-
トップ
>
-
高臺
>
-
たかだい
尤も
小石川白山の
上、
追分のあたりより、
一圓の
高臺なれども、
射る
日の
光薄ければ
小雨のあとも
路は
乾かず。
久しい
以前だけれども、
今も
覺えて
居る。
一度は
本郷龍岡町の、あの
入組んだ、
深い
小路の
眞中であつた。
一度は
芝の、あれは
三田四國町か、
慶應大學の
裏と
思ふ
高臺であつた。
此の
坂の
上から、
遙に
小石川の
高臺の
傳通院あたりから、
金剛寺坂上、
目白へ
掛けてまだ
餘り
手の
入らない
樹木の
鬱然とした
底に
江戸川の
水氣を
帶びて
薄く
粧つたのが
眺められる。
坂の
其の
兩方は、
見上げて
峰の
如き
高臺のなだれた
崖で、……
時に
長頭が
面を
向けた
方は、
空に一二
軒、
長屋立が
恰も
峠茶屋と
云ふ
形に、
霜よ、と
靄のたゝまり
積んだ、
枯草の
上に
以前、
牛込の
矢來の
奧に
居た
頃は、
彼處等も
高臺で、
蛙が
鳴いても、たまに
一つ
二つに
過ぎないのが、もの
足りなくつて、
御苦勞千萬、
向島の
三めぐりあたり、
小梅の
朧月と
言ふのを
半町ばかり
目の
前を、
火の
燃通る
状は、
眞赤な
大川の
流るゝやうで、
然も
凪ぎた
風が
北に
變つて、
一旦九段上へ
燒け
拔けたのが、
燃返つて、
然も
低地から、
高臺へ、
家々の
大巖に
激して
又か、とむかしの
名僧のやうに、お
叱りさへなかつたら、こゝで、
番町の
七不思議とか
稱へて、
其の
一つに
數へたいくらゐである。が、
何も
珍しがる
事はない。
高臺だから
此の
邊には
居ないのらしい。