虫は微笑したが、その微笑ほほえみは寂しそうであった。荒野に生い立ったこの娘は誰をでも懐しく思うのであろう。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
セエラの微笑ほほえみは、男を喜ばしたに違いありません。彼は夕闇ゆうやみのような顔をぱっと輝かして、白い歯並を見せて笑いました。
ところが、そのとき滝人の頭の中に、ふと一つの観念が閃くと、知らず知らず残忍な微笑ほほえみが、口の端を揺るがしはじめた。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
さっき「何をあやまるのだい」と云って笑った時から、ほんのりと赤くにおった頬のあたりをまだ微笑ほほえみの影が去らずにいる。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
溝端みぞばた片陰かたかげに、封袋ふうたいを切って晃乎きらりとする、薬のすずひねくって、伏目に辰吉のたたずんだ容子ようすは、片頬かたほ微笑ほほえみさえ見える。
浮舟 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
当分のあいだは、マリイと町を散歩していて、余所よその男の目が、マリイに注がれているのに気が付くと、あざけるような微笑ほほえみがフェリックスの唇の上に漂った。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
そのため、夢に大日様のお微笑ほほえみも見ず、尋ねる姉の面影もあらわれず——朝もぱちりとはやく眼がさめてしまった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何かを! 見よ、彼の眉がきりきりと痙攣ひきつった。そして固く引結んだ唇に活々いきいきとした微笑ほほえみきざまれて来た。
流血船西へ行く (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「紀州連れてこのたびの芝居見る心はなきか」かくいいし若者は源叔父あざけらんとにはあらで、島の娘の笑い顔見たきなり。姉妹はらからは源叔父に気兼きがねして微笑ほほえみしのみ。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)