巣鴨すがも)” の例文
初代の家は巣鴨すがも宮仲みやなかの表通りとも裏通りとも判別のつかぬ、小規模な商家しょうかとしもうたとが軒を並べている様な、細い町にあった。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
君と私との忙しい生活は、互に訪問することを許さぬので、私は時々巣鴨すがも三田線の電車の中で、君と語を交えるに過ぎなかった。
二人の友 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その檄文とは非軍備論の翻訳で、大杉栄はそのため朝憲紊乱ちょうけんびんらんの罪に問われて、巣鴨すがも監獄にぶちこまれた。二十三歳のときである。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
大槻の家族が巣鴨すがもに転居してから、一週間ばかり、金曜の午後私が改札口にいると大槻芳雄が来て小形の名刺を私に渡して小声で囁いた。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
絵の具箱へスケッチ板を一枚入れて、それと座ぶとん代わりの古い布切れとを風呂敷ふろしきで包み隠したのをかかえて市内電車で巣鴨すがもまで行った。
写生紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そして四、五日と経たないうちに、こっそりと寺を脱け出して、東京の巣鴨すがもまで水島を追ってその妹を見に行ったよ。ところが何のことだ。
まだ時々店頭みせさきへ来て暴れたり呶鳴どなったりする狂女が、巣鴨すがもの病院へ送込まれてから、お島はやっと思出の多いその山へ旅立つことができた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
かねやすまでを江戸のうちと言った時代、巣鴨すがも大塚おおつかはそれからまた一里も先の田舎で、田も畑も、武蔵野のままの木立もやぶもあった頃のことです。
巣鴨すがも病院に勤務していた時、くれ院長は、患者に煙草を喫ませないのだから職員も喫ってはならぬと命令したもので、私などは隠れて便所の中で喫んだ。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
みちもんあり、門内もんない兩側りやうがは小松こまつをならべゑて、奧深おくふかすまへるいへなり。主人あるじは、巣鴨すがもへん學校がくかう教授けうじゆにてつたひと
弥次行 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
田端たばただの、道灌山どうかんやまだの、染井そめいの墓地だの、巣鴨すがもの監獄だの、護国寺ごこくじだの、——三四郎は新井あらい薬師やくしまでも行った。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
木曾街道きそかいどう方面よりの入り口とも言うべき板橋から、巣鴨すがも立場たてば本郷ほんごう森川宿なぞを通り過ぎて、両国りょうごく旅籠屋はたごや十一屋に旅の草鞋わらじをぬいだ三人の木曾の庄屋しょうやがある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ときどきには跣足はだしで表へ飛び出すこともあった。建具屋のおじいさんももう見ていられなくなって、無理に徳さんをすすめて妹を巣鴨すがもの病院へ入れさせることにした。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これを例すれば植物園門前の細流を見てその源を巣鴨すがもに探り、関口の滝を見ては遠きをいとわず中野を過ぎてかしらの池に至り、また王子音無川おうじおとなしがわの流の末をたずねては
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
本郷巣鴨すがも行や本郷白山はくさん行の電車が、勢よく響を立てて赤門の方へ走つて行くのが見えたけれども、さうしてあれにさへ乗つて了へば、直ぐ木村の家へ行けるのだと思つたけれど
イボタの虫 (新字旧仮名) / 中戸川吉二(著)
数日経って、博雄疎開そかいの日になる。世田谷の奥から、巣鴨すがもの焼けあとへ立ちもどり、既に土中から掘り出した例の荷物を妻と共に携えて、茫々ぼうぼうたる焼けあとの学校あとに集まる。
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
やっと約束の日が来る前の晩に、巣鴨すがもから本郷にかけて綺麗に焼けてしまいました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
筆「はい、巣鴨すがも傾城けいせいくぼ吉田監物よしだけんもつの家来下河原清左衞門と申す者でございます」
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そうだろう、おれが巣鴨すがもへ行った帰りみち、ちょうど庚申塚こうしんづかの先であの女を
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殊に一番人気のある信乃を主役として五犬士の活躍するは、大塚を本舞台として巣鴨すがも池袋いけぶくろたきがわ王子おうじ・本郷にまたがる半円帯で、我々郊外生活者の遊歩区域が即ち『八犬伝』の名所旧蹟である。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
「いよいよもって巣鴨すがもだね。困ったやつだ」
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
明治四十年 巣鴨すがも、詩痩会。真宗大学内。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
彼女は巣鴨すがもの方へ、私は早稲田わせだの方へ、その乗換場所までの、わずかの間を、私達は一日中の最も楽しい時間とする様になった。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
仕方がないから歩いて帰ったが、後で若い者から聴くと、なんでも病人らしい者を私の駕籠に積んで、無理に巣鴨すがも庚申塚こうしんづかまで運んだということだ。
なおその火の支流は本郷ほんごうから巣鴨すがもにも延長し、また一方の逆流は今の日本橋区にほんばしくの目抜きの場所を曠野こうやにした。
函館の大火について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼はその電車の運転手の頭の上に黒く掲げられた巣鴨すがもの二字を読んだ時、始めて自分の不注意に気がついた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
木曾街道の終点とも言うべき板橋から、半蔵が巣鴨すがも本郷ほんごう通りへと取って、やがて神田明神かんだみょうじんの横手にさしかかった時、まず彼の聞きつけたのもその子供らの声であった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
これらの大通は四谷青山白金巣鴨すがもなぞと処は変れど、街の様子は何となく似通にかよっている。
此處こゝもりあへふかしといふにはあらねど、おしまはし、周圍しうゐ樹林きばやしにて取卷とりまきたれば、不動坂ふどうざか團子坂だんござか巣鴨すがもなどに縱横たてよこつうずる蜘蛛手くもでみちは、あたか黄昏たそがれ樹深こぶか山路やまぢ辿たどるがごとし。
森の紫陽花 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
傘もなし下駄げたもなかったが、しちを受け出さねばならぬので買うわけには行かず、びしょびしょと雨に濡れつつ、低い下駄ではねをあげながら巣鴨すがもの久能さんの家まで歩いて行った。
「お母さんは巣鴨すがもとげぬき地蔵へ行った。お御符ごふでももらって来るんだろう。」
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
それから苗字みょうじ深中ふかなか名告なのって、酒井家の下邸巣鴨すがもの山番を勤めた。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
白山はくさんから巣鴨すがもまで、残らず焼野原となってしまいました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
その一例として去る六月十九日の晩、神保町じんぼうちょうの停留所近くで八時ごろから数十分間巣鴨すがも三田みた間を往復する電車について行なった観測の結果を次に掲げてみよう。
電車の混雑について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
巣鴨すがもの兄弟分——牛屋の喜平のところへ泊り込んで、これだけの事を聞くと、飛込んで一と當り調べようかと思つたが、下手へたをすると取り返しが付かねえから
今まで金というものを持ったことの無い人間はどうそれを使っていかも分らなかった。彼はずっと以前に巣鴨すがもの監獄を出て来たある身内のものを想い起すことが出来る。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
馬士まごが通る。ちとばかりさきに、近頃は余り江戸むきでは見掛けない、よかよか飴屋あめやが、と足早にき過ぎた。そのあとへ、学校がえりの女学生が一人、これは雑司ぞうしの方から来て、巣鴨すがも
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
戸山の原は東京の近郊に珍らしい広開こうかいしたである。目白めじろの奥から巣鴨すがもたきがわへかけての平野は、さらに広い武蔵野むさしのの趣を残したものであろう。しかしその平野はすべ耒耜らいしが加えられている。
巣鴨すがもの植木屋の娘とかいう下女は、彼のために二、三の盆栽を宅から持って来てくれた。それを茶の間のえんに置いて、彼が飯を食う時給仕をしながら色々な話をした。彼は彼女の親切を喜こんだ。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
甘納豆製造業渡辺忠吾わたなべちゅうご氏(二七)が巣鴨すがも警察署衛生係へ出頭し「十日ほど前から晴天の日は約二千、曇天でも約五百匹くらいの蜜蜂みつばちが甘納豆製造工場に来襲して困る」
破片 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
実はね、親分。巣鴨すがもの大百姓で、高利の金まで貸し、万両分限と言われた井筒屋重兵衛が十日前に死んだが、とむらい万端すんだ後で、その死にようが怪しいから、再度のお調べを
江戸の中心地まで二里と聞いただけでも、三人が踏みしめて行く草鞋わらじの先は軽かった。道中記のたよりになるのも板橋いたばしまでで、巣鴨すがも立場たてばから先は江戸の絵図にでもよるほかはない。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
すったもんだとねかえしたが、言種いいぐさが気に入ったい、総勢二十一人というのが昨日きのうのこッた、竹の皮包の腰兵糧でもって巣鴨すがもの養育院というのに出かけて、ほどこしのちょきちょきをってさ
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
巣鴨すがもから參りました。姉が殺されてゐたんです。そして私は縛られさうだつたんです」
平次は顏を擧げて、その邊の地勢から、巣鴨すがもの通りのさゝやかな家並に眼を移しました。
梅の花ぢやよ、——巣鴨すがものさる御屋敷の庭に、大層見事な梅の古木がある。この二三日は丁度盛りで、時にはうぐひすも來るさうぢや。場所が場所だから、ぞく風雅ふうがも一向寄り付かない。
(註、菊細工の本場は文化以後染井巣鴨すがもに移り、弘化年間に根津、谷中、駒込を中心として精巧な菊人形に進化し、一時中絶して、明治十年頃團子坂の菊人形に復活したのです。)
梅の花じゃよ、——巣鴨すがものさる御屋敷の庭に、たいそう見事な梅の古木こぼくがある。この二三日はちょうど盛りで、時にはうぐいすも来るそうじゃ。場所が場所だから、俗も風雅も一向寄り付かない。
二月のある日、歩いてゐるとう、額口の汗ばむやうな晝下がり、巣鴨すがもからの野暮用の歸り、白山あたりへ辿りついた頃は、連の八五郎はもう、何んとなく御機嫌が斜めになつて居りました。
百姓といつても巣鴨すがも一番の金持だから、伜の房松は一生長い着物を着て暮せるわけだが、この男は口無調法で人附きあひが嫌ひで、親父の重兵衞にねだつて少しばかりの畑を自由にさして貰ひ