彼地かのち)” の例文
この人は彼地かのち有名の銀行家ビショップ氏の推薦により、特に布哇はわい出身の美術家を養成する目的で、この巴里ぱりの美術学校へ送られたのである。
感応 (新字新仮名) / 岩村透(著)
ペータアは十一月以来上部バイエルンにクラスの方々と参っておりますが、彼地かのちが大そう気に入っているようでございます。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「夢もなお及ばない遠い未来のかなた、彫刻家たちのかつて夢みたよりも更に熱い南のかなた、神々が踊りながら一切の衣裳を恥ずる彼地かのちへ{1}」
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
京都の方にある景蔵からは、容易ならぬ彼地かのちの形勢を半蔵のところへ報じて来た。伏見寺田屋の変をも知らせて来た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この怪物の方でも、当時の見物の中に、あの時お微行しのびで通った彼地かのちのお歴々としてのこのお客様の姿形を、頭に残していようはずはないにきまっている。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そののちおとこはすっかりこころれかえ、村人むらびとからもうらやまるるほど夫婦仲ふうふなかくなりました。現在げんざいでもその子孫しそんはたしか彼地かのちさかえてはずでございます……。
そこで序をかくときに不図ふと思い出した事がある。余が倫敦ロンドンに居るとき、忘友子規の病を慰める為め、当時彼地かのちの模様をかいて遙々はるばると二三回長い消息をした。
先頃さきごろ大阪おほさかよりかへりしひとはなしに、彼地かのちにては人力車じんりきしやさかんおこなはれ、西京さいきやう近頃ちかごろまでこれなきところ追々おひ/\さかんにて、四百六輌しひやくろくりやう伏見ふしみには五十一輌ごじふいちりやうなりとふ。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
私はあなたのお手紙ではじめてK君の彼地かのちでの溺死を知ったのです。私はたいそうおどろきました。と同時に「K君はとうとう月世界へ行った」と思ったのです。
Kの昇天:或はKの溺死 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
すなわち百露ペルー古王のせんもまたママ陽より来るというがごときこれなり。これ必ずわが上世の皇子流竄るざんせらるる者、彼地かのちに漂着して、ついにここに王たりしなるべし。
教門論疑問 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
『承知いたしました。場合に依っては、このまま、おいとまも告げずに、彼地かのちへ発足いたすかも知れませぬ』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかながら現今でも欧洲の多くの婦人は「お守りアミユレツト」を懸けて居り、これはよく彼地かのちの小説の中に出て来るから「お守り」の由来を知つて置くのもあながち無益でないと思ふ。
毒と迷信 (新字旧仮名) / 小酒井不木(著)
航海中より彼地かのちいたりて滞在たいざい僅々きんきん数箇月なるも、所見しょけん所聞しょぶん一としてあらたならざるはなし。
その後軽井沢に避暑している友人の手紙の中に、彼地かのちでランプを売っている店を見たと云ってわざわざ知らせてくれた。また郷里へ注文して取寄せてやろうかと云ってくれる人もあった。
石油ランプ (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
お登和嬢の身が片付いていれば僕も安心して海外に往っていられる、場合によれば五年でも十年でも長くいられるだけ彼地かのちにいたいと大原君は海外で独身生活をしようという位の意気組いきぐみだ。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
知礼は問書を得て一閲して嘆賞し、東方にかくの如き深解じんげの人あるか、と感じた。そこで答釈を作ることになった。これより先に永観元年、東大寺の僧奝然ちょうねん入宋にっそう渡天のがんを立てて彼地かのちへ到った。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
文子は綱宗が高尾を身受して舟に載せて出て、三股みつまたで斬つたと云ふ俗説を反駁はんぱくするつもりで、高尾が仙台へ連れて行かれて、子孫を彼地かのちに残したと書いたのだが、それは誤を以て誤に代へたのである。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
当時、私はタージ・マハール・ホテルに止宿する商用の旅を彼地かのちにつづけていたのであったが、M物産の主任S氏の紹介で宿を赤丸平家の倶楽部に移すと同時に彼地の日本人に紹介されるのであった。
孟買挿話 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
「——この枕だ。これは拙者の先々代が、長崎奉行に従って彼地かのちにあった時、異人を助けてその謝礼に貰った物だというが、異妖の枕として、子孫の使用を禁じ、今日拙者の手にまで伝わったものだ」
かたらひて將軍の落胤おとしだねなりと名乘なのり出候に相違有間敷候此度見知人も是有彼地かのちより兩人同道にて連參つれまゐり候なりと委敷くはしく申述けるに伊豆守殿かくと聞て仰天ぎやうてんし暫々言葉ことばも無りしがやゝ有ておほせけるは越前はよくも心付たり定めて御褒美ごはうびとして五萬石は御加増ごかぞう有べし夫に引替ひきかへ此伊豆守は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そうしてこれは希臘ギリシャの詩だと答えられた。英国の表現エキスプレッションに、珍紛漢ちんぷんかんの事を、それは希臘語さというのがある。希臘語は彼地かのちでもそれ位ずかしい物にしてあるのだろう。
かくはまは、名古屋通なごやつうむねをそらした杉野氏すぎのし可笑をかしがつて、當時たうじ先生せんせい御支配人ごしはいにんたはむれにあざけつた渾名あだなである。御存ごぞんじのとほり(さま)を彼地かのちでは(はま)といふ。……
火の用心の事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
あの灰色に深い静寂なシャヴァンヌの『冬』の色調こそ彼地かのちの自然にはふさわしいものであった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
先生はごうも平日とことなることなく、予が飲食いんしょく起臥きがの末に至るまで、力をつくしこれをたすけ、また彼地かのち上陸じょうりくしたる後も、通弁つうべんその他、先生に依頼いらいして便宜べんぎを得たることすこぶる多ければなり。
何とか云う名の洋紅色大輪のカンナも美しいが、しかし札幌円山公園の奥の草花園で見た鎗鶏頭やりげいとうの鮮紅色には及ばない。彼地かのちの花の色は降霜に近づくほど次第に冴えて美しくなるそうである。
札幌まで (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それは彼地かのちにてほいとというて人交りのならぬ身分の者、一夜泊りの旅人さえも容易に相手に致さぬ者を、知らぬ土地とはいえ、この甲府へ来て、あの出世、うじのうして玉の輿こしとはよく言うたもの。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
よく/\これさつすべきことなりしゆんも人なりわれも人なり智に臥龍ぐわりよう(孔明の事なり)ゆう關羽くわんうの如きもの當世たうせいの人になからんやこゝに有章院殿の御代大岡おほをか越前守伊勢山田奉行ぶぎやうとなりてかしこに至り諸人しよにん公事くじ彼地かのちにて多く裁許さいきよあり先年より勢州路せいしうぢ紀州領きしうりやう境論さかひろん公事くじありてやむ事なし山田奉行かはりのたび事にねがひ出るといへども今もつて落着らくちやくせず是は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)