こう)” の例文
こう武蔵守むさしのかみ師直もろなおといういやなじじいが、卜部うらべの兼好という生ぐさ坊主に艶書の注文をしたなどというはなしを生ずるに至っているのである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
などの当主から、斯波しばこう、石堂、畠山、高力こうりき、関口、木田、入野、西条など十数家の同族におよび、やがて宴となり、宴も終ると
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、それがもう少しこうじると、ほとんど妖怪談ようかいだんに近い妙なものとなって、だらしのない彼の口髭くちひげの下から最も慇懃いんぎんに発表される。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「一こうは十人に一人ぐらいですよ。僕は学科に得手不得手えてふえてがあります。得手の学科でも時によって大変出来不出来があるんです」
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
こうはいつものように庭掃除に忙しく、祖母は台所で朝御飯の仕度したくをし、叔母は私の役目である部屋の掃除に障子や置物をバタバタとはたいていた。
お松さんは勿論、この収入の差にたいらかなるを得ない。その不平がこうじた所から、邪推もこの頃廻すようになっている。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
このこうの一隊だが、彼奴きゃつらは、道場と、林念寺前りんねんじまえの柳生の上屋敷の間に連絡をとって、血みどろになって探しておる
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
しかもその主人公はこうまいなる理想を持ち、その理想ゆえに艱難辛苦かんなんしんくをつぶさにめ、その恥じるところなき阿修羅あしゅらのすがたが、百千の読者の心に迫るのだ。
めくら草紙 (新字新仮名) / 太宰治(著)
かねて苦にしていた胸の病がこうじたか、それとも、戦乱の渦にのまれた犠牲の一人になつたか、そのいずれかと彼はひとりできめてしまい、また相逢う日があろうなど
光は影を (新字新仮名) / 岸田国士(著)
銅の輸入は七割増、鉄鉱石は十割増、銑鉄と屑鉄は二十五割増、こうオクタン価の航空用ガソリン生産のための「四エチール鉛」にいたっては、厖大な量を輸入しようという肚であった。
川波 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
我々が寝ている隙をうかがっては、夢の中へ色々な変装をしてのさばり出す。それがこうじては、ヒステリーになり気違いにもなる。うまく行って昇華作用を経れば、大芸術ともなり、大事業ともなる。
疑惑 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そしてようやく、復職のめどもつき、あとは殿帥府でんすいふ最高の大官、こう大将の一いんが書類にされれば……というところまでぎつけて
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、が出来る。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
たすきをかけて、汚れている縁側を、私は叮嚀ていねいに拭き始めた。祖母はそれを見るとすぐこうを呼んで私の拭いている先を拭かせた。私は茶碗を洗い始めた。
太祖の詔、可なることはすなわち可なり、人情には遠し、これより先に洪武十五年こう皇后の崩ずるや、しんしんえん王等皆国に在り、しかれども諸王はしりてけいに至り、礼をえて還れり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
父が彼の意見に渋々ながら従つてくれたことを、心の中で感謝しないではいられなかつたが、一面、近来ますます物質への執着がこうじている父の、往生際のわるさにも、やゝ肌寒い思いをさせられた。
光は影を (新字新仮名) / 岸田国士(著)
「こらっ、待て。まだ百は打ッていないぞ。なぜサバを読むか。さては、なんじら皆、追放人のこうから、賄賂わいろをもらっておるな」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうして自分のことを記していると、下男のこうのことをおもさずにはいられない。そしてすこしでも彼のことを書いてやらねば済まないような気にもなる。
一挙手も一投足もことごとく生中にあるが故に、いかに踊るも、いかに狂うも、いかにふざけるも、大丈夫生中を出ずる気遣きづかいなしと思う。贅沢はこうじて大胆となる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
みん建文けんぶん皇帝は実に太祖たいそこう皇帝にいで位にきたまえり。時に洪武こうぶ三十一年うるう五月なり。すなわちみことのりして明年を建文元年としたまいぬ。御代みよしろしめすことはまさしく五歳にわたりたもう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そこへ仁木義長とこう師直もろなおも、ふなべりを接している隣の船からはいって来て、同じような焦躁しょうそうをおもてに持ち、尊氏へむかって言った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
笑って済ませる時はそれで差支さしつかえないのですが、時によると、妻のかんこうじて来ます。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
たれぞと見るに神楽観しんがくかんの道士王昇おうしょうにして、帝を見て叩頭こうとうして万歳をとなえ、嗚呼ああきたらせたまえるよ、臣昨夜の夢にこう皇帝の命をこうむりて、ここにまいりたり、と申す。すなわち舟に乗じて太平門たいへいもんに至りたもう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「む。ご舎弟直義さまの名で、そして諸事の奉行には、こう師直もろなおがあたって、いろいろなお支度を、この地でととのえおけとの御内命だ」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
謎の女が苦しまぎれの屈託顔に六畳敷を出たのは、焦慮じれったいがこうじて、布団の上にたたまれないからである。出て見ると春の日は存外長閑のどかで、平気にびんなぶる温風はいやに人を馬鹿にする。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
へたるように、兵は河原で腰をおとした。休め、の令が出たからである。というのは、ここで直義を待ち迎えたこう師泰もろやすの部隊がある。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうノ師直、師泰の兄弟は、顔と顔をよせあった。よく似ているのでおかしいほどだ。ただ弟にはヒゲがなく、あくまですすどい人相だった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だから養子のこう御曹司が、よその娘、人の女房にもすぐ眼をつけての女狩りなどと、高家のお家芸よと、怪しみもしないわけかと思われる。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうとうといえば、ちょっとした名族である。祖は山階家やましなけから出ており、三河、武蔵、下野しもつけあたりに、子孫は分布されている。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「は。すでにこう師泰もろやす以下三千騎ほどを、とりあえず一陣として先に急がせ、吉良、細川、佐々木道誉らも、つづいて戦場へむかわせました」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
急遽、こう師直もろなおをして、全船列の水軍に、ともづなを解け! 帆支度にかかれ! と出港の令を出させようとしたのだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏は帰るとさっそく朝廷に奏請して、亀山殿のあとを一大寺とする手つづきをすませ、こう師直もろなおと細川和氏かずうじのふたりを
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう師泰もろやすが、急遽、加勢に向ったのはほんとだが、まだ、美濃平野の対峙だった、そこまでの狼狽などするはずがない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして武士では、正成、長年が“決断所付き”兼務を仰せつかり、また結城ゆうき親光や、塩冶えんや高貞、こう師直もろなお、佐々木道誉などの顔ぶれが加わっている。
「およそは、征伐が目的ではない。たださまたげを打ちくじぶんにて、たたかいの目標はるぞ。——あとはこう師直もろなおよりの執事の令に従って去就きょしゅういたせ」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一条今出川のこうノ師直の家は、いつのまにか、尊氏の高倉邸や、直義ただよしの三条邸に次いでの、大第館だいていかんとなっていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
副将のこうノ師泰も疲れきッた姿だった。すぐそれへ来たが、直義が黙然とただ戦線をにらんでいるので、彼も腕ぐみを共にしばらく側に突っ立っていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて粟津あわづの岸を占領してからは、官軍も腹背ふくはいの脅威にあきらかな苦悶をみせはじめ——またまもなく、正面のこう師泰もろやすも、瀬田の一角を突破していた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ために雲母坂きららざかでは、こう豊前守ぶぜんのかみ師久もろひさ)以下、一族、部将格二十何名かを、いちどにうしなうなどの大難戦もあった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、直義に劣らないはやり気の将校はほかにも多い。仁木義勝にっきよしかつ石堂綱丸いしどうつなまるなどは、とかく功名あせりをしそうである。斯波しば、畠山、こうなども目が放せない。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうノ豊前守(師久もろひさ)らしい。つづいて赤松円心や細川定禅らの家来もわらわらッと争ッて内へ飛び上がった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「申しおくれました。——足利ノ庄の国元にいて、久しく留守の家職(国家老)を勤めおりまするこう武蔵守むさしのかみ師直もろなおと申すもの。以後、お見知りおき下されましょう」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御車寄の階下には、その足利家のこう師直もろなお、また、近衛このえの武将新田義貞、名和長年など、天皇のお目からみると、どれもぎょにくい面だましいが、敷波しきなみに充満していた。
とうの高氏も、めったにちょうに出ることもないらしい。社交上のやむない向きへは、執事のこう師直もろなおをやり、公庁の時務には、もっぱら弟の直義ただよしが出むいて事にあたっている。
いずれにせよ、こう師直もろなおのごときは変っているとしても、人みな善人だったと思う。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
舎弟の直義も、一トすじの矢を壇にささげてはいをおこない、以下一族の吉良、石堂、一色、仁木、細川、今川、荒川、こう、上杉などみな順次に奉納矢を上げたので、祭壇は、矢の塚になった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう師直もろなおにたのまれて、人妻へ横恋慕の手紙の代筆をするぐらいにしか使われていないが、将来、この兼好法師なども、私本太平記の中では、もっと、あの時代をどう生きたかという観点から
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう師直もろなおに、いっぱい食ったあの帰途だった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)