跋渉ばっしょう)” の例文
地理測量のまだ覚束おぼつかない世の中では原は木がなくてもなお一つの障壁であり、これを跋渉ばっしょうすることは湖を渡るほどの困難であった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
三里の荒野あれの跋渉ばっしょうして、目に見ゆるもの、手に立つもの、対手あいてが人類の形でさへなかつたら、覚えの狙撃ねらいうちて取らうと言ふのであるから。
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
その時代から一般の風俗は次第に変って来てポオル・ド・コックのあとには画家の一団体が盛に巴里郊外の勝地を跋渉ばっしょうし始めた。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
村民は五木の厳禁を犯さないかぎり、意のままに明山を跋渉ばっしょうして、雑木を伐採したり薪炭しんたんの材料を集めたりすることができた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ひとり高氏だけは、この正月も山野さんやですごした。伊賀路を捨て、大和、紀伊、和泉いずみ、摂津を股にかけての跋渉ばっしょうを、あえて続けて来たのである。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわんや針の山や血の池などは二三年其処に住み慣れさえすれば格別跋渉ばっしょうの苦しみを感じないようになってしまうはずである。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
登山の困難は想像にも及ばずわずかに不退転の心を抱いて深山幽谷を跋渉ばっしょうする、えん優婆塞うばそくの亜流ぐらいが時々参詣するぐらいであったが、それが
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
野外に出でて彷徨ほうこうせる間に、忽然こつぜん天狗の来たるに会し、これとともに高山に遊び、諸所を跋渉ばっしょうして家に帰れりという。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
熊笹の芽、ワラビ、水蕗みずぶきなどがとりわけて目に浮ぶのである。——二日の間、その川に沿って彼らは跋渉ばっしょうし調査した。武器という武器を身につけた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
一国に居附き候と天下に跋渉ばっしょうつかまつるとは、人の智愚労逸、近く日本内にても懸絶致し候事、いわんや四海においてをや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
町の隅々から山また山を跋渉ばっしょうした結果、高尾山中に半之丞の隠れ家を探しあてたけれど、肝心の半之丞も機械人間も遂に見つけることができなかった。
くろがね天狗 (新字新仮名) / 海野十三(著)
川島は、深山幽谷のつもりで跋渉ばっしょうして来たところが、突然、お屋敷の裏庭に飛出してしまった時のような、むしろ飽気あっけなさを覚えながら、下って行った。
植物人間 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
箕作阮甫みつくりげんぽ先生の養嗣子省吾氏は、弱冠の頃、すでに蘭語学に精通しておったが、就中なかんずく地理学を好んで、諸国を歴遊し、山河を跋渉ばっしょうして楽しみとしておった。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
おみおつけの海に抜手ぬきてを切るべく、お米の御飯の山を跋渉ばっしょうすべく、はたまたお醤油の滝にゆあみすべく——。
私の父親は日露戦争当時から、日本の軍事探偵となって、満洲西比利亜シベリア方面を跋渉ばっしょうしているうちに、松花江しょうかこうの沿岸で、素晴らしい金鉱を幾個所となく発見していた。
冥土行進曲 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
もし何処どこかでこの瓦の遺物が見つかったら、恐らくあの疑問は解けることと早合点をして、それから時々古城址などを跋渉ばっしょうして内地風の瓦を探して見たが、無益であった。
土塊石片録 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
「古来山に宿るものは山賊やまがつ山伏やまぶしたぐいにかぎります。豊臣秀吉公や徳川家康公が富士登山をしたという史実がございますか? 大名だいみょう狩座かりくらのほかに山野を跋渉ばっしょういたしません」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
現にその習慣のある人は冬の日に猟銃りょうじゅうを肩にして一日山野を跋渉ばっしょうしても決して水を飲みません。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
同氏は再々支那の山河を跋渉ばっしょうされてゐるやうであるが、支那の南画の山水が決して現実を歪めたものではなく、あれがそのまま正確な写実であることが分るといふ話であつた。
日本の山と文学 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
自分は隅々くまなく、跋渉ばっしょうしたわけではないが、自分の下りて来た穂高山の前の短沢みじかさわを始めとして、槍ヶ岳の麓の徳沢、槍沢、横尾谷、それから一ノ俣、二ノ俣、赤岩小舎の傍の赤沢
梓川の上流 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
避暑には少し早い時期なので、広い旅館がガランとして人気ひとけもなく、清々すがすがしい山気が、妙にうそ寒く感じられました。湖上の船遊びも、森林の跋渉ばっしょうも、慣れては一向面白くありません。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
私は今年七十八歳になりましたが、心身とも非常に健康で絶えず山野を跋渉ばっしょうし、時には雲にそびゆる高山へも登りますし、また縹渺ひょうびょうたる海島へも渡ります。そして何の疲労も感じません。
要するに僕はひらいて地理を調査する人だったのだ。それでいて脚絆きゃはんを着けて山河さんか跋渉ばっしょうする実地の人と、同じ経験をしようと焦慮あせり抜いているのだ。僕は迂濶うかつなのだ。僕は矛盾なのだ。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
専六は元秀の如き良師を得たが、うらむらくは心、医となることを欲せなかった。弘前の人はつねに、円頂えんちょうの専六が筒袖つつそで短袴たんこ穿き、赤毛布あかもうふまとって銃を負い、山野を跋渉ばっしょうするのを見た。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
三峰川と中津川では山女魚釣りに谷を跋渉ばっしょうした。高麗こま川と名栗川へも行った。多摩川と奥多摩川、日原川、秋川などはここで説明するまでもない。江戸川、中川、綾瀬川など、もちろんのことだ。
水の遍路 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
その厳禁を犯さないかぎり、村民は意のままに山中を跋渉ばっしょうして、雑木を伐採したり薪炭しんたんの材料を集めたりすることができた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
これより先寛政十年に近藤重蔵こんどうじゅうぞうは北蝦夷の探険を畢り、享和元年に間宮林蔵まみやりんぞう唐太からふとより満洲の地を跋渉ばっしょうして紀行を著した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
また、当時の武者輩も、革足袋かわたび、武者わらんじで湖沼を跋渉ばっしょうしたりした後など、足に水むしを病む者が多かったが、それにもよく灸は用いられた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう風にして何度となく山野を跋渉ばっしょうした阿賀妻であった。それをたすけ、つき従っていた大野順平であった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
そうかと思うと騶従すうじゅうしりぞけ、単騎独行山谷を跋渉ばっしょうし、魑魅魍魎ちみもうりょうを平らげたというから、その行動は縄墨をもっては、断じて計ることが出来なかったらしい。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
永く三界六道の間に出没して無数の山河を跋渉ばっしょうし、無数の風月を眺望するも、また一興ではありますまいか。
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
彼れ嘉永三年鎮西ちんぜいの山川を跋渉ばっしょうし、四年藩主の駕にして江戸に到り、相房形勢の地を按じ、さらに東北に向って遠征を試みんと欲し、肥後ひごの人宮部鼎蔵ていぞう
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
峻山深谿しゅんざんしんけい跋渉ばっしょうしたるもの幾人かある、今や中央鉄道開通して、その益をくるもの、塩商米穀商以外に多からずとせば、邦人が鉄道を利用するの道もまた狭いかな、たまたま地質家、山林家
山を讃する文 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
「此奴が千里を跋渉ばっしょうするんだね?」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
今日跋渉ばっしょう、明日よりも漁猟にかかり、活路相開き、右人員ことごとく土着させたく存じ候間——ご仁恤じんじゅつのご沙汰さたなされたく伏して仰ぎ望み奉り候、昧死まいし謹言
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
芸術の信念を涵養かんようするに先立ちてまづ猛烈なる精力を作り、暁明ぎょうめい駿馬しゅんめに鞭打つて山野を跋渉ばっしょうするの意気なくんばあらずと思ひ、続いてうまやに駿馬を養ふ資力と
矢立のちび筆 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
シナ、インドのごときは平原広野多くして、旅人の深山を跋渉ばっしょうすること少なきも、わが国は全国いたるところ山深く樹茂り、人のこれに入りて道を失うもの多し。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
とまれ古くから山伏類似のそんな不動行者もあって諸国の山川さんせん跋渉ばっしょうしていたにはちがいあるまい。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夷講えびすこうの翌日、同僚の歴史科の教師W君に誘われて、山あるきに出掛けた。W君は東京の学校出で、若い、元気の好い、書生肌の人だから、山野を跋渉ばっしょうするには面白い道連だ。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
甲寅こういんの歳より壬戌じんじゅつの歳まで天下国家の事をいわず、蘇秦、張儀の術をなさず、退しりぞいては蠧魚とぎょり、進んでは天下を跋渉ばっしょうし、形勢を熟覧し、以て他年報国の基をさんのみ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
マタ遊覧ヲ好ム。然レドモ脚疾ヲ以テ跋渉ばっしょうスルニ便ナラズ。故ニ力ヲ述作ニほしいままニス。カツテ『玉岡詩鈔』ヲ著シ余ノ題詞ヲ徴セラル。余ニ詩ヲ賦シテコレヲ贈ル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
芸州げいしゅうを去った光秀は、肥前肥後の山野を跋渉ばっしょうして、大友家の領内をもたろう。海外の天地も、海を隔てて想像したろう。海路、四国へも出、長曾我部ちょうそかべ氏の兵法もうかがったろう。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高崎から平久里へぐりに滞在してさき、白浜、野島の嶮路けんろ跋渉ばっしょうして鏡ヶ浦に出るやはるかに富岳を望み見た。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)