払子ほっす)” の例文
旧字:拂子
床柱とこばしらけたる払子ほっすの先にはき残るこうの煙りがみ込んで、軸は若冲じゃくちゅう蘆雁ろがんと見える。かりの数は七十三羽、あしもとより数えがたい。
一夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
快川かいせんは、伊那丸いなまるの落ちたのを見とどけてから、やおら、払子ほっすころもそでにいだきながら、恵林寺えりんじ楼門ろうもんへしずかにのぼっていった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この両側左右の背後に、浄名居士じょうみょうこじと、仏陀波利ぶっだはりひとつ払子ほっすを振り、ひとつ錫杖しゃくじょう一軸いちじくを結んだのを肩にかつぐようにいて立つ。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
といいながら、おこって手にっていた払子ほっすで、金仏かなぶつさまのあたまを一つくらわせました。すると「くわん、くわん。」と金仏かなぶつさまはりました。
和尚さんと小僧 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
それにくつぬぎもあればかわのスリッパもそろえてあり馬の尾を集めてこさえた払子ほっすもちゃんとぶらさがっていました。
茨海小学校 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
丈の低い小僧はそれでも僧衣ころもを着て、払子ほっすを持った。一行のたずさえて来た提灯はをつけられたまま、人々の並んだ後ろの障子のさんに引っかけられてある。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
「大坂の小伜を討つに、具足は不用じゃわ」といって、白袷しろあわせに茶色の羽織を着、下括しもくくりのはかまを穿いて手には払子ほっすを持って絶えず群がってくる飛蠅とびはえを払っていた。
忠直卿行状記 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
払子ほっすのような白い長い顎鬚をはやした、もう八十に手がとどこうという、枯木のように痩せた雲水の僧が、半眼を閉じながら寂然じゃくねんと落葉の上で座禅を組んでいる。
顎十郎捕物帳:01 捨公方 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
道服めいた衣裳を着て、払子ほっすを持った身長たけの高いおきなの、古物商の刑部が露路を走って、露路の口まで出て来た時には、しかし松平碩寿翁は、その辺りにはいなかった。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
阿父おとっさん書家しょか樵石しょうせき先生だけに、土肥君も子供の時から手跡しゅせき見事に、よく学校の先生にめられるのと、阿父が使いふるしの払子ほっすの毛先をはさみ切った様な大文字筆を持って居たのを
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
こうなると大衆はだんだんだまってしまって、ただただ驚嘆きょうたんの眼をみはるのです。にっこりと笑った三要は払子ほっすを打って法戦終結を告げ、勝負は強いて言わずに、次の言葉を発しました。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
白毛茸生じょうせい僧の払子ほっすのごとく美麗言語に絶えたるを巨勢の医家に蔵すと観た者に聞いた人からまた聞きだ。すべて化生けしょうの物は脇を打つべく銃手必死の場合には鉄丸を射つべしというた。
当寺の住職黒崎禅翁が馬の尻尾のような白毛の払子ほっすをもって出てきた。袈裟衣を身にまとって脱俗の装いはしているが、まだ漸く二十七歳の胸にひめた覇気をおおいつくせぬ面構えである。
渡良瀬川 (新字新仮名) / 大鹿卓(著)
とこ一間いっけんで、壁は根岸ねぎしというのです。掛軸は山水などの目立たぬもので、国から持って来たのですから幾らもありません。前には青磁せいじの香炉が据えてあり、隅には払子ほっすが下っていました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
手には払子ほっすの代りに蝙蝠傘を持っている。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
この払子ほっすをこう持って
辮髪べんぱつを自慢そうに垂らして、黄色の洋袴ズボン羅紗らしゃの長靴を穿いて、手に三尺ほどの払子ほっすをぶら下げている。そうして馬の先へ立ってける。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
手には蠅払はえはらいの払子ほっす上衣うわぎも下も白麻ずくめ。何とも、底気味わるい薄眼の眼光が、武松のかかとを見送ってから、また半眠りのていに返った様子である。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年は六十で痩せていて、狡猾尊大な風貌をしていて、道服めいた着物を着ていて、手に払子ほっすめいたたたきを持ち、絶えず口の中で何かを呟き、隙のない眼でジロジロ見廻す。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
花活はないけに……菖蒲あやめにしては葉が細い。優しい白い杜若かきつばた、それに姫百合、その床の掛物に払子ほっすを描いた、楽書らくがき同然の、また悪く筆意を見せて毛をねた上に、「喝。」と太筆が一字にらんでいる。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
はたかさで美々しく飾り、王みずから四種の兵隊を随えて智馬を迎え、赤銅の板を地に畳み上げて安置し、太子自ら千枝の金の蓋をささげその上を覆い、王の長女金と宝玉で飾った払子ほっすで蚊や蠅を追い去り
魯達もあわててを合せる。——見れば長老の上人は、払子ほっすを払って、やおら禅椅ぜんいかかった様子。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし骨董こっとうと名のつくほどのものは、一つもないようであった。ひとり何とも知れぬ大きな亀のこうが、真向まむこうに釣るしてあって、その下から長い黄ばんだ払子ほっす尻尾しっぽのように出ていた。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
学海施一雪紅楼夢——や不可いけねえ。あのひげが白い頸脚えりあしへ触るようだ。女教員渚の方は閑話休題として、前刻さっき入って行った氷月の小座敷に天狗てんぐの面でもかかっていやしないか、悪くひねって払子ほっすなぞが。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
金具に月光がさしているのであろう。その薬種屋と向かいあった、反対側の家の前に巨大の払子ほっすを想わせるような、柳が一本立っていたが、頂きの辺がほの白く光り、裾のあたりが黒く見えた。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
僧正というからには定めし金襴きんらん袈裟けさ払子ほっすを抱き、威儀作ろった人かと思えば、これはこのままがさと杖をもたせて、世間の軒端に立たせても、恥かしくないそのままの人だった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のちに思っても可思議ふしぎなのだが、……くれたものというと払子ほっすに似ている、木の柄が、草石蚕ちょうろぎのように巻きぼりして、蝦色えびいろに塗ってあるさきの処に、一尺ばかり革の紐がばらりと一束ついている。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
栗鼠の尾は蒼黒あおぐろ払子ほっすのごとくにって暗がりに入った。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と、払子ほっすで月をつと、たちまち関羽の影は霧のように消え失せてしまった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あきらかなる時、花のおぼろなるゆうべ、天女が、この縁側えんがわに、ちょっと端居はしいの腰を掛けていたまうと、経蔵から、侍士じし童子どうじ払子ほっす錫杖しゃくじょうを左右に、赤い獅子にして、文珠師利もんじゅしりが、悠然と、草をのりながら
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
みしとくいつくと、払子ほっすをサッと切破いた、返す、ただ、一剃刀ひとかみそりで。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)