飛沫ひまつ)” の例文
椰子林やしりんの中の足高の小屋も、樹を切り倒している馬来人マレイじんの一群も、総て緑の奔流に取り込められ、その飛沫ひまつのように風が皮膚に痛い。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
二、三歩、足がそろいだすや、腰をすえて肩の振りも一様に、雨後のぬかるみに飛沫ひまつをあげて、たちまち道のはずれに見えずなった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
肌を刺す、冷い風が、窓から吹きつけて来る。長い間、かうした冷い風の触感を知らなかつただけに、ゆき子は、季節の飛沫ひまつを感じた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
黒い海は、やがてその底の蒼緑色あおみどりいろと、表面の波立ちとをあきらかにし、げんに散る白い飛沫ひまつを縫い、ほのかに細いにじの脚が明滅した。
朝のヨット (新字新仮名) / 山川方夫(著)
彼らは、雨も雪も降らないのに、合羽かっぱを着ていた、それは寒さをも防ぐし、軽くもあるのだ。そして飛沫ひまつをもけることができるのだ。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
しかし、浮袋につかまって、巨浪に飜弄ほんろうされているのとちがって、飛沫ひまつを浴びることもなければ、手足を動かすこともいらない。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
黒い飛沫ひまつが窓ガラスの半分ぐらいをおおってしまったのである。斜めうしろの乗客たちも、異常に気付いて、ざわめき始めた。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
刹那せつな——お由利は、片手を柳の枝につかまって、岸の上に身を残していた。そして飛沫ひまつと一緒に、ばたばたと逃げ走った。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこでは、闇の外洋から吹き寄せる身を切るような風が、磯波いそなみ飛沫ひまつとガスをいやというほどわたし達に浴びせかけた。
灯台鬼 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
二人の乗った自動車がその側を徐行しながら通り過ぎようとした時、誰かの投げた雪球が丁度圭介の顔先の硝子にはげしくぶつかって飛沫ひまつを散らした。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
その時、北見小五郎は、くらめく様な五色の光の下で、ふと数人の裸女の顔に、或は肩に、紅色の飛沫ひまつを見たのです。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
浅瀬はしゃんしゃんと飛沫ひまつを切り、かくて河を三分の一あたりまで突破して来た時に、後ろから、かなりの狼狽ろうばい怒罵どばとを含んだ叫び声が起りました。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その時王めて、われ稀代の夢を見た、たとえば磨いたはがね作りの橋を渡り、飛沫ひまつ四散する急流を渡り、金宝で満ちた地下の宮殿に入ったと見て寤めたと。
およそ五十メートルほどの幅の滝が、直下三十メートルほどの所に深淵しんえんをたたえた滝壺たきつぼに、濛々もうもうと、霧のような飛沫ひまつをあげて、落下しているのだった。
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
「そうです。そうです」と彼はやや亢奮こうふんして白い壁紙を張りつめた上についている黒い飛沫ひまつを指さしながら、「あの壁にぶっかけたんですよ」と言った。
それも後で差込んだものでないことは、床から手燭の裾にかけて、かすかながら血の飛沫ひまつがあるので明瞭だった。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
大蛇と鰐との闘争も珍しい見ものであるが、なにぶんにも水の飛沫ひまつがはげしくて一度見せられたくらいでは詳細な闘争方法が識別できにくいのが残念である。
そのあたりが、きらきらと、まぶしく光った。それは、海水の飛沫ひまつが、日に照りはえたようでもあったが、それにしては、あまりに強い光のように思われた。
恐竜島 (新字新仮名) / 海野十三(著)
たてがみを風になびかしてれる野馬のように、波頭は波の穂になり、波の穂は飛沫ひまつになり、飛沫はしぶきになり、しぶきは霧になり、霧はまたまっ白い波になって
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その内心の戦いと、自分の有利には戦いを終え得ないという意識とが、彼を駆って暗黙な激昂げっこうに陥らしていた。そしてその飛沫ひまつをクリストフは受けたのだった。
四隻の細長い独木舟オックダアに分乗して、飛沫ひまつを散らして先後を争った凄まじさは、私としては見ていて壮快を感ずるよりも、かえって憐愍れんびんの情にたれたのであった。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
俊亮はめっちゃくちゃに跳上る飛沫ひまつを、顔一ぱいに浴びながら、そろそろと次郎の体を前進させてやった。次郎は一所懸命だった。そして非常に愉快でもあった。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
下半身からしずくの滝を流しながら、木の根につかまっていあがりだした。砂礫がざらざらとこぼれ落ちた。石はもんどりうって川にとびこみ、飛沫ひまつをあげた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
と、飛沫ひまつがパ——ッと立ち、日に射られて一刹那、そこへ鮮かに虹をかけたが、水をかけられた鶏娘は
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
奔流に現われる飛沫ひまつは一瞬も止る事がなく、現れるやすぐに消えてしまって又新しく現れるのである。
現代語訳 方丈記 (新字新仮名) / 鴨長明(著)
木の根岩角に手をかけ、足を踏みしめて、ようよう飛沫ひまつ雨のごとき中に下り立ちて、巨巌の上へ登り、海内かいだい無双の大瀑布、華厳の雄姿を眺めた時には思わず快哉三呼かいさいさんこ
何杯も何杯も、頭から水をかぶって、遠慮なく飛沫ひまつを周囲へ飛ばせ、謡曲らしきものをうなりながら自由体操を行うところのあぶらぎった男などは、朝風呂に多いのである。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
太陽が傾いたので飛沫ひまつのうちに虹がしばらく立つたりする。イーサル川が二わかれして、その中に此処ここの木立がある。木立の中には今は誰もゐず、ある数学者の銅像が一つある。
イーサル川 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
沖のほうでは、クロールが白い飛沫ひまつをあげる。濡れたひじに陽の光りが反射してキラキラ光る。
キャラコさん:07 海の刷画 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
その天使の額にも、地獄の光が多少残ってるかも知れなかった。電光の飛沫ひまつもなお雷である。
念のために、名人は、軸のうえ、天井、左右のぬり壁、軸の下、残るくまなく手燭てしょくをさしつけて見しらべました。しかし、軸の外には血らしいものの飛沫ひまつ一滴見えないのです。
……よく晴れた日で、熟れた稲の穂波の上に、雀や百舌もずが騒がしく飛び交していた。道は遠かった、森をぬけ、丘をめぐり、細い谿流けいりゅう飛沫ひまつをあげている丸木橋を幾たびか渡った。
春いくたび (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ぼったりと大きな血塊が封筒のまん中に落ち、飛沫ひまつがその周囲に霧のように飛んだ。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
六甲の山奥からあふれ出した山津浪やまつなみなので、真っ白な波頭を立てた怒濤どとう飛沫ひまつを上げながら後から後からと押し寄せて来つつあって、あたかも全体が沸々と煮えくり返る湯のように見える。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ぼくには、太宰治が泣き虫に見えてならぬ。ぼくが太宰治を愛する所以でもあります。暴言ならば多謝。この泣き虫は、しかし、岩のようだ。飛沫ひまつを浴びて、歯を食いしばっている——。
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
ちょうど、買ったばかりの白いシャツに、汚泥おでい飛沫ひまつをひっかけられたように。
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
すでに谷川たにがわみず飛沫ひまつのかかるこずえは紅葉こうようをしてなつはいきかけていました。
谷間のしじゅうから (新字新仮名) / 小川未明(著)
もし本人が咳嗽によって血液を排泄はいせつしたものであるならば血は大きな飛沫ひまつとなってたくさんあたりに飛び散り、もしまた人事不省あるいは死体となって落ちた場合には血液は口から流れて
風が、少し出たせいだろう、冷たい噴水の飛沫ひまつが三人の上に降りかゝって来た。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
扁平へんぺいな漁場では、銅色あかがねいろの壮烈な太股ふとまたが、林のように並んでいた。彼らは折からのかつおが着くと飛沫ひまつを上げて海の中へんだ。子供たちは砂浜で、ぶるぶるふるえる海月くらげつかんで投げつけ合った。
花園の思想 (新字新仮名) / 横光利一(著)
すごく汗をかくからだが、たとえば裸の皮膚に「湯」の飛沫ひまつがかかっても、汗のためにつるりと滑って、奇態に火傷をしない。それほどのすごい汗なのだ。塩をなめなかったら、参ってしまう。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
わたくしはその好もしさに身体がふくれるほど夜景の情趣を吸い取りました。凝滞していた気分は飛沫ひまつを揚げて流れ始めました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
万寿丸甲板部かんぱんぶの水夫たちは、デッキに打ち上げる、ダイナマイトのような威力を持った波浪の飛沫ひまつと戦って、甲板を洗っていた。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
その左膳の全身から、眼に見えぬ飛沫ひまつのような剣気が、ほとばしり出て……萩乃は、何かしらあぶない感じで、そっと雪洞ぼんぼりを、壁ぎわへ置きかえた。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
尿のさきは、鯰之助の顔や肩に飛沫ひまつをちらした。あわれ、敵は、わずかに身うごきしたのみである。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ああ、また飛沫ひまつをあげ、飛沫をあげて、溌剌はつらつと泳ぎ、潜り、また跳りはぬる三、四歳の小供ども。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
終局の場面でも、人生の航路に波が高くて、舳部じくぶに砕ける潮の飛沫ひまつの中にすべての未来がフェードアウトする。伴奏音楽も唱歌も、どうも自分には朗らかには聞こえない。
映画雑感(Ⅱ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
荒磯あらいそに波また波が千変万化して追いかぶさって来ては激しく打ちくだけて、まっ白な飛沫ひまつを空高く突き上げるように、これといって取り留めのない執着や、憤りや、悲しみや
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その傷口の下が、流れ出した血で湖水のような溜りだ。が、それには、周囲の床から扉の内側にかけてわずかな飛沫ひまつが飛び散っているのみのことで、どこにも乱れた個所がない。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
暮がた近くになって一たん雪がむと、空はまだ雪曇りに曇った儘、しずかに風が吹き出した。木々の梢に積っていた雪がさあっとあたり一面に飛沫ひまつを散らしながら落ち出していた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)