市井しせい)” の例文
近来市井しせいに見かける俗悪な色彩のペンキ塗のブリキ製玩具の如きは、幼年教育の上からいうも害あって益なかるべしと思うのである。
土俗玩具の話 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
「理のたたぬ法律はない。しかし、理が法令という考え方はどうかの。非理をもって正理をたばかる市井しせいの智者がたくさんおる」
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
イエスならぬ市井しせいのただの弱虫が、毎日こうして苦しんで、そうして、もしも死なねばならぬ時が来たならば、縫い目なしの下着は望まぬ
小志 (新字新仮名) / 太宰治(著)
近頃は巻煙草になってどう変ったか知らないが、このふうが特に遊里に盛んであったことは、近世の市井しせい文学によく見えている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
市井しせいの無頼漢のように、床の上に酔いつぶれているのは、あさましいというよりは、なんともいえないはかなさがあった。
キャラコさん:05 鴎 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
今、ここで話題になっていることを聞いても、それがこのごろの天下の形勢や、市井しせいの辻斬の問題とは触れておりません。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
が、この市井しせいの一些事さじらしい「揚羽のお艶」の噂が、飛んだすさまじい事件に発展しようとは、銭形平次も思い及ばぬことだったに違いありません。
市井しせいのものが路傍のいがみ合いを見るごとき無責任な喝采をなし、二人に贈るに大象小象の綽名をもってしていた。
渡良瀬川 (新字新仮名) / 大鹿卓(著)
韓信かんしん市井しせいあいだまたをくぐったことは、非凡の人でなければ、張飛ちょうひ長板橋ちょうばんきょう上に一人で百万の敵を退けたに比し、その勇気あるを喜ぶものはなかろう。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
けれども翁は深く悲しむ様子もなく、閑散の生涯を利用して、震災後市井しせいの風俗を観察して自らたのしみとしていた。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
まして異常な破壊力や暴力などの発現は、上は原子爆弾から下は市井しせいの喧嘩ざたまでシンから怖い。生活の不安にたいしても、じつに気が小さいのです。
抵抗のよりどころ (新字新仮名) / 三好十郎(著)
札木合ジャムカ (静かに)わしは成吉思汗ジンギスカンのために惜しむ。あれほどの豪傑も、恋のためには、市井しせいの匹夫のごとき手段をも辞せぬものか。憐れな迷執の虜だ。
そこで当然、落込んでいったのは、市井しせい無頼ぶらいの徒のむらがっている、自由で放縦な場処だった。そんな仲間なかまにはいるのに、なんの手間暇がいるであろう。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
おん身のダヰツトは市井しせいの俗人をだに殺すことなからん、とはハツバス・ダアダアが總評なりき。人々は又評して宣給ふやう。篇中往々好き處なきにあらず。
おぼしめしどおり市井しせいのひととなり、御意のままにお暮しなされば、御身おひとつなんのお心づかいもなく、無事安穏におすごしあそばすことができましょう
泥棒と若殿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
武家にあっては武士道の義理、市井しせいの人には世間の義理である。義理のためには親子の間の愛情も、恋人同士のほとばしるような愛の奔流も抑圧してきた時代である。
竹本綾之助 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
庖刀をっては東京第一流の料理人と称されるものが、この通りであるとすれば、市井しせいに鍋を傾ける底の料理人の舌の教養も、概ねどれほどであるかが知れよう。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
いたずらにこの境遇を拈出ねんしゅつするのは、あえ市井しせい銅臭児どうしゅうじ鬼嚇きかくして、好んで高く標置ひょうちするがためではない。ただ這裏しゃり福音ふくいんを述べて、縁ある衆生しゅじょうさしまねくのみである。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
土が残って居る。来年がある。昨日富豪となり明日あす乞丐こじきとなる市井しせい投機児とうきじをして勝手に翻筋斗とんぼをきらしめよ。彼愚なる官人をして学者をして随意に威張らしめよ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その垢のついたことをめでたく思い、さきのような会話にも「なごやかさ」「たのしさ」を感じるとすれば、私は市井しせいの平凡なものに民衆の大根おおねを感じているのだろう。
平凡な女 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
市井しせいの出来事でも、一つは新聞記者という職業上からでもあろうが、人の知らない様な、変てこなことを馬鹿に詳しく調べていて、驚かされることがしばしばあった。
百面相役者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
市井しせいの人は申すに及ばず所轄警察署の刑事迄が私を一介の狂人扱いにして相手にしては呉れません。
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
その矛盾を塗りつぶすためには……そこから市井しせいの内幕を見すかされないために、いろんな形式や、相談や、挨拶や、宣言や、発表や何かでその間を埋めてしまった。
一つは馬琴の人物が市井しせいの町家の型にはまらず、戯作者仲間の空気とも、容れなかったからであろう。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
「マザア・グウス」の童謡は市井しせいの童謡である。純粋な芸術家の手になったのではなかろう。しかし、それだからといって一概に平俗野卑だというわけにはゆかない。
まざあ・ぐうす (新字新仮名) / 作者不詳(著)
りっぱな大身のお旗本の、若殿である北条左内が、たかが市井しせいのお狂言師の娘の、自分のような人間を、恋してくれるということが、お菊にはむしろもったいなかった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
唯僕等は封建時代の市井しせいを比較的身近に感じてゐる。元禄時代の河庄かはしやうは明治時代の小待合に近い。小春は、——殊に役者の扮する小春は明治時代の芸者に似たものである。
市井しせいの間の小人の争いて販売する者の所為しょいと何を以てか異ならんや、と云い、先賢大儒、世の尊信崇敬するところの者を、愚弄ぐろう嘲笑ちょうしょうすることはなはだ過ぎ、其の口気甚だ憎む可し。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
我をして先づ想はしめよ、見せしめよ、聞かしめよ、しかして教へられしめよ、彼植木屋は何ぞ。彼はこれ一箇市井しせい老爺らうや、木を作り、花を作り、以てひさいで生計を立つる者のみ。
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
ドイツの民間に口から耳へと生きている古い「おはなし」を、その散逸または変形するにさきだってあまねく集録したもので、筆者は、山村市井しせい老媼ろうおうなどの口からきいたままを
『グリム童話集』序 (新字新仮名) / 金田鬼一(著)
故に彼等は、男女の情事にき耳を立て、市井しせいの雑聞を面白がり、社交や家庭にもぐり込んで、新聞記者的な観察をする。彼等の小説の題材は、すべて此処から出ているのである。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
形成というもののはつらつとした、精神的に拘束しない具体性は、市井しせいの大衆の悦楽となっている。しかし無制限な情熱をもった青年たちは、ただ問題的なものだけに心をとらえられる。
山崎流の学旨をはさんで、堂上どうじょう公卿くげ遊説ゆうぜいし、上は後桃園天皇を動かし奉り、下は市井しせいの豪富に結び、その隠謀暴露して、追放せられたるが如き、もしくは明和四年、王政復古、政権統一
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
其時そのとき無論むろん新聞しんぶん號外がうぐわいによつて、市井しせい評判へうばんによつて、如何いかなる山間さんかん僻地へきち諸君しよくんいへどさらあたらしき、さらよろこことみゝにせらるゝであらうが、わたくしことのぞむ! 西にし玄海灘げんかいなだほとりより
なぜなら、細々と毎日欠かさず食うよりは、一日で使い果して水を飲み夜逃げに及ぶ生活の方を私は確信をもって支持していた。私は市井しせいくずのような飲んだくれだが後悔だけはしなかった。
いずこへ (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
小学校の教師は、官の命をもって職に任ずれども、給料は町年寄の手より出ずるがゆえに、その実は官員にあらず、市井しせいに属する者なり。給料は、区の大小、生徒の多寡によりて一様ならず。
京都学校の記 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
市井しせいの女等を相手にして痴愚の恋にふける気持は今更毛頭もうとう無かったけれど、そうしたことから段々縁遠い容貌に私がなって行きつつあるということは、何となく厭であった。私はまだ若いのだ。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
このような「市井しせい清潔係せいけつがかり」としての蛆の功労こうろうは古くから知られていた。
蛆の効用 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ごみごみした市井しせいにぎやかさがごっちゃになったようなおもむきがありました。
アド・バルーン (新字新仮名) / 織田作之助(著)
市井しせいの鶯というほどではなくとも、人寰じんかんを離れざる世界である。普請場小景というところであるが、のみ手斧ちょうなの音が盛にしはじめては、如何に来馴れた鶯でも、近づいて啼くほどにはなるまい。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
ところが、事件が長引いて、ある市井しせいの開業医が再鑑定を命ぜられましたら、その開業医は、自絞に間違いないと断定したのです。その鑑定の根拠として、その人は次のような事項をあげました。
誤った鑑定 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
種々の俚諺りげん、時としては、通りがかりに耳にした言葉、市井しせいの会話の断片、子供の考え——たいていはつたない散文的な文句ではあるが、しかしまったく純な感情がその中に透かし見られるものだった。
「学習院と市井しせいの私立中学校とは同日に論じられません。照正様や照常様のところへおいでになるのは島津様でなければ毛利様、松平様に久松様、鍋島様に堀田様、どうまちがってもみんな天下の諸侯しょこうです」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
越前はすぐ机により、その日の公事くじ、市政、獄務、消防、道路、市井しせい事故などのあらゆる件にわたる書類に目を通し初めた。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もとこれ市井しせいの隠にして、時たま大いなる失敗を演じ、そもそも黄村とは大損の意かと疑わしむるほどの人物であるけれども、そのへまな言動が
花吹雪 (新字新仮名) / 太宰治(著)
こういうことは、誰かしかるべき黒幕があって、相当の身分あるものの、市井しせいはばかる見物のために、特に用意をしたものと見なければなりません。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この市井しせいの芸術家お寿の、なよなよとした夕顔のような淋しい美しさと気品のある芸を知っているだけに、平次も急には疑う気にならなかったのです。
試に西鶴の『五人女』と近松の世話浄瑠璃せわじょうるりとを比較せよ。西鶴は市井しせいの風聞を記録するに過ぎない。然るに近松は空想の力を仮りて人物を活躍させている。
正宗谷崎両氏の批評に答う (新字新仮名) / 永井荷風(著)
悪遊びと乱行が、骨の髄まで染み込んでいる出羽守は、市井しせい無頼ぶらいの徒のようになっていて、この側近の臣に対しては、あまり主従の別を置かないのである。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
それがみんな本気だと思ったらおめでたすぎる、全部が全部みな徹底した市井しせいの聖人だとおもうものもなかろう、とおなじで、生活惨敗者は自己をこきおろして自慰じいする。