小田原おだわら)” の例文
美代みよちゃんは今学校の連中と小田原おだわらへ行っているんだがね、僕はこのあいだ何気なにげなしに美代ちゃんの日記を読んで見たんだ。……」
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「深夜の小田原おだわらに怪人が二人現れたそうです。そいつが乱暴にも寝静まっている小田原の町家ちょうかを、一軒一軒ぶっこわして歩いているそうです」
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
なんでこんなおおきなしろ寝所ねどこなもんか、これはやがて、四こくしゅうはおろか、東海道とうかいどう浜松はままつ小田原おだわらも、一呑ひとのみに併呑へいどんしようとする支度したくじゃないか
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
第一夜は小田原おだわらの「本陣」で泊まったが、その夜の宿の浴場で九歳の子供の自分に驚異の目をみはらせるようなグロテスクな現象に出くわした。
蒸発皿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
閑院宮かんいんのみや寛子ひろこ女王殿下が小田原おだわらの御用邸のとうかいで、東久邇宮ひがしくにのみや師正もろまさ王殿下がくげ沼で、それぞれ御惨死ござんしなされたのはまことにおんいたわしいかぎりです。
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
小田原おだわら道了どうりょうさまのお山から取りよせるくりでつくったお赤飯を、母が先生にも差上げたいといったから、持参してお話をして来たと、感慨深そうにした。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
布衣ふいから起こって関八州を領した、彼の小田原おだわらの北條早雲そううん、武蔵七党の随一と云われた、立川宗恒たてかわむねつね、同恒成、足利学校の創立者、武人ぶじんで学者の上杉憲実のりざね
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
朝議もそれをれた。一橋中納言が京都を出発して大津に着陣したのは前年十二月三日のことだ。金沢、小田原おだわら会津あいづ、桑名の藩兵がそれにしたがった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
奥州武士の伊達政宗だてまさむねが罪をどうしまに待つ間にさえ茶事を学んだほど、茶事は行われたのである。勿論もちろん秀吉は小田原おだわら陣にも茶道宗匠をしたがえていたほどである。
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
天正十一年になって、遠からず小田原おだわらへ二女督姫君とくひめぎみ輿入こしいれがあるために、浜松のやかたいそがしい中で、大阪にうつった羽柴家へ祝いの使が行くことになった。
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
兄さんは国府津こうづ小田原おだわらの手前か先か知りませんでした。知らないというよりむしろ構わないのでしょう。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そのうえおよしばあさんは、小田原おだわらちょうちんに火をともして、牛車の台のうしろにつるしてやります。なにしろ酒飲みは、平気でひとに世話をさせるものです。
和太郎さんと牛 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
十日ほどでそこを打ち上げた曲馬団きょくばだんは、今度は東京の南のはしの町へうつり、そこでまた十日ほど打ちました。それから横浜よこはまへ行きました。次に小田原おだわらへ行きました。
曲馬団の「トッテンカン」 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
汽車のクションでていたくらいで、小田原おだわらでおりた時は、顔が真蒼まっさおになって、心臓が止まったかと思うほど、口も利けず目も見えなくなって、庸三の手にたすけられて
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
江戸時代には箱根の温泉まで行くにしても、第一日は早朝に品川しながわって程ヶ谷ほどがや戸塚とつかに泊まる、第二日は小田原おだわらに泊まる。そうして、第三日にはじめて箱根の湯本ゆもとに着く。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ひょっとすると、国府津よりも向うの、小田原おだわらか、熱海あたりまで行くのかも知れない。
香水紳士 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
小田原おだわらから宮下みやのしたにかけて仕事場を見出しますが、見ていると技としては進む所まで進んだものなのを感じます。少し進み過ぎて仕事が細かくなり弱くなってきた恨みさえあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
かねて申合せしごとく、尾越おごしどの旗挙はたあげの儀はかたく心得申しそうろう、援軍ならびに武具の類、当月下旬までに送り届け申すべく候、そのほか密計の条々じょうじょう相違あるまじく、ねんごろに存じ候、小田原おだわら
城を守る者 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しかしながら始より国許へ立帰り候所存とては無之事これなきことに候間、東海道を小田原おだわらまで参り、そのまゝ御城下に数日滞在の上、豆州ずしゅうの湯治場を遊び廻り、大山おおやま参詣さんけい致し、それより甲州路へ出で
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
阿波の高市たかまちに来た旅役者の嵐雛丸あらしひなまるも殺された。越後えちご縮売ちぢみうりの若い者も殺された。それからきょうの旅画師に小田原おだわらの渡り大工。浮島うきしま真菰大尽まこもだいじんの次男坊も引懸ったが、どれも三月とは持たなかった。
死剣と生縄 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
そのころ三浦みうらぞく小田原おだわら北條氏ほうじょうし確執かくしつをつづけていましたが、武運ぶうんつたなく、籠城ろうじょうねんのち荒次郎あらじろうをはじめ一ぞくほとんど全部ぜんぶしろまくら打死うちじにげたことはあまりにも名高なだか史的事蹟してきじせきであります。
ほどもなく、この人々も、小田原おだわらの人数も、甲州本街道こうしゅうほんかいどう迂回うかいして、岩殿山いわどのやま武田家滅亡たけだけめつぼうのあとをとむらいながら、御岳みたけへ、御岳へ、と近づいていった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どこのお医者様がいいのだか判らないのです。そのとき不図ふと気がついたのは所轄しょかつ小田原おだわら警察署のことです。
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
私の顔色はまだ悪かった。私は小田原おだわらの海岸まで保養を思い立ったこともある。その時も次郎は先に立って、弟と一緒に、小田原の停車場まで私を送りに来た。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
先年小田原おだわらの浜べで大波の日にヘルムホルツの共鳴器を耳に当て波音の分析を試みたことがあったが
映画雑感(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
茶屋のおよしばあさんが、いろいろ和太郎さんの世話をやいて、松から手綱をといてくれたり、小田原おだわらちょうちんに火をともしてくれたのも、いつものとおりでした。
和太郎さんと牛 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
前に小田原おだわらへ往った長男周碩しゅうせきと、この三蔵とは、後にカトリック教の宣教師になったそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
小田原おだわらから伊東いとうに至る十一の停車場の出口には、鋭い眼をした私服のお巡りさんたちが、眼でない、鼻をヒクヒクさせながら、まるで旅客りょきゃくのような恪好かっこうで、こっそり立ちはじめた。
香水紳士 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
横浜、小田原おだわらなぞはほとんど全部があとかたもなく焼けほろびてしまいました。
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
駿府すんぷの今川家の使者がここや岡崎や、小田原おだわら甲府こうふなどへ頻繁に往来しているのでも、或る筋が読めた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小田原おだわらから神奈川かながわの宿まで動いた時の東海道軍の前には、横浜居留民を保護するために各国連合で組織した警備兵があらわれたとある。外人はいろいろな難題を申し出た。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「無燈じゃごぜえません。ここに小田原おだわらちょうちんがつけてありますに、ごらんくだせェ」
和太郎さんと牛 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
周禎が矢島氏を冒した時、長男周碩は生得しょうとく不調法ぶちょうほうにして仕宦しかんに適せぬと称して廃嫡を請い、小田原おだわらに往って町医となった。そこで弘化二年生の次男周策が嗣子に定まった。当時十七歳である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
織田おだ今川いまがわのほろびたのちは、家康いえやす領地りょうちざかいは小田原おだわら北条氏直ほうじょううじなおととなり合って、碁盤ごばんの石の目をあさるように武州ぶしゅう甲州こうしゅう上州じょうしゅうあたりの空地あきちをたがいにりあっている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家康が武田の旧臣を身方に招き寄せている最中に、小田原おだわら北条新九郎氏直ほうじょうしんうろううじなお甲斐かい一揆いっきをかたらって攻めて来た。家康は古府こふまで出張って、八千足らずのせいをもって北条ほうじょうの五万の兵と対陣たいじんした。
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
深夜の小田原おだわらの町を、六まいがたで二挺立ての早駕はやが、汗にれた声をあげて、真っ黒に通った。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清洲きよす那古屋なごや駿府すんぷ小田原おだわら——と歩く先ざきで
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)