“美作:みまさか” の例文
“美作:みまさか”を含む作品の著者(上位)作品数
吉川英治19
柳田国男6
中里介山2
国枝史郎2
夢野久作1
“美作:みまさか”を含む作品のジャンル比率
芸術・美術 > 工芸 > 工芸16.7%
哲学 > 仏教 > 各宗14.3%
社会科学 > 風俗習慣・民俗学・民族学 > 年中行事・祭礼7.1%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
だが、より以上、驚いたのは、彼の唐突な来訪をうけた、那古屋城代の林佐渡守はやしさどのかみと、弟の美作みまさかだった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播州ばんしゅう但馬たじま美作みまさか因幡いなばなどの占領下の諸将は、入り代り立ち代り姫路を中心に去来した。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「那古屋衆の、謀叛むほんと見ゆるぞ。柴田権六の兵千人。林美作みまさかの人数七百ばかり。——不意をせて来おった!」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その女性は、和尚の郷国くにとはすぐ近い美作みまさかの七宝寺とやらで育った者であるといえば、和尚とは話も合おう。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さきの日、加古川の宿に残しておいた細作の一人が、まったく方角ちがいな美作みまさか佐用さよ方面からここへたどりついて来た。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寿詞を贈つたものには讚岐の後藤漆谷しつこく美作みまさか茂誥大輔もかうたいほ、徳島の僧玉澗等があつたことが集に見えてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その勢力圏せいりょくけんは、安芸あき周防すおう長門ながと備後びんご備中びっちゅう美作みまさか出雲いずも
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
毎年二月半ばから四月五月にかけて但馬たじま美作みまさか、備前、讃岐さぬきあたりから多くの遍路がくる。
海賊と遍路 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
今井君の骨を抱いて、その忘れ形見達と共に、僕が美作みまさか山中の故郷へ帰ったのは、桜花さくらに早い大正六年四月上旬の事であった。
友人一家の死 (新字新仮名) / 松崎天民(著)
「おいの。覚悟はいつもしていることじゃ。骨になったら、美作みまさかの吉野郷、本位田家へ骨は送ってくだされ」
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
備前、美作みまさかの二州は、血を見ずに味方へ加わったのである。彼はこのよろこびを、当然、主君の信長へ、一刻もはやく告げたく思った。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここは姫路の城下に近く、同時に、彼女が育った郷里——美作みまさか吉野郷よしのごうへも、そう遠くない。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長政の忠臣遠藤喜右衛門、赤尾美作みまさかなどは、信長も昔の信長とは違う、今では畿内五州、美濃、尾張、三河、伊勢等十二ヶ国の領主である。
姉川合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それだけでなく。北の但馬や美作みまさか地方から、いくらでも後詰うしろまき(応援)のできる強味もある。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なお播磨はりまでは将人しょうにん伯耆ほうき出雲いずもでは初人しょにん備前びぜん美作みまさかでは初爾しょにといって
西暦一七二六年、美作みまさか津山つやまにおこった八千人の百姓一揆は、「殿様にうらみあり。」という表現をもっておこなわれた騒擾であった。
作陽志さくようし』には美作みまさか苫田とまだ越畑こしはたの大平山に牛鬼と名づくる怪あり。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
お杉ばばは、昨年、その小次郎が江戸から小倉へおもむく際、途中まで行を共にして、家事整理と法会ほうえのため、一度、美作みまさかの郷里へ戻った。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法然上人は美作みまさかの国、久米くめ南条稲岡庄なんじょういなおかのしょうの人である。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
自分の勢力も及ばない遠方の美作みまさかの山間あたりから、ただ剣術の巧拙を試みるだけの目的で
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
美作みまさか大井荘の二つ柳の伝説などは、至って近い頃の出来事のように信じられておりました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
歴史に名高い「備中檀紙びっちゅうだんし」はもう昔語りになりましたが、美作みまさか苫田とまた郡の勝田かつた郡では多少の漉場すきばを今も見ます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「……もしや、この武蔵というお方は、美作みまさか吉野郷よしのごうの人ではないかえ」
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わしは早速試みて見た。長江美作みまさかが気の毒にも、らいを病んで命旦夕たんせき、そこで一粒を投じてやった。ところがどうだ。ところがどうだ!」
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
因幡いなば美作みまさか但馬たじま播磨はりまあたりの緑色の斑点帯はんてんたいを、のみの卵でも探すようにしてやっと見つかる山国の一部落だ。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同じ県でも美作みまさかの西部では、正月朝寝をすることを大グロを積むというそうである。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「これは美作みまさかの国より出家修業の為に叡山に登るものでございます」と申上げた。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
播磨はりま美作みまさか備前びぜん備中びっちゅう備後びんご安藝あき周防すおう長門ながとの八ヵ国を山陽道さんようどうと呼びます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
拙者の家は、播州ばんしゅう赤松の支流、平田将監しょうげんの末で、美作みまさか宮本村に住し、宮本無二斎とよぶものの一子、同苗どうみょう武蔵であります。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「だめだ! 逃げきれん! もう馬もわしも疲れた。美作みまさか美作みまさか、山へ」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
第一は備中びっちゅうかま鳴り、第二は備前の田植え、第三は美作みまさかの夜桜にして、この三者はおのおのその国の一の宮にある奇瑞きずいといわれている。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
「では、お日延べで。いや、何かにつけ、ご辛労でしょうな。——して、出雲への道はやはり、日女道から杉坂を越え、美作みまさか伯耆ほうきへと越えて行かれますか」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうか。西国表は、備前びぜん美作みまさか因幡いなばの三ヵ国とも、毛利への万一の備えに、一兵もうごかすなと申しつけたことも、手ちがいなく達しておるか」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一備前、美作みまさか因幡いなばなど、西国表は、一人もうごかさず、大磐石。紀州、泉州へも、昨日、蜂須賀、黒田、生駒、赤松などの人数六、七千も増してやり申した。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉備きびくに中山なかやま——美作みまさかにある——よ。それがこしのひきまはしにしてゐる、細谷川ほそたにがはおとんできこえることよ。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
間もなく、父の方からは、追手が来て、九歳ここのつの彼は、裸馬の背に縛られて、播州からふたたび、美作みまさかの吉野郷宮本村へ連れもどされた。父の無二斎はひどく怒って、
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
石見いわみ長門ながと播磨はりま美作みまさか、備前、備中にまでわたる諸州の武士の名であった。それがみなお味方を誓って来ていた。中には児島高徳らの名もみえた。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
破産 (美作みまさか) 日本永代蔵にっぽんえいたいぐら、四十七歳
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
隠岐への道は、京から播磨はりま美作みまさかを越えて山陰へ出るのが順路だが、すでに大津以西は、東国勢の軍馬でいたるところ大変だと聞き、清高は近江から曲がって北陸路へ出た。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵の父は十手の名人で無二斎と称し、主人、新免氏の姓を名乗る事を許されて、新免無二斎とも称していたが、この人夫妻の墓は美作みまさかの国英田郡あいだごおり字宮本と云う所に有る。
巌流島 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
備前びぜん美作みまさか五十万石の太守たいしゅとなった。
馬妖記 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
美作みまさかに在ける時故郷の酒妓のもとより文おこせければ
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
かりに美作みまさかの郷士本位田又八と名乗って実際の履歴を話したら、この男も乗り気にはなるまい。鼻さきで軽蔑を与えられるぐらいなところが落ちである。やはり佐々木小次郎の名がものをいったのだ。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先には、弟の信行のぶゆきが、林佐渡はやしさど美作みまさか謀叛むほんを計って、信長を困らせたが、その後また、今度は兄の信広が、美濃の斎藤と内応して、清洲城を乗っ取ろうとした事件がある。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
美作みまさか勝田郡豊国村大字上相かみあい間山はしたやま薬師で、毎年この日痩御前やせごぜと称する像を人が裸になって背に負い、群衆手を叩いて「おかしやヤセゴゼ」とはやして大笑いに笑う中を
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ここ美作みまさか高原たかはらや、
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
ほか播磨はりま美作みまさか、備前
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
志我津しがつの子ら」とあるから、志我津しがつ即ち今の大津あたりに住んでいた女で、多分吉備の国(備前備中備後美作みまさか)から来た采女で、現職を離れてから近江の大津辺に住んでいたものと想像せられる。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「ほ……。おれは美作みまさかだが」
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ダンジ 美作みまさか英田あいだ
『日本及日本人』七二五号に、『談海』十二に山神の像を言いて「猿のこうをへたるが狒々ひひという物になりたるが山神になる事といえり」、『松屋筆記』に『今昔物語』の美作みまさかの中参の神は猿とあるを弁じて
野呂勘兵衛が小栗美作みまさかを討つため、日雲閣へりこんだのも、やはり月見の宴の折だったそうな。総じてやかたの討入りには、順法と逆法がある。いずれとも時宜じぎに従うのはいうまでもないが、目ざす敵を一人だけに限っておくのが定法だ。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
生まれがお宮参りに着るのをミヤマヰリゴ(美作みまさか)、女がお歯黒はぐろを始めてつける日に着るのがカネツケゴ(北美濃きたみの)、年寄が厄年やくどしの祝に着るのをヤクゴ(讃岐さぬき)というのを見ると、ゴは着物のことと思われる。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
尤も島津は太閤様以来栄螺さざえの蓋を固めて、指一本指させぬ天険に隠れておるけに、徳川も諦めておろう。……されば九州で危いのはまず黒田と細川(熊本)であろう……と備後びんご殿(栗山)も美作みまさか殿(黒田)も吾儕われらに仰せ聞けられたでのう。
名君忠之 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
約定やくじょうによって、生国美作みまさかの郷士宮本無二斎の一子武蔵、試合に出て参りました。名目人源次郎どのはいずれにおわすか。さきの清十郎殿や伝七郎殿のごとき御不覚あるなよっ。ご幼少とのことゆえ助人すけびとは何十人たりとも存意のまま認めおく。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……愚かしいは迷信だ! 愚かしい迷信は捨てなければならない。あの三諸山みむろやまの神体は、角ある蛇だと云うではないか。あの常陸ひたちの夜叉大神は、男の陽物だというではないか。伯耆ほうき美作みまさかでは大猿を祭り、河内では河伯かっぱを崇めると云う。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「そう仰せられますなら、わたくしも申しまするが、最前からてまえも何だか、聞いたようなお声に思われてなりませんのです。もしやあなたは、但馬たじま宗彭しゅうほう沢庵どのではありませぬか。美作みまさかの吉野ごうでは七宝寺に長らく逗留しておでた……」
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それにもかかわらず父の美作みまさかが、どのような目的があるのかは知らぬが、この松吉に目をかけて、時々屋敷へ呼び寄せるのをいい気になって慣れ慣れしくふるまい、このような往来で心やすそうにそんなように、言葉をかけたのが、潔癖の左内としては不愉快だからであった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
むかし美作みまさかの国に、蔵合ぞうごうという名の大長者があって、広い屋敷には立派なくらが九つも立ち並び、蔵の中の金銀、夜な夜なうめき出して四隣の国々にも隠れなく、美作の国の人たちは自分の金でも無いのに、蔵合のその大財産を自慢し、薄暗い居酒屋でわずかの濁酒にごりざけに酔っては、
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「つまり……毛利方から提示して来た条件というのは、この際、媾和こうわするならば、備中びっちゅう備後びんご美作みまさか因幡いなば伯耆ほうきの五ヵ国を割譲かつじょうしよう。そのかわりに高松城の囲みを解いて、清水宗治しみずむねはる以下の城兵五千の生命は保証して欲しいと申すのでありました」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そもそも馬鹿囃子のはじまりは、伊奈半左衛門が、政略のためにやったということになっているが、道庵に言わせるとそうでねえ。ちうこうになって雲州松江の松平出羽守、常陸ひたちの土浦の土屋相模守、美作みまさか勝山の三浦志摩守といったような馬鹿殿様が力を入れて、松江流、土屋流、三浦流という三つの流儀をこしらえたが、馬鹿囃子の本音は、トテモ殿様のお道楽では出て来ねえ。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)