待乳山まつちやま)” の例文
何故かというと、この渡場は今戸橋の下を流れる山谷堀さんやぼりの川口に近く、岸にあがるとすぐ目の前に待乳山まつちやまの堂宇と樹木がそびえていた故である。
水のながれ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
なんてェのは、望むほうが無理で、色よい返事を待乳山まつちやま——どころじゃアない。そのまつち山から、まず夜が明けそうです。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
三囲みめぐりから、竹屋の渡しを渡って、待乳山まつちやま馬道うまみち、富士神社と来ると、鉛色の空に、十二階のシルエットが浮いている。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
待乳山まつちやま。……またの名を聖天山しょうでんやまの高みから、今戸橋、及び、川をへだてた向島をながめみわたした景色であります。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
なぜ待乳山まつちやまの下まで踏み込んだのか、その仔細は判らなかったが、才兵衛に似たような人物が一人の男と何か云い争いながら通るのを見た者があると云うので
半七捕物帳:61 吉良の脇指 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
待乳山まつちやまの若葉は何うかすると眼映しいやうにきらめいて、其の鮮麗せんれい淺緑あさみどりの影が薄ツすりと此の室まで流れ込む。不圖カン/\鰐口わにぐちの鳴る音が耳に入る。古風な響だ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
その代り桜林で遊ぶときには、わが縄張りとばかり、こちらの威勢を示した。通う学校なども、むこうは土手向うの待乳山まつちやま、こちらは千束というように別れていた。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
が、気がつくと、はじかれるように方向を転じて、わざと向島の土手へ出た。それから渡船とせんを待ち合せて、待乳山まつちやまの下へ渡った時は、もう日もとっぷりと暮れていた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
みち太郎稻荷たらういなりあり、奉納ほうなふ手拭てぬぐひだうおほふ、ちさ鳥居とりゐ夥多おびたゞし。此處こゝ彼處かしこ露地ろぢあたりに手習草紙てならひざうししたるがいたところゆ、いともしをらし。それより待乳山まつちやま聖天しやうでんまうづ。
弥次行 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
待乳山まつちやま下から向島への竹屋の渡し、橋場、寺島村間の白髭の渡し、橋場、隅田村間の水神の渡し、南千住から綾瀬への汐入りの渡しなぞで、その最も古い歴史を有すのは竹屋の渡しだ。
残されたる江戸 (新字新仮名) / 柴田流星(著)
ここに毗奈耶迦天をまつれるは地の名にちなみてしたるにやあらんなど思いつづくるにつけて、竹屋の渡しより待乳山まつちやまあたりのありさま眼に浮び、同じ川のほとりなり、同じ神のほこらなれど
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
花川戸から、ずっと、もう一つ河岸の横町が聖天町しょうでんちょう、それを抜けると待乳山まつちやまです。
待乳山まつちやまが近い二階の北窓に、文人ごのみの机をすえて、よく鼻毛など抜いていたが、この頃、毎日のように、ぴイぴイ泣く、近所の子供の声が、神経にさわってならないので、女房が上ってきた所を
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
待乳山まつちやまとやらの下に、しずかそうなうちがありましたが——」
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
待乳山まつちやまですの。」
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
待乳山まつちやま
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
正面に待乳山まつちやまを見渡す隅田川すみだがわには夕風をはらんだ帆かけ船がしきりに動いて行く。水のおもて黄昏たそがれるにつれてかもめの羽の色が際立きわだって白く見える。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
筆とりて、心のたけを杜若かきつばた、色よい返事を待乳山まつちやま、あやめも知れめ水茎みずぐきの、あとに残せしむらさき。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
時々豆腐屋とうふやすゞの音、汽笛きてきの音、人の聲などがハツキリと聞える。また待乳山まつちやまで鰐口が鳴ツた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
まゆしろ船頭せんどうぐにまかせ、蒔繪まきゑ調度てうどに、待乳山まつちやまかげめて、三日月みかづきせたる風情ふぜい敷波しきなみはないろたつみやこごとし。ひとさけくるへるをりから、ふとちすましたるつゞみゆる。
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
しづやの家は吉原土手の向うにあって、べつに縁つづきというわけではなかったが私の家とは同姓で、またしづやの弟は私の兄と同年おないどしで、同じく土手向うの待乳山まつちやま小学校に通学していた。
生い立ちの記 (新字新仮名) / 小山清(著)
読者よ、わずかな間でいい、わたしと一緒に待乳山まつちやまへ上っていただきたい。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
かれらは元日の黎明に若水汲んで含嗽うがいし、衣を改めて芝浦、愛宕山、九段、上野、待乳山まつちやまなどに初日の出を拝し、帰来屠蘇雑煮餅を祝うて、更に恵方詣をなす、亀戸天神、深川八幡、日枝神社
残されたる江戸 (新字新仮名) / 柴田流星(著)
正面しやうめん待乳山まつちやま見渡みわた隅田川すみだがはには夕風ゆふかぜはらんだかけ船がしきりに動いてく。水のおもて黄昏たそがれるにつれてかもめの羽の色が際立きはだつて白く見える。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
待乳山まつちやまから、河向うの隅田の木立ちへかけて、米のぎ汁のような夕靄ゆうもやが流れている。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
読者よ、わずかな間でいい、わたしと一緒に待乳山まつちやまへ上っていただきたい。
雷門以北 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
第二図三囲みめぐりの堤を見れば時雨しぐれを催す空合そらあいに行く人の影まれに、待乳山まつちやま(下巻第三図)には寺男一人落葉おちばを掃く処、鳥居際とりいぎわなる一樹の紅葉こうように風雅の客二人ににん
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
種員はつい去年の今頃までは待乳山まつちやまの茂りを向うに見て、崩れかかった土塀の中には昼間でもきつねが鳴いているといわれた小出伊勢守様こいでいせのかみさま御下屋敷おしもやしき
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
学校の帰り道には毎日のように待乳山まつちやま境内けいだいで待合せて、人の知らない山谷さんやの裏町から吉原田圃よしわらたんぼを歩いた……。ああ、お糸は何故なぜ芸者なんぞになるんだろう。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
学校の帰り道には毎日のやうに待乳山まつちやま境内けいだい待合まちあはせて、人の知らない山谷さんや裏町うらまちから吉原田圃よしはらたんぼを歩いた………。あゝ、おいと何故なぜ芸者なんぞになるんだらう。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
また少しく小高こだかい処は直ちに峨々がゝたる山岳の如く、愛宕山あたごやま道灌山どうかんやま待乳山まつちやまなぞと呼ばれてゐる。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
また少しく小高こだかい処は直ちに峨々ががたる山岳の如く、愛宕山あたごやま道灌山どうかんやま待乳山まつちやまなぞと呼ばれている。
三囲みめぐり橋場はしば今戸いまど真崎まっさき山谷堀さんやぼり待乳山まつちやま等の如き名所の風景に対しては、いかなる平凡の画家といへども容易に絶好の山水画を作ることを得べし。いはんや広重においてをや。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ああそれが今の身になっては、朝早く今戸いまどの橋の白い霜を踏むのがいかにもつらくまた昼過ぎにはいつも木枯こがらしの騒ぐ待乳山まつちやまの老樹に、早くも傾く夕日の色がいかにも悲しく見えてならない。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
あゝれが今の身になつては、朝早く今戸いまどの橋の白いしもを踏むのがいかにもつらくまた昼過ぎにはいつも木枯こがらしさわ待乳山まつちやま老樹らうじゆに、早くも傾く夕日ゆふひの色がいかにも悲しく見えてならない。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
側は漂渺ひょうびょうたる隅田の川水青うして白帆に風をはらみ波に眠れる都鳥の艪楫ろしゅうに夢を破られて飛び立つ羽音はおとも物たるげなり。待乳山まつちやまの森浅草寺せんそうじの塔の影いづれか春の景色ならざる。実に帝都第一の眺めなり。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)