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しんしう
信州伊那の俳人に
井月と云ふ
乞食あり、
拓落たる道情、
良寛に劣らず。
下島空谷氏が近来その句を蒐集してゐる。
連信州の
湯治に參りしが右妻儀は五歳の時人に
勾引され江戸へ
參りしに
肌の守り
袋に生國は越後高田領の
由書付有しゆゑ
親に
對面致させんとて來りし所
途中にて妻を
三郎はもう
長いこと
信州木曾の
小父さんの
家に
養はれて
居まして、
兄の
太郎や
次郎のところへ
時々お
手紙なぞをよこすやうになりました。
三郎はことし十三
歳、
末子がもう十一
歳にもなりますよ。
(
私は、
山越で
信州へ
参ります
者ですが
旅籠のございます
処までは
未だ
何の
位ございませう。)
分てお
貰ひ申さにやならぬと
血眼になりて申にぞ安五郎は
當惑なし我等とても段々の
不仕合折角連退たる白妙には
死別れ今は
浮世に
望みもなければ
信州の
由縁の者を頼み
出家遁世を
はい、これは五十
年ばかり
前までは
人が
歩行いた
旧道でがす。
矢張信州へ
出まする、
前は一つで七
里ばかり
総体近うござりますが、いや
今時往来の
出来るのぢやあござりませぬ。
企てるには金子
乏しくては大事成就
覺束なし第一に金子の
才覺こそ
肝要なれ其上にて
計らふ
旨こそあれ各々の
深慮は如何と申ければ天一坊
進出て其金子の事にて思ひ出せし事あり
某先年九州へ下りし
砌り
藝州宮島にて
出會し者あり
信州下諏訪の
旅籠屋遠藤屋彌次六と云ふ者にて彼は
相應の身代の者のよし
語ひ
置し事も有ば此者を
飛騨から
信州へ
越える
深山の
間道で、
丁度立休らはうといふ
一本の
樹立も
無い、
右も
左も
山ばかりぢや、
手を
伸ばすと
達きさうな
峯があると、
其の
峯へ
峯が
乗り
巓が
被さつて、
飛ぶ
鳥も
見えず