呼吸いき)” の例文
「義さん」と呼吸いきせわしく、お香は一声呼びけて、巡査の胸にひたいうずめわれをも人をも忘れしごとく、ひしとばかりにすがり着きぬ。
夜行巡査 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
遠慮のないところを告白すると翁は総義歯そういればをしていたのであるが、その呼吸いきが堪らなく臭い事を発見したので最初からウンザリした。
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
と云うのはうっかり声を出して、そのため呼吸いきでも乱れたら、そのまま倒れてしまうだろうと——こういう不安があったからである。
南蛮秘話森右近丸 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
駕かきも、駕に添って駈けて来る連中も、綿のように疲れきっていて、口から心臓を吐き出してしまいそうな呼吸いきづかいなのである。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「斯んな風に打たなければならないんだが、容易たやすいやうでこれで容易に呼吸いきが合ふやうに二つ続け打ちに鳴すのは六ヶ敷しいよ。」
舞踏会余話 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
容態のおもわしくない妻は、もう長い間の病床生活のならわしから、澄みきった世界のなかに呼吸いきづくことも身につけているようだった。
美しき死の岸に (新字新仮名) / 原民喜(著)
与之助は暗い坂路を呼吸いきもつかずに駈けあがって行った。坂の勾配こうばいはなかなか急で、逃げる者も追うものもひたるような汗になった。
半七捕物帳:22 筆屋の娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
かすかにおとよさんの呼吸いきの聞き取れた時、省作はなんだかにわかに腹のどこかへ焼金を刺されたようにじりじりっと胸に響いた。
隣の嫁 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
親分は廊下に立って待っているんだが、出発に際しての彼の心配は全然杞憂きゆうに帰して、隊員は、しわぶきどころか呼吸いきを凝らしている。
だから、やがてどうやら落が付き、今晩これぎりと打ちだしたとき、うそもかくしもなくホッと圓朝は呼吸いきをついたくらいだった。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
お松の手で咽喉をしめしてもらったお君は、再び言葉をつぐ元気がないと見えて、目をつぶったままで微かに呼吸いきを引いています。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
船室には、呼吸いきの根のとまるような沈黙がおちた。衝撃を受けた一刹那の姿勢で、そのままの表情をして、彼らは硬くなっていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
用人は旅僧に傍へ寄られると臭いような気がするので、呼吸いきをしないようにして黙って煙管の雁首を出すと旅憎は舌を鳴らして吸いつけ
貧乏神物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
しかし後日になってその不思議が解ける日がやってきたとき、八十助は呼吸いきの止まるような驚愕を経験しなければならなかったのである。
火葬国風景 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼女は覚束ない歩調あしどりで歩いて行ったが、呼吸いき切れがするのと、頭がふらふらするので、時々じっと立ち止まらねばならなかった。
碧眼 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
水が脈を立てゝ心持よく流れてゐるあたりまでかの女はその足をめなかつた。種子はそこに行つて始めてほつと呼吸いきをついた。
草みち (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
基経は何時かは茅原かやはら猟夫さつお太刀たちを合わすようなことになりはしないかと、二人がねらい合っている呼吸いきづかいを感じずにいられなかった。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
そこで、鼻のあながつまっていないかどうか、そっと鼻から息を出してみる。それから、あんまり大きく呼吸いきをしない練習をする。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
警部は呼吸いきをはずませて「では発狂者を我々は追跡してるんかな」と言った。給仕はこの馬鹿げた話を更に大袈裟に話し出した。
耳から頬へかけて一筋かすられる。こうなればもう二人とも本当の刀は使えない。無茶苦茶に呼吸いきがつづけば斬合うだけである。
鍵屋の辻 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
そンなとき鷲尾は思わず呼吸いきをつめていた。威迫されるような光景に、れ知らず懐中の赤ン坊を抱きしめているのである。——
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
病室の番号が次ぎ次ぎに彼の視線にうつり、教えられた七号室がもうそこだとわかると、彼は、急に呼吸いきをのんで立ちすくんだ。
光は影を (新字新仮名) / 岸田国士(著)
エデンの園の花のなかには、わたくしの呼吸いきに毒を沁みさせるような花はないでしょう。では、さようなら、ジョヴァンニ……。
先生はこの日あたりのへやの中へ大きな火鉢を置いて、五徳ごとくの上に懸けた金盥かなだらいから立ちあが湯気ゆげで、呼吸いきの苦しくなるのを防いでいた。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
仮初かりそめにも人にきずを付ける了簡りょうけんはないから、ただ一生懸命にけて、堂島五丁目の奥平おくだいらの倉屋敷に飛込とびこんでホット呼吸いきをした事がある。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
安場は七輪しちりんのような顔をぐっと屹立きつりつさせると同時に鼻穴をぱっと大きくする、とすぐいのししのようにあらい呼吸いきをぷうとふく。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
呼吸いきを凝らしている文次の耳へ、陰深たる寂寞せきばくを破って、かすかに聞こえてくるのは、かの猫侍は内藤伊織のじゃらじゃら声ではないか。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
三番も続いて負けると熱火の如くせき込んで、モー一番、モー一番と、呼吸いきもつかずに考へもしない碁を夜通しにパチパチと打つて居る。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
萬歳ばんざい難有ありがたいが、おにともまんず荒男あらくれをとこが、前後左右ぜんごさゆうからヤンヤヤンヤと揉上もみあげるので、そのくるしさ、わたくし呼吸いきまるかとおもつた。
そのうちに天気が好くなると今度は強い南のから風が吹いて、呼吸いきもつまりそうな黄塵こうじんの中を泳ぐようにして駆けまわらねばならなかった。
電車と風呂 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そよとの風もなく——何物も動かず、木の葉一枚も揺えず、眼に見える犬の呼吸いきが緩やかにたちのぼつて、霜を含んだ空気の中に低迷した。
その前をちょっと素通りしただけでも、冬なんぞの閑寂かんじゃくさとは打って変って、何か呼吸いきづまりそうなまでに緊張した思いのされる程だった。
木の十字架 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
老人は呼吸いきを止めた。かれはすっかり知った。人々はかれが党類を作って、組んで手帳をかえしたものとかれをなじるのであった。
糸くず (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
兎に角も中へ入った所の社員達は三度吃驚びっくりした。と云うのは、そこには呼吸いきも絶え/″\になった岩見が倒れて居たのである。
琥珀のパイプ (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
雪田は決して急ではないが非常に呼吸いきぐるしい、そして手足は凍るように冷たいが、胸からは汗が流れてどうも気持ちが悪い。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
あらあらしく熱い呼吸いきと囁きを聞いて、幹太郎は強引に起き直った。お豊は彼にとびつき、両手でつかみかかって、彼を押し倒そうとした。
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
はだけた患者の大きい下腹が、呼吸いきをするたびにひこひこして、疲れた内臓の喘ぐ音が、静かな病室の空気に聞えるのであった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
……あなたつたら、咳をするな、……こらへろ、……気を鎮めて、……戦争だぞ……咳をするな……呼吸いきをするな……。あなた、憶えてゐて?
浮標 (新字旧仮名) / 三好十郎(著)
しかしてたとへば呼吸いきもくるしくわたより岸に出でたる人の、身を危うせる水にむかひ、目をこれにとむるごとく 二二—二四
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
男はぷんとふくれて、切ない言葉を女の白い顔にふきかけると女はいかにも火のやうな呼吸いきをかけられたかのやうに、ちよつと顔をそむけた。
味瓜畑 (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
確かに呼吸いきをしている。窮屈に曲げた腹部が、静かに波打っているではないか。パチパチと、瞬きさえしているではないか。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
歎息の呼吸いき涙の水、動悸どうきの血の音悲鳴の声、それらをすべて人間より取れ、残忍のほか快楽けらくなし、酷烈ならずば汝らく死ね、暴れよ進めよ
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
互いに竜虎の争いと云おうか、呼吸いきの止るようにうーんと睨合にらみあいました時は側に居るお梅はわな/\ふるえて少しも口を利くことも出来ません。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
小柄こがらぢいさんは突然いきなりたゝみくちをつけてすう/\と呼吸いきもつかずにさけすゝつてそれからつよせきをして、ざら/\につたくちほこり手拭てぬぐひでこすつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「まあ驚きましたね!」と、かの紳士は呼吸いきが絶えでもしたように叫んだ。「スクルージさん、そりゃ貴方本気ですか。」
ほつと呼吸いきをつく間もない位に、殆んど苦労のし通しでした。それを残らず傍にゐて見知つてゐるだけに、皆私には忘れられないことばかりです。
忘れ難きことども (新字旧仮名) / 松井須磨子(著)
日が暮れるに随って、梢はぴったりと寄り添って、呼吸いきを殺して川のおもてを見詰める、川水はときどきむせぶように、ごぼごぼときこんで来る。
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
「ぐず/\いうこたァねえ。——日暮里を来すぎたら、こゝまで来たんだ、もう呼吸いきして田端へ出りゃァいゝ。」
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
知らず知らず呼吸いきの触れ合ふ程顔を近づけてしまつたが、する中映画が変つたと見えて、場内が明くなり、彼方此方あちこちの椅子から立つ人が出来たので
男ごゝろ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
薬物の学に精通してゐるセムボビチスは、王がまだ呼吸いきのある事がわかつた。そこでメンケラが王の唇から泡を拭つてゐる間に仮に傷口を繃帯した。
バルタザアル (新字旧仮名) / アナトール・フランス(著)