をさ)” の例文
お谷さんは私のをさ馴染なじみですが、四方屋の先の内儀おかみさんが嫁に行く時お里からついて行つた人で、四方屋にだけでも二十年も奉公してゐる忠義者です。
あねいもと數多かずおほ同胞はらからをこしてかたぬひげのをさなだちより、いで若紫わかむらさきゆくすゑはとするこヽろ人々ひと/″\おほかりしが、むなしく二八のはるもすぎて今歳ことし廿はたちのいたづらぶし
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
もしも自然しぜん貝殼かひがらがつもつたものとすれば、そのうちには、きっとべられないをさないかひまじつてゐなければならないはずだのに、おほきいじゆくしたかひばかりであり
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
夢ざめや涙の痕におどろきて少しく思ふよしをさなごと
短歌 (旧字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
そのかみのをさ追憶おもひで——君知るや
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
如何なるわけぞ百五十兩と申せば大金なり譯なき女にあづける事是又不審ふしんなりとたづねらるゝに傳吉はなほまたこたへて私し五ヶ年以前江戸へ出立の時一宿仕つり候がをさなくしてちゝ銀五郎の病氣介抱かいはうの體如何にも孝行かうかうの者と見屆是ぞまことある女とぞんぜしにより私し江戸より古郷こきやうへ歸りがけみちにて惡漢わるものに金子を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
もむまでもあるまい。海千山千の小唄の師匠よりは、をさな友達の許婚の方がよかつたのさ、娘心は正直だ。お登世が春松を嫌つて、久太郎にこがれたのも無理はないよ
なほ其人そのひとこひしきもらく、なみだしづんでおく月日つきひに、らざりしこそをさなけれ、うへきをかさねて、宿やどりしたね五月さつきとは、さてもとばかなげふしてなきけるが、いまひとにもはじものおもはじ
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
をさなごころのにくしみは
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
そいつは有難いが、思し召しだけで澤山だよ。おめえは、——伊三郎と内儀のお縫は、生れた家が近所で、をさな馴染だつたといふから、若氣のあやまちで、二人は戀中だつたといふことを
假初かりそめならぬ三えんおなじ乳房ちぶさりしなり山川さんせんとほへだたりし故郷こきやうりしさへひがしかたあしけそけし御恩ごおん斯々此々かく/\しか/″\はゝにてはおくりもあえぬに和女そなたわすれてなるまいぞとものがたりかされをさごゝろ最初そも/\よりむねきざみしおしゆうことましてやつゞ不仕合ふしあはせかたもなき浮草うきくさ孤子みなしご流浪るらうちからたのむは
五月雨 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
若旦那は取引先の義理で近頃この家に入つた養子ですが、私は白雲頭しらくもあたまからの奉公人で、お孃さんのおえふさんとは主從とは言つてもをさ馴染なじみも同樣、自然親しくも口をきいて居ります。
をさな友達の染吉といふのと、今日の夕刻ゆふこく妻戀稻荷つまこひいなり樣の前でハタと逢ひ、暫らくその前の空つぽの茶店の縁臺で話して別れたが、家へ歸つてフト商賣用のはかりを忘れて來たことを思ひ出し
ハツと、平次も息を呑んだほどの素晴らしさ、柱にもたれて、不安さうに此方を見てゐるのは、をさな顏には見覺えのある、それは江島屋の一人娘、成熟しきつたお艶の姿にまぎれもありません。
當主の甥の福之助、をさな心に覺えのある系圖を、家中引つくり返すやうにして搜しましたが見當りません。離屋はなれ二階に寢て居る、名ばかりは當主の染井鬼三郎の枕を叩くやうにして訊いたが
「もう一人、萬兵衞のをさな友達で、今は蒔繪師まきゑしの名人と言はれる、尾張町の藤吉の娘、お藤が居る。これは並大抵でない綺麗な娘だから、氣の多い萬兵衞がちよつかいを出して居たかも知れない」
染吉と私は湯島に生れて湯島に育つて、本當のをさな友達で御座います。
毬代まりよは、孫三郎のをさな馴染でもあり、許婚でもある。